12 事件の終わり
鉄の鎖を引き千切ったような破裂音がした。
それだけでも身構えるに十分な音だったのに、より大きな爆音が上空から響いてきた。お腹の奥まで震える。窓ガラスに亀裂が走る。
五隻の飛行船が炎を上げていた。
魔族が封印を力任せに跳ね返したせいで、飛行船に魔力が逆流したのだ。
当然、五芒星は消えてしまう。
町に墜落する!
パトラは青ざめたが、飛行船は辛うじて舵を取り、町の外へ逃れていった。
高価な飛行船は失われてしまったが、町に甚大な被害を出さなくて済む。飛行船に乗っているのは全員、優秀な魔法師なので生きて脱出してくれるだろう。
「町が炎に包まれるのは回避できたが……魔族をどうする? 封印する手段を失ったぞ」
ヘリック王子が呟く。
「実は、こんなこともあるんじゃないかと思って、新装備を作っていたんです。まだ不完全ですけど」
パトラの右腕にあるリングが輝き、杖に変化した。二メートル近くあり、先端に刃物をつければ槍として通じる長さだ。
だが、その先端にあるのは刃ではなく、大きな鈴だ。
パトラが動くたびに『リンリン』と甲高い音を奏で、それが世界に染み渡るように広がっていく。
「それは?」
「対魔族の兵器です。飛行船の五芒星のように力任せに押さえつけるのではなく、相手の特性を解析して、適切な術式を流し込んで……倒します。ですが、その解析に時間がかかります」
「具体的にどのくらいかかるんだ?」
「おそらく数分……十分近くです。解析中、私は動けません。ヘリック様、その間、時間を稼いでくれませんか? 私を守りつつ、町も守ってください」
「無茶振りだな。しかし君が俺を頼ってくれて嬉しい。やってみせるさ!」
そこからの十分間。
ヘリック王子は魔族の猛攻を防ぎ続ける。
鈴の音が空気を震わせ、魔族の体に入り込み、その魂さえも覗き見る。
どうすればお前を壊せるのかと問いかける。
そうだ。封印なんて生ぬるい。
封印はいつか必ず解けてしまう。
パトラの曽祖母は、命と引き換えに魔王を倒したという。
なのに世界にこうして『魔王の欠片』が残っている。
相も変わらず平和が脅かされる。
安心して魔法の研究ができない。恋もできない。
魔王と、魔王に類するもの、尽く滅び尽くす。
幼少期に曽祖母の話を聞いたパトラが決めた目標が、それだった。
さあ。解析完了だ。
「ヘリック王子。ありがとうございます。もう大丈夫です。滅尽を開始します」
鈴の音が変わる。
探るための静かな音から、滅びをもたらす怒りの音へと。
「♪♪♪♫♫♫」
音は強い。
時に人を癒やすし、先程のようにガラスを砕いたりする。
今、パトラが奏でるのは、人間の魂に寄生した『魔王の欠片』を打ち砕く音楽だ。
「▃▄▅▆▇█▆▅▄▅▅██」
魔族が悲鳴を上げた。
文字では表せない、けれど間違いなく断末魔と分かる、不協和音。
『魔王の欠片』が粉微塵になった、とパトラは確信する。
その証拠に、異形であった魔族が、徐々に人間の姿になっていく。
「ティム! ティム!」
クリフトンは名前を叫びながら、部下のもとへ駆け寄った。
ティムはもう死んでいる。いくら呼びかけても動かない。
だが魔族として、罪を重ねることはない。
人間として埋葬してもらえる。
それだけでもパトラは、自分がしたことに意味があると思った。思いたかった。
「パトラ。君は……凄すぎるな。五隻の飛行船でできなかったことを、一人でやってのけた」
ヘリック王子が駆け寄ってきて、そう言ってくれた。
「いえ。一人ではありません。むしろ魔族相手に時間を稼いだヘリック様が凄いです。お怪我はありませんか? 怪我があったら正直に言ってくださいね」
「ああ、大丈夫だ――」
ヘリック王子がそう答えた瞬間、パトラが持つ杖に亀裂が走った。
まず鈴が砕け、それから杖本体がバラバラになる。
その破壊の連鎖は、パトラの腕まで達した。
激痛が走る。
爪がめくれる。
血管が内側から弾ける。
「っ!」
パトラは辛うじて大声を出すのをこらえた。
痛みが想定の範囲内だったからだ。
「ど、どうしたんだ、パトラ!」
「……まあ、町を飲み込む規模の五芒星よりも大それたことをしたんです。それも試作品の杖で。このくらいで済んで儲けものです」
「つまり、やる前からこうなると想定していたのか……どうして言わない!」
「言えばヘリック様は反対するじゃないですか」
「当たり前だ!」
「けれど反対されても私は強行するので。時間の無駄じゃないですか」
「そういう……そういうとこだぞ、パトラ! ちゃんと心配させてくれ! 危険があるなら教えてくれ! 君が強行したら、どうせ俺は折れるんだから!」
ヘリック王子はパトラの肩を掴んで、必死の形相で叫んだ。
怒られているのに、パトラは頬が緩んでしまった。
「なんで笑ってるんだ」
「だって、ヘリック様が私をとても大切に思ってくださってるので……えへへ」
「パトラの笑顔を見るのは大好きだが、今だけは腹が立つ!」
「いたい! 頬をつねらないでください!」
ティムの死体が再び魔族になることはなかった。
その後の調査で、ティムが魔族になる以前の猟奇殺人には、別の犯人がいると判明した。
彼には、猟奇殺人の衝動があったのかもしれない。
しかし魔族になるまで、衝動を押さええてきた。むしろ治安を維持する仕事についていたのだ。
それはむしろ賞賛されるべきではないだろうか。パトラはふとそう思った。
ヘリックは、包帯が巻かれたパトラの腕を見て思う。
やはり自分はまだまだ力不足だ、と。
一騎打ちで彼女に勝てたから、なんだというのだろう。
腕っ節が強いだけの奴ならいくらでもいる。
だがパトラのように多彩な知識・技術を持つ者は、ほかにそうそういない。
自分は本当にパトラの婚約者に相応しいのか。
ヘリックは自問せずにいられなかった。
しかし王都に帰る前にクリフトンに言われた言葉が、自信に繋がった。
「殿下。あなたを心底から見直しましたよ」
「なんのとこだ?」
「パトラ嬢に『時間を稼いで』と言われて、迷うことなく向かっていたことですよ」
「そんなことか。当然だろう。俺はパトラの婚約者だし、任務を帯びてこの町に来たんだ」
「そう平然と言えるのが凄いんですよ。そりゃ殿下は強いですよ。私なんかより遙かに。しかし、この町の魔法師全員でかかって相手にならないかと言えば、そんなことはない。いい勝負になるでしょうよ。だが俺たちは魔族を見て怖じ気づき、動けなかった。殿下は違う。臆さずに向かっていった。一人でね。それをみて確信しました。パトラ嬢は凄い人だが、その隣に並び立てる殿下も凄い、と。胸を張ってください。パトラ嬢に相応しい男は、殿下だけです。この上なくお似合いですよ」
クリフトンは地方の魔法庁支部の長にすぎない。
突出した天才でも、功績があるわけでもない。
しかし直接ヘリックとパトラと顔を合わせた男が「お似合い」と言ってくれた。
妙に嬉しかった。
「ありがとう。俺とパトラの結婚式には、君を招待するよ」
「美女を沢山招いてください。必ず出席します」
「努力しよう。パトラ並の美女に心当たりがないから、君が満足するか分からないけど」
ヘリックとクリフトンは握手を交わして別れた。
帰りの馬車。
パトラはヘリック王子が妙に上機嫌なのが気になった。
その理由を質問すると、
「クリフトンとは友人になれそうだと思ってね」
そんな意味深な笑みが返ってきた。
友達ができるのはいいことだ。パトラにはいないけど。
ヘリック王子には友達が沢山いるのだろうか?
騎士団にいるのかもしれない。
羨ましい。
女の友達は……いたら絶対、噂になっている。
ヘリック王子に女の影はない。そこは安心できる。
しかし。
男と仲がよすぎるというのも心配だ。
女に興味がないのかと思ってしまう。
「も、もしかして、クリフトンさんと浮気ですか!?」
「なぜそうなる! 俺が愛するのはこの世でパトラだけだ!」
ヘリック王子はそう叫んで、赤面しつつ目をそらす。
言われたパトラも赤面して、目をそらす。
しかしお互い、赤面しながら目を合わせて、顔を近づけ、唇を重ねて……。
爆発しそうなほど真っ赤になって、また目をそらした。
『嘘つき……絶対に許さない!』という短編を投稿しました。
こちらも読んでいただけると嬉しいです。
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