『陸(あるいは戮)』
――休日の繁華街。
家族連れやカップルで賑わっているはずのこの場所は、現在進行形で阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
「な、なんだよアレ……!?あんなもんを、どうしろって言うんだよォッ!?」
「い、嫌よ!!~~~アタシ、死にたくないッ!!」
彼らが見つめる先、そこにあったのは宙に突如出現した巨大な亀裂と、そこから巨大な体躯を覗かせる"魔神”と形容するほかない異形の存在。
それまでの日常ではありえない完全なるこの世界の異物、正体不明なのに自分達を蹂躙する意思だけが明確に伝わってくる絶望感。
自分達の常識や理解を超えた破壊者の出現を前に、人々はパニックに陥っていた。
魔神の身体はまだ亀裂から完全に抜けきっていないが、脱出しようと身体を僅かに揺らすだけでミシリ……と空間そのものが揺れる。
その衝撃で建物がいくつも倒壊し、多くの者達が成す術もなく下敷きになっていく……。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?し、死にたくねぇ~~~ッ!!」
「ウソでしょ……こんなところでおしまいなんて、あんまりよ……!!」
群衆が逃げることすら忘れて、茫然と異形の魔神を見上げていた――そのときだった。
「オ、オイ!みんな、アレを見てみろよ!!」
そう声を上げた人物が空を指さす。
そこには、この事態を解決するために派遣されたと思われるいくつもの戦闘機の姿があった。
それらを見た瞬間、それまでとは一転して群衆から喝采の声が上がり始める――!!
「いっけー!!あの化物をブチのめしてやれッ!!」
「お願い!私達に生きる希望を示してみせて!!」
早くも戦勝ムードに沸き立つ中、異形に向けて戦闘機から一斉にミサイルが発射される――!!
これだけの巨躯では避けることなど出来なかったのか、盛大に爆音を響かせながら全弾余すことなく直撃していく。
その光景がどれだけ続いただろうか。
辺り一面が壮絶な猛攻撃による煙で見えなくなる中、群衆の一人がポツリ、と呟く。
「やった……のか?」
戦闘機による攻撃の余波で、自分達の周囲は既に業火に包まれており、ここから逃げることはおそらく不可能に違いない。
それでも、『自分達が生きてきた事は、決して無意味なんかじゃなかった』という想いが込められた呟きだったが――。
「――ッ!?あ、あぁ……!!そんな、嘘だろッ!?」
群衆が見つめる先。
そこには、あれだけの集中砲火を受けたにも関わらず、肉体に傷一つついていない異形の魔神の姿だった。
――いや、それどころか、先程までとは違って全身が既に空間の裂け目から完全に抜け出してしまっている。
完全に希望が打ち砕かれたうえに、これ以上ないくらいに事態が悪化したのを感じた人々は、今度こそ気力が尽きた様子で業火が間近に迫っているにも関わらず、その場にへたり込んでいく――。
絶望に打ちひしがれている群衆と、無意味と知りながらもなお未だに攻撃を続ける戦闘部隊。
そんな彼らの意など介さぬように……あるいは、それこそが唯一の"慈悲”であると言わんばかりに、魔神の全身から禍々しくも極大の瘴気が立ち昇っていく――。
――これは遠い、遠い、遥か昔のお話。
こことは違う世界から、"てんりく様”というとっても強くて偉い神様がやってきました。
てんりく様はその圧倒的な御力で、あらゆる文明と全ての生命を滅ぼし尽くしました。
十度目となる陽が昇り地上の全てが原型をとどめなくなったころ、力を使い果たしたてんりく様は二つの存在に分かれました。
そのまま倒れ込んだてんりく様の胴体は、荒廃した大地に代わる巨大な"陸”に。
そして、そのまま胴体から離れた頭は、"天”へと昇っていったのです――。
「アハハッ!お母さん、何回聞いてもこのおはなしっておかしいよね!」
そう笑いながら、幼い子供が母へと語り掛ける。
それに対して母も、嬉しそうに笑みとともに答えを返した。
「あなたは本当にこのお話が大好きね~。……でも、このおはなしの何がおかしいの?」
不思議そうな母の問いかけに対して、子供が「だってね……」と言葉を続ける。
「"てんりく様”は、命も何もかも全てを滅ぼしつくしたはずなのに、僕もお母さんも普通にこうして元気に暮らしているよ?……もしも"てんりく様”が本当にそんな事をしていたのなら、みんな死んじゃってるはずじゃないの?」
そんな疑問に対しても、母親は動じることなく返答する。
「あら、確かに不思議ね~。ひょっとしたら、"てんりく様”は悪い人達を懲らしめただけで、実はとっても良い神様なのかもしれないわね。――だからこそ、地上の私達が無事に暮らしていけるように、あぁして見守ってくださっているに違いないのよ」
母が空へと視線を向ける。
彼女が見つめる先――そこには、天を覆い尽くすほどの巨大な"牛の首”が、地上を睥睨するかのように浮かんでいた。
異様なのは、その大きさだけではない。
角、耳、目、鼻、口、とこの巨大な牛の首を構成する全ての部位が、絶えることなくモゾモゾと動き続けているが――それらは全て、人間の顔だった。
何故か一様にみな髪や眉といった体毛は一切ないものの、老若男女を問わずそれらの頭部がぎっしりと隙間なく犇めき合うことによってこの"牛の首”は形成されていた。
『苦しい、苦しい……誰かぁ~、ここから出してぇ~』
『ゲヒャヒャヒャ!――みんな、いっしょ!みんな、いっしょ!』
『苦しい……なんで、儂がこんな目に……ッ!!』
常に光が差し込まなくなった暗黒の空を背に、終わることなく繰り返される多くの者達の嘆き、狂乱、叫びの数々。
どこまでも不揃いで歪であるにも関わらず、それらの声が重なることによって、さながら巨大な牛の嘶きのような響かせていく……。
「ねぇ、お母さん!……僕もてんりく様のところに行けるようになるかな!?」
そのように期待に瞳を輝かせる我が子に対して、母親が嬉しそうに答える。
「フフフッ、貴方が良い子にしていれば、きっとなれるに違いないわよ」
その言葉を聞いて、パッとこれまで以上に喜んだのもつかの間、すぐに俯いてしまった。
「でも、お母さん……僕はてんりく様のところに集まっている"みんな”とは違う姿だし、何を喋っているのかも全く分からないんだ。……もしも、僕がてんりく様のところに行けたとしても、仲間外れにされちゃったりしないのかな……?」
不安そうにつぶやく息子に対して、母親が四本の触手を伸ばしながら、優しくその身体を抱きしめながら告げる。
「それならきっと、大丈夫よ。てんりく様は、繋がりあうことの大切さを知る神様だからこそ、あれだけたくさんのお顔が集まってるんだし、少しくらい姿かたちが違うからって仲間はずれになんかしないわよ」
なにより、と母は周囲を見渡す。
辺りには、自分達親子と同じように空を見上げる者達の姿があった。
小牛ほどの大きさをした二足歩行をする蛙のような者、腐敗した全身を引きずりながら瞳だけを金色に爛々と光らせる者、女性の生首に内臓をぶら下げた状態のままケタケタ笑いながら宙を漂う者……。
それぞれ異なる姿ではあるものの、みなは牛の首の方を見ながら喝采の声を上げたりその名を唱えて称え続けていた。
そんな彼らを見やりながら、母親が腹部に空いた大きな口を空けながら息子へと語り掛ける。
「これだけバラバラな私達の事をいつまでも変わることなく、闇の中で迷わないようにてんりく様は優しく見守り続けてくださるのだもの。……だから、貴方の祈りもきっとてんりく様に届いているはずよ?」
そんな母の言葉を受けて、嬉しそうに三つの瞳を輝かせてから、子供は牛の首の方へと再度顔を向ける。
「僕達のことを見守ってくれて、ありがとー!!てんりく様ー!――僕もいつか、絶対にそっちへ行くからねー!!」
草木が全く生えることのない大地に、それでも躍動を感じさせるような元気のある声が、空へと向かって響き渡っていく――!!
『コロシテ……コロシテ……モウ、コロシテ……』
『いつまで、ここにいれば良いんだよ……!!』
『助からないなら、全員死ね……!!――俺を一人にしてくれないなら、全員まとめて死に絶えろッ!!』
そんな幼き願いなど微塵も介することなく、今日も"牛の声”は変わることなく闇で覆い尽くされた空に鳴り続けていた……。
かくして人の世は終わりを迎え、"真なる恐怖”を頂点にこの世ならざる者達が跳梁跋扈する地獄に成り果てた。
人類がこれまで積み上げてきた叡智が崩れ去り、あらゆる理性と命の光はここに全て死に絶えた。
今となっては、何もかもが無駄なことかもしれないが――ここである一つの疑惑が、浮かび上がる。
『小説家になろう』というサイトのホラージャンルにて、"牛の首”に関する個人企画を開催したとされる人物。
もしかすると、この企画を主催した彼のみがこの世界で唯一、"牛の首”の真実を知っていたのではないだろうか?
如何なる手段で、彼がその真相に到達したのかは分からない。
だがもしそうだとするなら、地上のあらゆる文明と全ての生命を滅ぼしかねない"牛の首”という存在の真実に人類を到達させないようにするために、それまでされてきた都市伝説程度の扱いをさらに強固かつ実態からかけ離れたものにしようと、他の多くのなろうユーザー達に"牛の首”を無力化ないし弱体化を目的とした異なる作品を持ち寄らせた――と考えれば、全ての行動につじつまが合うのではないだろうか?
けれど、"真なる恐怖”を体現する存在として呪法で生み出された魔仏:殄戮法師を媒介に、"牛の首”は人の世に顕現を果たし、全ては灰燼に帰する結果となってしまった。
"牛の首”の企画主催者が、本当にこの極大の脅威存在から人類を遠ざけるために企画を開催したのか、ただ単に仲間内ではしゃぎたかっただけなのかは、今となっては分からない。
……いずれにせよ、彼の真意を知る機会は永久に失われてしまった。
それでもただ一つ、変わらないものがあるとするなら。
――それらの人の奮闘が無為である、と嘲笑うかのように。
――……あるいは、"真なる恐怖”を望んだ者の祈りを慈しむかのように。
暗黒に包まれた空を背に、地上を犇めく魑魅魍魎を眼下に見据えながら。
"牛の首”はこれからもずっと、浮かび続けていく――。
――本作の執筆にあたって、許可をしてくださった"牛の首"企画の主催者である家紋 武範 氏に最大限の感謝と敬意を込めて――。