『伍』
殄戮法師の完全顕現のために必要なもの。
それは、"動力”と"指向性”……だけでは足りない。
その二つを用いて絶大なるこの魔仏の権能を完全に制御する"頭脳”があってこそ、真に私が望む世界の実現が可能となるのです。
『自身の中に、まだこれほどの活力が残っていたのか』と血潮が沸き立つような高揚を感じながら、私は殄戮法師に向けて高らかに歌い上げるかのようにに命じます。
「真に正しき未来を見据え、そこに至るための道筋を思考し、目的を完遂する強固な意思を体現した"私”という存在を頭部に据えることによって、殄戮法師という存在は本当の意味で完成を迎えるのです!!……さぁ、忠実なる手足として、私を迎え入れなさい――殄戮法師ッ!!」
私の呼びかけに応じて、殄戮法師の右側の腕の一つから、こちらに掌を見せる形で差し出されてきました。
そんな魔仏の態度に満足した私は頷きを返し、よろめきつつも何とかその掌の上に乗りました。
私の様子を気遣っているのでしょうか。
私を乗せた殄戮法師の掌がゆっ……くりとした速さで、ぽっかり空いた頭部へ向かって進んでいきます。
視界が霞んできたあたり、生命としての限界は近いのでしょう。
ですが、そこに何の後悔もありません。
これまでとは異なる心からの安堵した笑みとともに、私は呟きます。
「……これで、私が待ち望んだ"真の恐怖”が完成する。……あぁ、それでも。人には絆をどれほど壊されようとも、己の力で闇と対峙するだけの強さがあるはずだと、私は信じている……!!」
――もしかするとそれこそが、あの肝試しの頃の記憶に囚われ続けてきた私が抱える、真実の願いだったのでしょうか?
『数の力に任せてゾロゾロ練り歩いたりしなくても、人には、己の意思で闇を見据えて打ち勝つ勇気がある』という事を誰かに証明して欲しかった……などと人に話せば笑われるような、あまりにもちっぽけなものが?
現在の朦朧とした意識では、判断もおぼつきません。
ですが、それすらも今となっては些細なことに違いありません。
"殄戮法師”という絶対の化身、真なる恐怖と一体化さえすれば、人としての迷いや悩みなどすぐさま雲散霧消するはず――。
そのようにぼんやりと思考していた――まさに、そのときでした。
「……?」
最初、それを視界に入れた時は、体内で急速に血液を失ったことによる目の錯覚か何かだと思いました。
ですが、それは気のせいなどではありません。
殄戮法師に存在しないはずの頭部の付け根が、ボコボコッ……!とマグマを彷彿とさせるような勢いで何やら泡立ち始めているようです。
ここに来て全く予知していなかった事態を前に、私の思考は茹立ったような状態から氷水を頭からぶちまけられたかの如く冷静に引き戻されたのですが、事態はそれだけにとどまる事を知りません。
あろうことか、泡立った部位から徐々に黒と赤で出来た繊維状の紐が幾筋も伸びていき、それらは絡み合いながら徐々に頭部らしきものを形成しようとしていました。
「なっ……馬鹿な、ありえない!?私は、呪法で"殄戮法師”という存在を編み出すときに、このような機能など微塵もつけていないはずだぞ!!……こ、この状態でどう私を頭に据えれば良いと言うんだッ!!」
激昂したからか、再び私の口から盛大に血が逆流しました。
このままでは、命を落とす事は明白。
ですがそれ以上に、この魔仏を作り出した私の理解すら拒むかのような不測の事態を前に、何とか逃げようとした――その瞬間!
「……あがっ、グッ……!?」
それまで優しく私を乗せていたはずの大きな掌が、私の動きを察知した瞬間、万力で締め付けるかのように私を握りつぶしてきたのです!!
バキ、ペキ、ゴキ……ッ!!
自身の骨が粉砕される激痛と、その現実を嫌でも突きつけられる音が耳を伝って聞こえてくる恐怖。
これまで以上に吐血し苦悶の声をあげる私をさらなる絶望を突きつけるかの如く、私を握り潰している拳はわざとらしくゆっ……くりと頭部の方へと近づいていきます。
私が睨みつける視線の先。
そこには、この短期間の内に繊維が物凄い速度で凝縮したのか、完全に輪郭が形成された巨大な頭部。
目や口といった部位だけでなく、人間にはありえない角といった部位。
それを観た瞬間、私は――。
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!そんなことなどありえない!!……“殄戮法師”とは、私によって生み出された"真の恐怖"を体現する者であるはず!――なのに、何故貴様のような化物が私の理解を超えて存在しないはずの頭部へと生えてくる!?……それでは、まるで」
――コイツこそが、"真の恐怖”そのものというしかないではないか。
……だとするなら、私は
「~~~ッ!!違う違う違う違う違う違う違う違う違う違うッ!!|アイツ等が正しかったなどありえないッ!!……あんなものは、何の実体もないくだらんデタラメに過ぎんはずだろう!?私は、微塵も間違ってなどいないッ!!」
思考することすら放棄するかのほうに、私は必死に無我夢中で叫び続ける。
だがそれでも眼前の顔はそんな逃避すら許さぬかのように、今なお私の眼前に重厚な存在感を示し続けている。
……あぁ、そうか。
一人で闇の中を見据える勇気が持てないのなら、怖くないように誰かと共に歩んでも良かったのか。
少なくとも、この閉鎖空間において一人だけ残された今の私に、この脅威存在をどうにかする手立ては全くない。
そして、コイツが"真の恐怖”だと言うなら、あの企画が開催された本当の意味とは――。
「……もしもそうなら、今まで私がしてきた事は全部、一体なんだったんだ……」
この短い間に、私は涙という涙、血と呼べる血を全て流しつくした。
今の空虚な私の中には、恐怖という感情以外何も残されてはいない。
あれほど焦がれたはずの“真の恐怖”という渇望が、今となっては他の全てをなげうってでも消え去って欲しいのに、その祈りだけが私には許されていないのだ。
――ブモォォォォォォォォォォォ……。
魂の奥底を震え上がらせるような嘶きが、この閉鎖空間内に響き渡る。
眼前の顔が大きく口を広げるのを目にした瞬間、私は消失することすら許されず、この恐怖だけを抱えたまま永久にこの化物の一部として取り込まれることをはっきりと理解していた。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッ!!!!」
声にならない叫びが、私の内から溢れ出す。
バリボリボリボリボリボリボリメキッ!!
もうどこまで、私が私から離れてしまったのか理解できないほどに、細かく砕かれていくのを感じながら――。
それでも、「この瞬間だけは」と祈りながら、私の意識は静かに奈落の底へと落ちて行った……。