「イリアス」第16歌におけるパトロクロスの行動について(4/4)
(3)パトロクロスおよびアキレウスは、パトロクロスの行動についてどのように意図、了解していたか。
①パトロクロス
パトロクロスは、自分がパトロクロスであると名乗っている場面もないが、武具を身につける以外には、積極的にアキレウスを演じるような振る舞いは一切見られない。そもそも、「アキレウスの武具」なるものを見知っているのであれば、アキレウスその人もそうであるだろうし、側近のパトロクロスについても同様であろう。
筋書きを追うと、サルペドンが分からなかったパトロクロスの名前をなぜグラウコスが知っているのかといった疑問はあるが、イリアスにおいては、特に互いに名乗ったりせずとも討ち取った敵の身分を正しく認識している場合がほとんどなので、大した問題でもないかもしれない。むしろ、敵を誰何するような場面はイリアス全編においても多くないので、かえってサルペドンの言葉自体が意味深長なものであるとも考えられる。
いずれにしても、パトロクロスには自分がアキレウスであると誤認させることを狙っていたというのは16-1から明らかであるし、そのきっかけとして11-1のネストルの言葉があったと考えられる。ただし上記の通り、アキレウスを演じるというよりは、あわよくば一時的に誤認させて威圧できるかもしれない、という程度の、消極的な考えだったのであろう。あくまでパトロクロスは自分自身とミュルミドネス軍の勇武によって、ギリシア軍を救援しようとしたように思われる。
また、どのように意図していたにせよ、アキレウスの武具をまとっての出撃は、アキレウス本人の了解の下のことであった。
②アキレウス
アキレウスの意図については、判然としないところがある。16-1のパトロクロスの提案を、アキレウスは16-2の通り、それ自体は特に問題にせず了承しているが、その理由(アキレウスの考え)については何も述べられていない。
問題なのは16-4である。ここではパトロクロスに対して、「アキレウスとして活躍して、アキレウスの名をギリシア軍の面々に対して高からしめよ」と言っているように思われる。
16-5も微妙なところである。「アキレウスが無様に討ち死にするのは不名誉である」ということにも思えるし、パトロクロスが討たれることでアキレウスの武具を奪われるのは不名誉である、と述べているようにも思える。あるいは、「アキレウスの身内たるもの、無駄死にしてはならない」ということであるかもしれない。はっきりしないが、少なくとも後二者の解釈をとれば、問題とする必要はなさそうであるし、それが不自然な解釈とも思われない。
さて16-4のアキレウスの言葉を自然に解釈する方法の一つは、そこに「討ち死にすればどうしてもアキレウスではないことは発覚するが、生還すれば、パトロクロスの活躍はアキレウスのものと思われるかもしれない。だから戦況を盛り返すだけの働きをしたら余計なことはせず生きて帰れ」というような考えを読み込むことであろう。ただ、「自分の代わりに戦場で働かせる」という考えは、アキレウスの性格には似つかわしくないのは事実である。従って、名誉云々と言いながらも、アキレウスあるいはパトロクロスが名誉を得ることは実はたいした問題ではなく、あくまでパトロクロスを気遣った、決して軽々しく行動して無駄死にするなという意味の忠告だったと考えたい。
アキレウスは未だ冷めやらぬ怒りのために、なお出陣する気は起きなかったが、親友の気概に打たれて、配下の軍勢がギリシア軍を助けることだけは認めた。そしてその結果パトロクロスの身に起きる災いを憂い、忠告を残したわけである。
5.結論
本稿の考察を以下にまとめる。
・パトロクロスはアキレウスの武具を身につけて出陣することで、自分をアキレウスだと誤認させ、ギリシア軍の劣勢を覆そうとした。
・トロイア軍は、パトロクロス出陣の際には確かにアキレウスと誤認した。
・しかしそれは出陣直後まで、かつトロイア軍の一部のみのことであり、戦場では基本的に、パトロクロスはパトロクロスと見なされている。
・パトロクロスは積極的にアキレウスのふりをしようとしたわけではなく、一時的な威圧のみを狙っていた。
・アキレウスもまた、パトロクロスに自分を演じさせようとしたわけではなかった。
とはいえ、上記の考察の過程で、いくつか気になる点も見られた(サルペドンの発した疑問、アキレウスの言葉の解釈)。これについてはあるいは分析的観点から、「イリアス」の原型として、「パトロクロスがアキレウスを演じていたバージョン」の存在を想定し、それの痕跡と見ることもできるかもしれないが、邪推の域を出ない感がある。
いずれにしても、「イリアス」は本稿で見てきたような形で完成されている。そこには、パトロクロスの優しさと、アキレウスの名誉を求める性格に加えて、親友への気遣いと自分の抱いた怒りとの葛藤が描かれていたと感げられる。詩人ホメロスは、そのような物語、そして人物を描いたのであろう。
(了)