「イリアス」第16歌におけるパトロクロスの行動について(1/4)
※ほぼ、ただの読書感想文です。
1.きっかけと疑問
映画「トロイ」(2004)は、古代ギリシアで形成されたトロイア戦争伝説を描くものであり、その筋書きはホメロスの叙事詩「イリアス(イーリアス)」に、多くを依っている。その敷衍や改変の仕方、映画の評価といったことについては特に触れないが、あるシーンについて気になることがあった。
前段階を含めて、以下のような筋書きである。
"トロイアの王子パリスにさらわれたスパルタの王妃ヘレネ(映画ではヘレン)を奪い返すため、ギリシア軍がトロイアに攻め寄せて包囲する。しかし総司令官のアガメムノンとの間に諍いを起こしたギリシア第一の豪傑アキレウス(映画ではアキレス)は、出陣を拒否してしまった。アキレウスを欠くギリシア軍は苦戦するが、そんな中アキレウスがようやく出陣、ギリシア軍が盛り返す。しかしアキレウスはトロイアの勇将ヘクトルに討たれてしまう。ところが、それはアキレウスではなく、アキレウスの武具を身につけた、アキレウスの親友パトロクロスであった。両軍は驚き、戦いはいったん中止されるが、パトロクロスの死を知ったアキレウスは怒り、ヘクトルに戦いを挑む……"
「イリアス」ではアキレウスの戦闘拒否に始まり、パトロクロスの出陣と死、アキレウスの復帰、その後のヘクトルの死までが描かれている。従って、上記に示したあらすじの部分は、ほぼ「イリアス」において、元になった場面を見つけることができる。
筋が細かく異なっている部分については要するに映画にするための都合なのだからどうでもよいのだが、上記のうち、「パトロクロスはアキレウスのふりをして出陣し、敵味方を欺いた」という流れについて疑問がある。
「イリアス」(当然ながら日本語訳)を読んで、どうもそういう場面ではなく思えたからである。「イリアス」に関するいくつかの記事(映画「トロイ」に無関係なものでも)などでは、上記のようにパトロクロスは意図的にアキレウスを装い、周囲はその通りに誤認した、その結果ギリシア軍が優勢になった、というように書かれているが、記憶では、パトロクロスは純粋にパトロクロスとして活躍しているように思われた。
そこで、「イリアス」を読み直し、以下の疑問を検討したい。
(1)パトロクロスはアキレウスと誤認されていたか。
(2)誤認されていた場合、
(2)-a.どの範囲(ギリシア軍、トロイア軍)まで誤認されていたか。
(2)-b.いつの時点まで誤認されていたか。
(3)パトロクロスおよびアキレウスは、パトロクロスの行動についてどのように意図、了解していたか。
なお、以下の考察においては、テキストとして「イリアス(松平千秋訳)」岩波文庫版を用い、引用は基本的に同書から行う。筆者は原文を読めないが、当然ながら本稿の内容についての責任は筆者にある。
2.「イリアス」のあらすじの整理
本稿に関連する範囲で、「イリアス」の筋書きを以下に示す。16歌は「パトロクロスの巻」と呼ばれるように、パトロクロスの活躍に焦点が当てられており、本稿において中心的に扱うこととなる。
・15歌まで
アキレウスを欠きながらも当初はギリシア軍が優勢だったが、ゼウスの差し金もあってトロイア軍の進撃が続き、ついにギリシア軍の船陣にまで到達してしまう。
・16歌
パトロクロスがギリシア軍の窮地を嘆き、アキレウスに対して、出陣するか、代わりに自分が出陣することを願い出る。アキレウスはパトロクロスに自分の武具や馬(戦車)、軍勢を与えて出撃させる。パトロクロスの活躍でギリシア軍は逆襲し、トロイアの城壁にまで至るが、神アポロンに自由を奪われたパトロクロスは討ち死にする。
・17歌
パトロクロスが身に着けていたアキレウスの武具をヘクトルが奪う。戦場に残ったパトロクロスの遺体を巡って両軍が争うも、トロイア軍が優勢となる。
・18歌
アキレウスはパトロクロスの死を知り、嘆く。トロイア軍はギリシア軍の陣地に迫るが、女神アテネの援助を受けたアキレウスがトロイア軍の前に姿を現し雄叫びを上げると、トロイア軍は恐れをなして退却し、パトロクロスの遺体をギリシア軍が確保する。やがて日が暮れて戦闘が中断すると、アキレウスはパトロクロスの死を悼み、復讐を誓う。アキレウスの母である女神テティスは、鍛冶の神ヘパイストスに、アキレウスのための新たな武具を作るよう頼む。
・19歌以降
アキレウスはアガメムノンと和解し、ヘパイストスが作った武具をまとって出陣。トロイア軍を次々に討ち取り、ついにヘクトルをも倒して、パトロクロスの仇を討つ。