疑問の整理――「君の名は。」(2016)再訪
・はじめに
映画「君の名は。」(2016)は、基本的には好きな作品である。細かい点については矛盾や不整合があるような気もするが、あえて触れたいと思わせないというような意味で、うまく処理しているように思う。ただし、一点、どうしても理解できない箇所がある。ストーリー上重要な場面であり、これを無視することは不可能だと思われるため、疑問を整理したい。
なお、筆者はほとんどこの映画の内容に関する誰かの意見や考察に接したことがないため、とっくに論じられ尽くして、解決済みの話だという可能性はある。筆者自身も、この疑問が、特に新しかったり珍しかったりするものではないと思っている。
また、筆者は映画以外の、小説や漫画版を見たことがないため、そちらでは解決されているのかもしれない。
・該当箇所前後のストーリー
飛騨の糸守町の女子高生・三葉と精神が入れ替わる現象に見舞われていた東京の男子高校生・瀧は、地球の付近を通過する彗星の破片が糸守町に落下し、三葉を含む多くの人々が死ぬことを知る。隕石が落ちる当日の三葉に入れ替わった瀧は、町民を救うために避難させることを計画する。
(以下、該当箇所。Blu-ray版の再生時間で1:06:20あたりから)
瀧(外見は三葉)は、(三葉の)友人に対して隕石が落ちることを話す。それをそのまま他の人に広めても信じられないだろうということで、変電所で爆発を起こし、それに乗じて高校から町役場からと偽って避難を呼びかける放送をする、という計画を立てた。友人たちにそれらの準備を指示し、瀧は、「町役場が出てこないと避難させきれない」だろうから、町長の娘であるという三葉の立場を利用し(「娘の私からちゃんと話せば、きっと説得できる」)、町長を説得しようとする。しかし、町長は瀧の話を一蹴し、隕石が落ちるということを全く信じない。その態度に瀧は激高し、同時に、外見が三葉でも、精神が瀧のままでは説得できないのかと落胆する。
(以上)
町役場を去った瀧は、本来の瀧の体が山中の神社のご神体近くにあることから、その体に入っている三葉の精神と接触するため、山中へと向かう。黄昏時、瀧と三葉はそれぞれ本来の体に戻り、初めて対面を果たす。尽きせぬ思いを交わすが、三葉は瀧に人々を救うためと促され、糸守町に戻る。友人たちと共に変電所で事故を起こし、山火事が起こったと偽って放送を流すが、避難の動きは鈍い。やがて計画が暴かれ危機的状況に陥るが、三葉は父に会い、避難を成功させ、過去は変わり、隕石は落ちたものの、町民への被害は防がれる。
・疑問点
該当箇所の瀧(体は三葉)の行動が理解できない。
瀧はなぜ町長(三葉の父)に会いに行ったか? もちろん、町民を避難させるためである。疑問なのは、そこで町長にどう話したのか、ということである。
町長は、彗星の破片が落ちてくるということを全く信じない。そのようにはっきりと声に出して語っている。ということは、瀧(くどいようだが、外見そして町長の認識では三葉)は、隕石の落下の可能性について隠さずに話したわけである。つまり、瀧は「隕石が落ちてくるからその前に町民を避難させてほしい」というように話したことになるが、これはその前後の展開と明らかに矛盾している。
瀧が友人たちと偽の爆発事故を起こそうとしたのは、「隕石の落下」という可能性をそのまま伝えても町民あるいは町長に信じられることはない、と判断したからだろう。そこで別の、避難しなければならない理由を、実際の出来事として作ろうとしたわけである。ならば、町長に「隕石の落下」を理由に避難を提案するのはおかしいのではなかろうか。
計画を話し合う時点でも、爆発事故を装うこと、高校から避難を呼びかける放送をすること、そして町長を説得して避難させることが、明らかに連続したものとして語られている。つまり、爆発事故で山火事が起きたから町民を避難させなければならない、と町長に伝えるということだろう。このため、そもそも爆発事故が起きていない時点で町長に会いに行くこと自体が不自然なのである(「しばらくしたら爆発事故が起こるから、そうなったら町民を避難させてほしい」などと説得するわけにはいかないだろう)。
このように考えられるかもしれない。
「瀧は町長が、『隕石の落下』という可能性を信じると思っていた。しかし、町長が信じたとしても、事情を知らない(信じない)町民を避難させるには何らかの口実が必要だから、爆発事故を起こすことにして、町民が避難に応じやすい状況を作ろうとした」
しかし、これは明らかに成立しない。もし上記の通りだとして、町長が瀧の計画を知っていたならば、変電所の爆破という『テロ』を黙認することになるし、知らないままだったならば、爆発事故という都合のいい偶然が起きるまで見込みの少ない避難誘導をしなければならなくなる。
むしろもっと致命的なのは、上記の想定では町役場だと偽って高校から放送を流す必要性が皆無である、という点だろう。事故以前に避難について説得できているならば、避難のきっかけができた時点で公式に役場から放送すればよいだけのことだからである。というか、最終的に町役場に公式が避難誘導を行うのであれば、どういう展開を想定するにせよ、そもそも高校からの偽りの放送は不要だろう。一応、役場が正式に動き出すのを待っていては間に合わないから、いち早く避難を呼びかけるために放送をする必要がある、という可能性も考えられはするが、無理があると思う。
あるいは、このようにも考えられるだろうか。
「瀧は町長が、『隕石の落下』という可能性を信じると思っていた。しかし、予想に反してそうならなかったため、仕方なく、町長に頼らずに町民を避難させる方法を計画した」
当然ながら、これも成立しない。計画は瀧が町長に会いに行く前から準備が実行され始めている。また、上述の通り、町役場による避難誘導が爆発事故の後に想定されていたこととも整合しない。
最小限の修正によって整合性を持たせるならば、「瀧が計画を友人と話し合う前に、まず町長を(隕石についてそのまま話して)説得しに行き、拒絶された。そこで、爆発事故の計画を立てた。しかし最終的には結局町役場に協力させる必要があるが、自分(瀧の精神)では説得できない。そこで、三葉の精神のいるご神体のところに行く」という展開が考えられるだろう。しかし、当然ながら、これは実際に制作された本作とは完全な別物でしかない。
・おわりに
この場面についてずっと考えているのだが、どうしても矛盾なく説明する方法が見つけられない。本作には不自然な点は多々ある(例えば、あれだけの期間過ごしておいて年のズレに気づかないのか?などといったこと)が、それらの大部分は、そういうものだからと割り切れると思う。しかし本稿で取り上げた点については、単に登場人物が(都合良く)見過ごしたとか勘違いしたとか、そういったことでは済まないレベルの問題が存在しているように思われる。
本作最大の山場である「瀧と三葉の対面」の場面に結びつく箇所であるため特に気になって考えてきたが、残念ながら筆者の頭では処理しきれなかったというのが、現在の結論である。