貴樹の見る明里の姿と二人の距離について――「秒速5センチメートル」再訪(4/4)
(2)高校時代の明里の制服について
高校時代の明里は、夢の中の[2]-1は別として、一貫して黒(紺?)の襟に二本のラインが入ったセーラー服である。貴樹が見間違えた[2]-2Aの姿が現実の明里の姿(制服、②-2)と一致しているが、これはなぜであろうか。
文通は高校時代まで続いていたと思われるが(56:32など参照)、写真のやりとりがなかったとすれば、貴樹に当時の明里の服装を知る機会はなかったはずである(前述の通り、写真に関する前提に疑う余地がないわけではないが、本稿ではこのように考える)。
貴樹(と花苗)の高校の女子の制服の描写として、夏服はセーラーだが、襟が水色でスカーフがない。冬服については、花苗などがカッターシャツの上にセーターを着ており、少なくともセーラー服ではない。従って、中学時代(再会前まで)のように、貴樹が身近な女子の姿を元に思い描いた、ということはなかったわけである。つまり貴樹は、現実の高校時代の明里の姿を知らないまま(能動的に想像したのではないが)、それを正確に思い描いたことになる。
中学時代には、手紙のやりとりが続いている中、そして、その年頃という事情があるとはいえ、思い切れば実際に会うこともできるという状況にありながら貴樹は、記憶と、手紙で知った断片的な情報と、身近な服装から、現実には一致しない姿を想像していた。一方で、再会と決定的な別離を経て、おそらくは手紙のやりとりもなくなってからの高校時代には、「正しい」明里の姿を、根拠となる情報も無しに貴樹は知っている。
さらに言えば、もっと先の明里の姿をも貴樹は知っていた。高校時代に夢に見た[2]-1が3-2の大人になった明里の服装と一致しているが、貴樹自身もそうだとは気づいていなかっただろう。
岩舟での別離を経て、手紙のやりとりもなくなってから、貴樹の中の明里のイメージは、現実のものとぴったりと一致し始めている。それまでの、身近で実際に目にした明里ではない姿から構成したものとは、この点が決定的に異なる。明里との距離がどうしようもないものとなってから、かえって貴樹の思い描く明里の姿は正確になっていったが、それが第一話終盤で語られた「世界の何もかもが違って見えた」ということの表れなのかもしれない。そこで貴樹は自分と明里が一緒にいることはできないのだと悟っていたが、その予感と反比例するように、明確な形で明里への思いは、より根源的なものになっていったようである。貴樹にも自覚はなかっただろうが、別離以来、貴樹はそんな「ずっと遠くの何か」を見続けていた。それが現実と一致していたとしても、あるいはだからこそ、その思いは決して結実しないものだった。その思い故に、水野やそれ以前の交際相手(映画では全く語られない)と、「心は1センチくらいしか近づけ」なかったのだろう。やがて貴樹はその「真剣で切実だった思いがきれいに失われていること」に気づき、その後新たな道に踏み出すことで、漫画版の明里のように、遅れはしたものの、「思い出にすることができた」のである。
※[2]-2A(貴樹が種子島で明里らしき姿を見かける)の時期については、特定のしようがない。貴樹が夏服であること、原付(スーパーカブ)に乗っていることから、少なくとも高校入学後の最初の夏以降というのは分かるが、それ以上は不明。原付免許の取得には十六歳の誕生日を迎えている必要があるので、仮に貴樹の誕生日が秋以降だったならば高校二年以降ということになるが、このあたりの情報は無い。