生きるための時間
今日の月はスーパームーンというやつだっただろうか。
自分には眩しすぎる月だ。しばらく暗闇の中で生活していた身にとってはいちばん明るい光源だろう。
日付を跨いでしばらくした頃。コンビニで買ったジュースにグミ、それからアイスを持って、学校の目の前の公園でボーッとしていた。
学校.......。それは魔物の巣窟だ。常に硬い盾と鋭い槍を持っていなければ、殺される。相手との間合い、空気、行動。全てに神経を注ぐ。味方にも完全には背中を預けてはいけない。最悪、致命傷を防げる距離に居なければ。しかし、悟られてはいけない。そんな世界。
何も知らなかった小学生とはもう違う。異性を気にかけるようになり、立場を気にし、自分の環境を知っていく。
「俺はもう、疲れた.......」
いわゆる俺は引きこもりだ。他人に気を使いすぎて、それが限界を突破したらしく40度の熱が2日続いた。医者によればストレスだと言われた。そしてどういう訳かうつ病なるものにかかった。
ブランコをゆらゆら揺らしながら地面を見る。
「こんな時間に呼び出しておいて何疲れてんだよ」
唯一心を許せる友が白い紙を持って近づいてくる。
「おそよ〜。いつもの事だろ」
「はいはい。ん、プリント」
手に持ったプリントを押し付けるように渡される。これも、いつもの事だ。
「敵に、お元気ですか?とか、今日こんなことありました。とか書かれてもさ、知ったこっちゃねーよって思うよな〜」
「今日は俺の番だったんだがな」
「そりゃ、悪いね〜」
友が書いてくれた明日の時間割やら、今日あった出来事に目を通す。
「で?今日は何用?まぁ、無いならないでいいんだけど、俺は2時には帰るぞ〜。お前と違って明日も学校に行くからな」
「2時か〜。お前、5時間位しか寝ないのな〜」
「いや?そんな事ないよ。学校っていうのはテストの点数と提出物さえ出しとけば何とかなるもんだからな。授業中にガッツリ寝るんだよ。先生の注意は無視だな。そういえば、国語の先生に、『あなたにどれだけ注意してると思うの?クラスの迷惑よ!』って言われてさー、うざすぎて、つい反論した」
はははと笑った顔はいつになく清々しかった。
「で、なんて言ったの?」
先生という人種は理不尽にルールを押し付け、自分が偉いとでも思っているのか自分ルールで生徒を叱る。
もちろん、それに当てはまらない少数派もいるが。
だから生徒は先生に意見する話が何よりも好きで面白いと思っている。
「『俺は自分でテストの点は悪くないと思ってます。事実、学年で10番以下を取ったことがない。提出物もちゃんと出してる。先生の授業は退屈で教科書そのままですよね?それより、自分で勉強した方がよっぽど有意義な時間だろうし、頭にも入る。出席のためだけに居てるんですよ。先生の方がクラスの迷惑なのでは?俺はさらさら授業なんて聞く気はないのに。俺に注意するのが時間の無駄ですね。』って。そしたら顔真っ赤にして『出ていきなさい』だとさ。『ちょうど、今日は過去一気分がいいので、帰って遊びます。担任の先生によろしくお願いします。』って言って手ぶらで帰った」
「なにそれ、めっちゃ面白いじゃん」
「でも、その後緊急家庭訪問しますって言われてクソ担任が来たよ。汚い足で俺の家を汚しに来た。最悪の時間だったよ。これに懲りて反撃はもうしないね。無視を貫こ」
「ははは、面白いのに〜。お前、頭いいもんな〜。そのための努力も怠らないし、凄いよ」
「はは、どーも。まぁ、お前も頭いいと思うけど?」
「過去の話だよ。今は勉強なんてしてないさ。時は中2の春で止まってる。それに、今はそんな事考えられない。なんせ、自分相手にしてるんだからな。生きること、死ぬこと。自分の存在、その価値とかずっと考えてる」
「そっか、俺はさぁお前がそんな病気にかかるまで生きるとか死ぬとか全く考えてなかったよ。でも、考えるようになった。友達が辛い思いしてるんだったら普通に助けるだろ?ただ、俺が分かってやってもお前が命を絶ったら意味無いけどな」
「生きるって、なんだろうな。何度問いかけても答えは出ない。こんなにも、死にたいと願っているのに死がなんなのかも知らない。まぁ、分かってるのは今の自分の存在価値だけだな」
「へ〜、存在価値ねぇ。答えは?」
「ない。存在価値なーし!学生の本分である勉強もしてないだろ。それに、学校すら行っていない。金を稼いでるわけでもない。なんなら、唯一の友達であるお前の時間も奪ってる。価値のない人間なのにな.......。もう、2時過ぎたなー。帰るか」
そう言ってブランコから立ち、歩き出した。
「はぁ〜。おい、待てよ。言い逃げはなしだろ。もーちょい、付き合ってやるから話聞けよ」
今日はここで終わりたかったのだが、しかたない。と、立っていた所からブランコに戻り、またゆらゆら揺らす。
「お前の存在価値あるよ。少なくとも俺にはな。お前がいてくれたから、色んなことを考えるようになったし、沢山のことを学べた。お前との出会いが俺の人生を豊かにしてると思う。それじゃ不満か?」
「不満ではない。ただな、生きるのが辛いんだ。本当に、今日はもう帰ろう。月が眩しすぎる。光に当たりすぎた」
「吸血鬼より酷いじゃないか」
公園を出て、真逆の方向へ帰る。またな。とは絶対に言わない。次は無いかもしれないから。いつも、「ありがとう。じゃあな」と言って別れる。友は「あぁ、またな」と言う。彼は次会うのを信じて疑わないという目をして。それが自分には酷く苦しかった。死にたい。と打ち明けているのに、絶対死なない。と言われているようで。
そっと家に入り、溶けたであろうアイスを冷凍庫に入れて睡眠薬やらの薬を数錠、炭酸水で喉の奥に押し込んで自室へ戻る。
イヤホンでガンガン音楽を鳴らしてベットに入ってボーッとする。目をつぶって広大な宇宙を思い浮かべていた。
宇宙から見れば自分はなんて小さな存在か.......。1人いなくなったところで何も変わりゃしないじゃないか。
それに、なんの役にも立っていない人間なんて。乾いた笑いが出た。
「死ね。死んでしまえ」と、もう1人の自分が言う。あぁ、死ぬのが正しいのか.......。
体がだんだん冷えていく。酷く寒い。何か暖をとりたい。しかし、体が動かない。正確には動かそうと思えば動かせるのだろうが、体が鉛のように重い。胃がムカムカして吐き気がする。
悲しくないのに、涙が出る。
辛くて、苦しくて、生きているのがしんどい。
このまま死んでしまえたら。毎日そう思って、気絶するように眠りにつく。
それから数日間、睡眠薬で何度も意識を飛ばして考えるのを放棄した。
時刻は午前10時40分。「やばい、ちょー早起きじゃん」いつも起きるのは3時か4時。しかも、それからまた薬を飲んで寝るというループだった。
「だりぃ〜。けど、そろそろ学校行かないとな.......。担任が家庭訪問に来るのは避けたいし。しんどい」
ノロノロとベットから移動して準備にかかる。
今日はあいにく晴れだ。空が澄み切っている。
「嫌な天気.......。眩しいわ」
とぼとぼ学校への道を歩いていく。
学校の目の前の公園で休憩する。もちろん、ブランコに乗って。しばらくして、先生らしき人が学校から出てきた。こっちに向かってくる。
「どうしたんですか?学校に入らないの?」
「どうもしてません。今から入ろうとしてました」
「一緒に行きましょう」
余計なお世話だ。と思いながら、「ありがとうございます」と口にする。
職員室に連行されて、「よく来たね」「最近調子はどうですか?」なんて言葉を躱しながら、「教室に行きますか?」と聞かれる。友には会いたいが、教室には行きたくないな.......。「いいえ」と答える。「別室がいいです」と言ったがどこも空いてないらしい。しかたない。帰ろうと思ったら、横から副担任の先生が「先生と少し話しませんか?」と、謎の問が返ってきた。反射的に「いいですよ」と言ってしまった。
隣の先生の椅子に座るよう言われた。
少し待っててと、給湯室に向かっていった。出てきた先生の手にはお盆にコップが2つ。まさか.......。カップをひとつ自分の元に置いて生徒にお茶を出す。そんな先生は見たことがない。
「波田くん、少し痩せましたね。ちゃんとご飯食べてますか?」
「ちゃんとではないですが、食べてますよ」
「そうですか。毎日何をしてるか聞いても?」
「寝てます」
そう言うと先生は、軽く頷いて
「学校が嫌いですか?」と聞いた。
「学校は.......嫌いではないです」だだ、長時間居るのは疲れる.......。
この副担任の女の先生は、3年生に上がる時に新しく赴任してきた先生だ。
面識はあるが、直接話したことはない。年齢は若くはないが、そんなに歳をとっている印象もない。
「先生は何故、俺と話そうと言ったんですか?確かに、職員室に来る回数は他の生徒より格段に多いですが.......」
「そうですね。私が赴任してすぐ話しかけなかったのは、少し波田くんのことを観察してたからなんです。それに、波田くんは保健室があまり好きではないですよね?だから、すぐ帰ってしまうことが多い。それで、話すタイミングを掴み損ねてたんです」
少し恥ずかしそうに笑ってお茶を啜った。
確かに、中学3年生の一学期終わりに不登校の生徒に積極的に話そうとする先生は少ないだろう。受験間近で先生達もそれどころではないだろうから。
「だからね、私は今日波田くんに話しかけられてラッキーだったの。今日、本当はすぐ帰る気だったんじゃない?」
「先生の観察眼は凄いですね。ほんとに、すぐ帰る気でした」
「それでね、波田くん。先生と約束して欲しいことがあるの」
「約束…?ですか?」
「ええ、出来ればで良いのだけれど、次来る日を前日でいいから連絡して欲しいの。そしたら、空き教室を押さえるからね。そこでまた話しましょ。今日はたくさん話して疲れたでしょう?言葉を交わせて嬉しかったです。ありがとう」
「いえ、話しかけてくださってありがとうございます。新しい刺激を貰えました。先生、その約束しますよ」
「ありがとう。では次会う日まで」
「はい、さよなら」
家族と友以外と久しぶりにこんなに話したな.......。と思いながら、とぼとぼ家に帰る。給食は食べなくて良かったからラッキーと思った。
小学生の時は学校で給食を作っていたから、中学校より作る人数が少なくて良く、給食が美味しかった。
しかし、中学校では合同の給食センターが給食を作るため「質より量」だった。しかも、食べ盛りの中学生だ。尚更量がいる。だから、正直に言って不味くなった。小学校の美味しい給食を知った舌には中学校の給食はきついものがあった。だから、食べずにいられてよかった。と思った。
家に帰りつくなり、マミーが作り置きしてくれてるハンバーグを食べる。うん、安定の美味しさ。
氷をいっぱいに入れたグラスに麦茶を入れて、疲れと一緒に喉に流し込む。
氷がカラン、とグラスを鳴らす。
今夜も友と会うのだ。今のうちに寝ておこう。そう思って薬を飲んだ。
日付を跨ぐ30分前にはコンビニで買い物をすませ、ブランコでアイスをのんびり食べていた。
今日は早く来すぎたか.......。そう思いながら学校を眺める。
今日のあの先生はいったい何者なんだろうか。中3の初夏に、わざわざ俺に話しかけるか?いや、答えはNoだ。こんな面倒なやつには普通話しかけない。考えながらレモンティーを飲む。今日は炭酸の気分ではなかった。
「おそよ〜。あれ?今日早く来た?アイスめっちゃ食べてんじゃん」
「おそよー。だいぶ早く来たわ〜」
「てか、今日学校来たんだってな。学年主任が話しかけてきたわ。波田今日来てたぞって」
「今日行ったのは行ったんだけど、何だか妙な事があったんだよ」
「妙なこと?」
「あぁ、新しく来た副担の先生が話しかけてきたんだよ。少し話して『次来る時に連絡してください』って言われた。その時に別室でお話するんだと」
「副担?たしか、清水先生だったっけ?」
「うーん、確かそんな名前。まぁ、先生はとりあえず先生って言っとけば話通じるから大丈夫だろ」
「まぁ、そうだな」
「お前さ、ちょっと体調悪い?なんか顔色よくないぞ?」
「そう言えば、最近体調悪いかもな。なんかだるくてさ。まぁ、大丈夫だよ。学校疲れが出てきたんだろうさ」
「そか〜。お前よくやってるもんな。あんまりキツ過ぎるようなら病院も考えとけよ〜」
「そーするわ〜」
「今日はもう帰るか。お前も体調悪そうだし」
「おー。じゃあ、またな」
そう言って友はブランコから立ち上がる。少しよろけたように見えた。
「大丈夫かよ」
「大丈夫大丈夫。帰ったらすぐ寝るわ〜」
「じゃあな。気をつけて帰れよ。バイバイ」
直ぐに反対方向を向いて帰路に着く友を見送りながら自分も家へ帰る。
「あいつ...大丈夫かな…」
レモンティーの苦味が心配を煽る。
まぁ、あいつなら上手くやるよな。と長年友として居た自分の勘を信じる。
そ〜っと家に入り、鍵をかける。
いつも通り薬を飲み自室のベッドに入る。ポワッと光る月のライト。
「お前も1人じゃ寂しいよな。今度この部屋を星いっぱいにしてやるよ。それで俺が安眠出来るか見守ってくれよな。おやすみ」
永遠と眠れるようにと思いながら眠りにつく。
「っづあぁ〜。」
変なうめき声を出しながら起きる。時刻は9時。
あれから4日経った火曜日。
まぁ、そろそろ学校行くか。いや.......何か忘れているな。学校に電話をかけるのを約束していたことに気づく。
「あ〜めんどい!」
仕方ない。としぶしぶ学校へ電話をした。副担の先生がちょうど出てくれて、了解との事だ。
学校について職員室に向かう。
「おはようございます。今来ました」
と言えば、副担の先生が近ずいてきた。
「おはよう。コンピュータ室をとってあるから行きましょう」
「はい。わかりました」
ドアを開けると冷たい風が。先生がエアコンをつけておいてくれたんだろう。
ドアから見えない席にそっと腰を下ろした先生が、隣の席をどうぞと言った視線を感じたので自分もスっと座った。
「急にごめんなさいね。私も中学時代多感な時期を過ごしたから放っておけなくて」
「先生も?」
「ええ。波田くんも私と一緒かどうかは分からないけれどね。前に話した時、学校は嫌いではないって言っていたでしょ?それで、もしかしたら。と思ったの」
「ほんとに、嫌いではないんです。クラスも良い奴が多いし...。まぁ、嫌いな奴もいますけどね。いじめとかじゃないんです。それじゃあ、なんで学校に来ないのかって言われると正確には説明出来ないんですけど」
「そっか、いじめじゃないって聞けてよかったです。先生はね、学校が大嫌いだったの。きっかけとしては、いじめだったのだけれど。そこから、精神を病んでしまった。今思えば悪くない経験だったわ」
「悪くない?」
「この歳になるまでは分からなかった。でも、その経験があったから繋がっている人も居るし、物事を色んな見方で見れるようになったの。人生は経験だと、私は思ってる。新しい体験、思想、知識が沢山あれば豊かになるって思ってるの。波田くんから見れば、何を言ってるんだって思うかもしれない。でもね、考えるって事は凄く大事だと思う。それこそ、何に対してもね」
「先生。ここで話したこと、聞いたこと。全部秘密に出来ますか?」
「はい、約束しましょう」
「俺は今...…自分と向き合ってるって思ってるんです。この世界に自分が存在している事が気に食わないほど自分の事が嫌いだけど。死のうと何度も思いました。けど、死ぬ事が出来なかった。莫大な勇気がいるんですよ。でも、それより大きな恐怖があるんです。死が何かも分からないくせに、死にたいと願ってるんです。親とか、友達が死んで欲しくないって思ってるのを知りながら。ほんとにおかしな話ですよね。考え出したら、ズブズブと暗闇にハマっていくだけなのに」
先生は俺のことをじっとみながら静かに聞いていた。
「知ったようなことを。と思うかもしれないけどね、先生もその気持ちすごく分かります。とても、とてもね。若い頃はなぜ生きているのだろうって、なぜ死なないんだろうって。毎日考えていました。でも、どん底だった私を経験と時間が救ってくれた。時間が経てば....なんて簡単に言いたくはないのだけれど、その時間の中にたくさんの思考があります。それを経験する必要があって、それを乗り越えればもっともっと自分のことが分かるようになるわ」
「時間と経験...。」
俺の中には確立した自分と他のナニカが居ることは分かっていた。そのナニカを知ることが自分を知ることになるのだろう。
それを今まで見ようとしなかった。
ナニカを見ればこの思考の答えに近づける....。
そう思ったらゾクリとナニカが俺の事を掻き立てる。
あぁ、見たくないんだ。
この答えを知ってしまうことが怖いんだ。
底のない落とし穴のことを知っていて誰が飛び込むだろうか。
見えないふりは出来るけど、存在を忘れることは出来ない。それがこのナニカなのだろう。
ナニカが見て欲しいと叫ぶのを必死に抑えながら、「今日はもう疲れました」と言って先生との会話を終わらせた。
先生は「長くなってしまっいましたね。今日はもう帰りなさい」と言って帰してくれた。
そこからの記憶は無く、いつの間にか次の日の朝4時を迎えていた。
頭が痛く、体がひどく重い。
開けっぱだったカーテンを閉め部屋を真っ暗にする。イヤホンを付けてガンガンと音楽を流す。
ベッドに寝転んで家庭用プラネタリウムを付ける。
暗闇に一際光る一番星。今にも消えそうな星だってある。
俺にとっては、友の隣とこの部屋が全てだ。
小さくも大きくもない部屋に光る星々を見て、心を塞ぐようにイヤホンをする。
未来なんて考えない。今は何も考えたくない。
そう思いながら眠りについた。