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短編とか

消えゆく雪と日陰の勇者



「お前が新しい勇者様か」


 薄暗いドーム状の屋内。石造りの建物は老朽化のせいかあちこち崩れ、倒れた柱も。

 柱が崩れたせいなのか天蓋も割れていて、曇り空の明かりが建物内を照らす。廃墟と呼んだ方が相応しい場所。


 扉のように半円に縁どられた壁が光り、光の中から若者が現れた。

 近くの石材に腰掛けた男は驚いた様子もなく、一瞥すらせずに声をかけた。



「そうらしい。あんたは?」

「覚える価値のない男さ、俺はな」


 顔も上げない男はすっかりくたびれた様子で、わずかに顔を振って若者を促した。

 出てきた扉から真っ直ぐ進んだ方向。何も映さない鏡の隣に立つ女を。


 白い。

 雪のような白いローブを纏い、その上から銀で編んだ鎖に×印が重なるネックレスをかけた美女。

 肌も白く、ほんの薄っすら唇に色が見える程度。

 ただその目は、黒地に金刺繍の施された目隠しで覆われていた。



「新たな勇者様、こちらへ」


 呼びかけられた若い勇者は、動かない中年男と美女を見比べてから鏡の方に進んだ。

 腰掛けたままの男はこれ以上話す様子はなかったし、無精ひげの中年などにこだわる理由もない。


「ようこそお出で下さいました。新たな勇者様」

「僕は……」

「ここは始まりの祠。世界新生の為の聖地で、朽ちかけたこの世界の象徴でもあります」


 朽ちかけた世界。

 崩れかけの廃墟がこの世界の象徴だとすれば、滅びが間近だと目で見てわかる。


「私は【境内の雪】。勇者様を送り出す役を負った巫女です」

「巫女?」

「鏡をご覧ください、勇者様」


 廃墟の壁にかけられた大きな鏡。

 建物の他と違いどこにも欠けはなく、けれどその鏡面には何も映さない。

 目の前にいる勇者も、廃墟の様子も映さず。ただぼんやりと霧がかかったように漂うものだけが波打つ。



「何が見えますか、勇者様」

「なにって……うん?」


 何も見えないと答えようとしたのだろう若者が、目を瞬かせて鏡の中に見入る。

 霧がかかっていた中に何かが見つかったかのように。


「人が……人々が殺されている」

「そこに映るものは近い未来。あなたの行く先での出来事になります」

「そんな……逃げる人や、路端で泣いている子供まで」

「もう三百年以上続いています。この地球に彼らが現れて以来」


 彼ら、と若者は訝しむ声を上げた後、瞳を見開いて鏡を凝視した。

 見える光景に変化があったらしい。



「なんだ、黒い……人型の」

「悪魔と呼ばれています。人類史二十一世紀に突如として現れた異界からの侵略者です」

「二十一世紀って……ここは僕たちの未来なのか!?」


 説明を聞いていた若者が、自分のいた世界との関係に気づいて声を荒げる。

 自分が暮らしていた世界の行く末がこの廃墟なのかと。


「答えてくれ! ここは――」

「……」


 廃墟に響く若者の声は、後ろの中年男から漏れた溜息を掻き消す。

 雪と名乗った女は若者の怒声に似た声にも慣れた様子で、ゆっくりと首を振った。


「あなたの世界とこの世界の連続性についてはわかりません」

「連続……?」

「繋がっている過去と未来なのか、別の鏡の世界なのか。ここにいる私には何も確証がありません」


 肯定も否定もできない。この場所から見えるものは、何も映さない鏡と勇者が現れる扉。あとは朽ちかけた廃墟の空だけ。


「あなたが聞いた以上のことは私にもわかりません」

「僕が聞いたこと……聞いたのは、世界を救ってくれって……」

「あの扉は世界を救う可能性をもつ勇者を導く。ここは古い聖地で、そう言い伝えられてきたそうです」

「……」

「私の役目は、現れた勇者様に鏡の導きを伝えること。勇者となったあなたに飲食は必要なく、病とも無縁です。そして」



 白い手が伸ばされ、壁の大きな鏡に触れる。

 水を掬うように鏡を掬い取った。

 小さな手の中で靄のように鏡が形を変えて、楕円の板へと固まった。


「これが、勇者様を導くでしょう」

「手鏡?」

「あなたが進む道、近い未来を示します。他に特別な力はありませんが」


 渡された鏡の一片と壁の大鏡を見比べて、若者も大鏡に手を伸ばしたが硬い感触を受けるだけで掬い取ることはできなかった。



「大鏡が示すのは一年ほど先の未来。その手鏡が映す未来は明日明後日程度までですが。強く目的を念じて見れば道を教えてくれるはずです」

「……わかった」

「どうか世界をお救い下さい、勇者様」


 頭を下げた女性に対して、若者は手の中の鏡を胸に当ててうなずいた。

 状況は理解したというように。


「僕の未来かわからないけど、この地球を救う。それが僕の役目なのか」

「はい」

「僕の他にも勇者が?」

「十数年に一度。ですが」

「……」


 終末に向かう世界を救う為に神が遣わした勇者。

 扉をくぐる前にそういう説明も聞いていて、ただここが地球だとは知らずに。

 過去の勇者もきっとそうだったのだろう。そして世界は救われていない。



「世界を救えば元の世界に帰れるって聞いたけど、騙しだよね」

「……」

「ここが地球の未来なら、世界を救わなければ僕の未来そのものがないってことなんじゃないか?」

「わかりかねます」


 異世界……ではなくて、地球に転移して地球を救う物語。

 唐突に投げ込まれた話だったとしても、二十一世紀を生きる若者ならどこかで聞いているような定番のストーリーだ。


「ここは日本なのかな?」

「国の名前は失われたかもしれませんが、かつて根の国と呼ばれた場所だそうです」

「根の国……スサノオだったかな。わかった」


 もう一度手の中の鏡を見て、何かを確信したかのようにはっきりと頷いた。

 手鏡を胸のポケットにしまい、出立の意思を表す。



「僕が、この世界の破滅を止めてみせる」

「お願いいたします」

「行き先も、なんとなく感じる。やれると思うんだ。だから任せてほしい、ええと……」


 若者は少し迷ってから、目隠しに覆われた女性に向けて笑顔を浮かべた。


「僕に任せて。雪さん」

「……」



  ◆   ◇   ◆



「手ぶらで行くのは無茶だぜ」


 それまで黙っていた中年男が、若い勇者に声をかけた。

 そして、手元にあった瓦礫の中から握りやすそうな棒状の塊を投げる。


「っと」

「そんなもんでも役に立つだろう。この辺りは悪魔どもの中枢から遠い。単体のはぐれ者や斥候程度の連中なら今のお前でも倒せるだろうよ」


 勇者としてここに出現する際に戦う力を授かっている。

 実戦経験の不足はあるが、少数の斥候相手なら十分に戦えるだけの力を。

 投げ渡された石材を受け取っただけでも、動体視力も筋力も格段に向上しているだろうことはわかったようだ。



「倒したら連中の武器を奪えばいい」

「あんたは、ついてきてくれないのか?」

「俺は戦えねえさ。前に足をやっちまってな」


 座り込んだままだった理由がわかれば納得する。

 足を痛めていれば満足に戦えない。

 それでも新しい勇者の門出に、ほんの少しの助言を与えた。



「あんたも、もしかしてゆう――」

「出来損ないにゃ過ぎた呼び名だ。やめてくれ」

「……わかった」

「連中の本拠地は昔の東京だ。もう見る影もないがな」


 悪魔が現れてから三百年。その中心地となれば当時の面影などあるはずもない。


「世界中の人口密集地に出現したんだと。学説じゃあ、過度に密集した人間の魂が臨界を超えて、核融合だとか重力崩壊みたいな現象を起こしたんじゃねえかって話だ」

「魂の重力崩壊、か」

「その影響で裏側の魂がこっちに出てきたってな。まあ誰も魂の実証なんてわからんから、ただのホラ話かもしれねえがな」

「真実かどうかはともかく、実際にいるならそんな理由もあるんだと思うよ。ありがとう」


 名前を、と言いかけた若者に、中年男は面倒そうに手を振った。

 しっしっ、と。

 戦えなくなった過去の勇者。名前なんて聞くなという態度に若者は嘆息し、そこを後にした。

 向かうべき道は手鏡が教えてくれるのだから、地図も必要ない。




 若者の姿が消えてから、月が三度上がり、沈んで。再び空に昇る。


「……」

「また、行かれるのですか?」


 立ち上がった男に女がかけた声は、質問という響きではなかった。


「いつもと同じだ」

「足が、お悪いのでしょう?」

「知ってるだろ、いつもの嘘さ」


 片足を上げてぶらぶらとさせてから、また両足で瓦礫の散らばる地面を踏んで肩をすくめた。


「いつもと同じだ」

「雪さんと、呼ばれました」

「……」

「最初の、あなたと同じです」


 女に背を向けたままぼさぼさの頭を掻き、無精ひげの頬を撫でてから。


「俺も、あんなだったか……」

「身なりは彼のようにきれいではありませんでしたが」

「お前でも冗談を言うようになるんだな」

「いいえ、事実です」

「……」


 表情が変わらないまま言う女に、男は楽しそうに体を震わせた。

 もう三百年も前から見てきたその顔は、背中越しでも容易に想像できる。



「見えているんだな、その目」

「あなたでも冗談を言うのですね」

「いや、今まで聞いたことがなかったからよ」

「鏡に映ったものは見えます」

「それ、映ってんのか?」

「どうでしょうか。私には見えませんから」


 意味の通らないやり取りを交わしてから、男は軽く足元の石を蹴飛ばした。

 からん、からんと。転がっていく石ころ。

 今までいくつも蹴り落としてきたものと変わらない。



「神様に唆されて、勇者の力と使命をもらって……なんだって俺みたいなのが最初だったのかね」

「……」

「お前もとんだ貧乏くじだ。こんなことに三百年も付き合わされてよ」

「勇者を導くのが私の役です」

「俺は……道を逸れちまったからな」


 ふいにもらった力は、自分が万能のヒーローになったような気分をくれた。

 世界を救うというわかりやすい使命は、わけのわからないこの状況を楽しいゲームのスタートのように錯覚させた。

 平常心だったのなら、急にこんなことを言われても無理だとか嫌だとか言っただろう。


 力を得て浮かれる。

 案外、扉をくぐる時の光が酔いにもにた高揚感を与えているのかもしれない。

 大鏡が見せるものは嘘ではなく、ただ厳選したように可憐な少女やいたいけな子供が殺される場面。

 早く助けに行かなければと思わせるように仕組まれている。


 あれが老人や粋がった男が惨殺される光景なら、別に放っておいてもいいかと考えてしまうかもしれない。

 報道などでも使われる、より強く同情を集める絵を見せるのだろう。勇者の性格によって見せるものが違う可能性もある。



「お前は境界線の中の雪。鏡に映り残った雪粒」

「……」

「世界が救われればこの鏡も消えて、お前も消える」

「はい」

「この手鏡は強く望んだものを教えてくれるってな……そいつは本当に神様に感謝だぜ」


 男が胸から取り出したのは割れた手鏡。

 誰かが強く握り込んだように鏡面にびっしりとヒビが走ってもう何も映さない。


「あの勇者くんに世界は救わせねえ」

「……」

「少しでも長くここがあるように、ある程度は頑張ってもらうつもりさ。いつも通りな」


 この雪が消えないように。

 その為だけに道を変えた。


「使命を果たす為にってんならよ。俺が危険だって教えてやったっていいんだぜ」

「私の役は勇者を導くこと。他にはありません」

「……そうだったな」


 三百年もの間、この扉が光り現れた勇者に同じことを繰り返す女。

 そして、その役を終わらせぬ為に戦う男。



「……あんまり離されると見失う。こっからは鬼ごっこだ」

「行かれるのですね」

「俺が帰ってこなけりゃそん時はいよいよ、世界が救われるかもしれねえなぁ」


 神の与えた使命のままに。

 憎き悪魔を打ち滅ぼして。


「そいつが何よりってもんだ」


 後ろ手を振って歩き出す男。

 その背中をいつも通りに見送る女。だったけれど。


「あの」


 言葉がかけられた。

 三百年の間で初めて。


「……」

「お気をつけて……行ってらっしゃいませ」

「……あぁ、行ってくる」


 まるで当たり前のような挨拶を交わすのは、きっと最後になるのだろうと。



 鏡の中の雪が語ることなどない。

 陽が差せば消える雪。


 けれど雪粒だって、月の光を受ければ瞬き返すことだってあるのだ。

 その輝きはとても儚くて、目にしても気に留める者は少ないのだろうけれど。



                 ~ 終わり ~


 その後、彼は若き勇者を助け世界を救う。

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