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おばあちゃんの口にタオルを詰めるまでの私の個人史

作者: マボロショ

新聞記事(2020年11月4日の「毎日新聞」)を読んで、この若い女性の身の上を、モノローグ風に書いてみたいと思い出しました。



私は、1998年生まれ。今、22歳です。


2000年、両親が離婚しました。あまりに幼いころのことで、いきさつとか、理由とかは、わかりません。

私は、母親に引き取られて、母子寮で暮らしました。

私が、小学校1年生の時、母は、脳出血で急死しました。

私は、児童養護施設に移りました。そんな私を引き取ったのが、父親の母親、私から言えば、祖母でした。

その時、とてもうれしかったのを、今も、覚えています。

当時、祖父もいましたから、3人で暮らし始めたというわけです。

祖母は、可愛がってくれました。生活の面倒を見てくれるだけでなく、短大までの学費も、すべて、出してくれました。ピアノも買ってくれました。私の、幼稚園の先生になりたいと言う夢を、ずっと応援してくれました。

生まれ変わるとしても、また、おばあちゃんの所に生まれたい。そう、思います。


祖母は、とてもやさしいのですが、その反面、気性の強い所もありました。

「あんたは、借金ばかり作った母親から生まれたんや」と、すごく、怒られることもありました。

私がこの世に生まれて来たのはマチガイだったと言われているようで、そんな時は、とても、つらかったです。

そういうことが何度もあると、私の心は、大揺れに揺れて、中学生のころは、睡眠薬を多量に飲んで、救急車で運ばれるというようなこともありました。何度も、です。

お医者さんから、「おばあちゃんと、同居しないように」と言われて、父親の妹に当たる人、叔母の家に住むことになりました。

お陰で、落ち着きを取り戻しました。


2014年、祖父が亡くなり、祖母の一人暮らしが始まりました。


2019年2月、祖母が、自宅前の坂道で転倒し、入院しました。 診断は、アルツハイマー型認知症。

要介護4と、認定されました。排泄なども、自分では出来ないほどです。


4月、憧れだった幼稚園の先生になりました。


祖母は、退院し、自宅に戻りましたが、深夜に徘徊。近所の家の呼び鈴を押したりします。


「一人で置いておくのは、あぶない」ということになりました。


問題は、誰が介護するか、です。


私の父には、手足がしびれるという持病があります。ムリです。


父の兄、伯父は仕事が忙しく、これもムリ。


父の妹、先にも話した叔母です。小さい子供がいて、手がかかるから、ムリです。


この叔母が言いました。「おばあちゃんに学費を出してもらったんや。あんたが介護するのが当然やろ」


それで、介護は、私がすることになりました。


念願の、幼稚園の先生になって1か月。祖母の介護も、することになったのです。

7年ぶりの同居生活でした。


祖母はデイサービスを利用していました。

ということは、夜と、土、日は、自宅にいるということです。


仕事も初心者で、疲れます。


やっと帰宅しても、祖母の夕食を作ります。食べさせます。

排泄も、1、2時間おき。その度に、シャワーも使います。深夜徘徊にも、付き添います。

睡眠時間は、2時間くらい。


オムツ代、食費も、私が負担しました。


幼稚園で、上司や同僚に、そういう話をしても、信じてもらえず、「うそつき」だと言われたことさえあります。

父と叔母にも訴えましたが、叔母は、「それくらい、コントロールすればいいやん」と言うだけ。

祖母担当のケアマネージャーと直接連絡を取ることも禁止されていました。

ただ、「あなたが、面倒を見て」というだけ。


5か月ほど経った、ある日、まだ暗い5時半ごろ、隣で寝ていた祖母に起こされました。

「汗をかいた。拭いて」と言います。

タオルで拭きました。それでも、「親をないがしろにする」と怒鳴ります。孫と、娘とを混同したのでしょう。温かいタオルで拭き直しましたが、今度は、「あんたがおるから、生きていても楽しくない」と言います。

「ごめんね、ごめんね」と言ったが、祖母の不満は続きます。

「もう、やめて。黙って………」と言いながら、タオルを祖母の口に押し込んだのです。


祖母は、動かなくなりました。

「おばあちゃんが死んだ。………私も、死のう………」そう、思いましたが、思ったようには、できません。


110番に電話しました。

「おばあちゃんを殺してしまいました」


2020年9月9日、地裁で、裁判員裁判が始まりました。


そこで、明らかになったこと。


疲労とストレスが原因でしょうか。腎臓を痛めて、重い貧血になっていたし、「軽い鬱病」とも、診断されていたようです。医師からは、退職か、休職を勧められていました。


叔母は、検察側証人として、「介護は、家族みなで頑張った」と言いましたが、ケアマネージャーは、「祖母の入院を勧めたけれども、叔母たちが、拒否した」と証言しました。


私が、おばあちゃんの口にタオルを押し込んだという事実は、事実です。


その背景について、弁護側は言います。

「睡眠不足や、介護が原因となった適応障害によって生じた心神耗弱」と。


検察側は言います。

「責任能力はある。冷静に行動している」と。


判決は、「懲役3年、執行猶予5年」でした。 

裁判長の言葉の中に、「心身ともに疲弊していた。強く非難できない」「叔母の意向に反することは、できなかった事情も認められる」「自分で110番するなど、反省している。更生が期待できる」などが、ありました。


保護観察所の世話で、住まいは、確保出来ました。


就職活動をしても、「ブランドイメージがありますから」と言って、もう、幼稚園の先生には、戻れそうにありません。

やっと、パートの事務につきましたが、ピーピーの生活状態です。


介護される人になるのは、もちろん、大変なことです。でも、介護する人のことも、分かってもらいたい。これが、私の、今、特に、言いたいことです。


力不足で、追い詰められた感じが、うまく描けなかったのではないかと、心配しています。

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