02 Night_side
Night::Side ――九月十五日、二十四時十五分
「はーい十五分遅刻ゥ。給料1割カットな」
けだるそうな声が響く現場には大人が十人程集まっているが、どれもガタイが良い人間ばかり。
「――樋場さん。たまたま早く来たからって、その言いぐさはあまりにも絶対王政過ぎません?」
その声に、明後日の方から加勢がやって来る。
「そうだそうだ、水楔の言うとおりだぞ樋場。仕事疲れの大人を深夜に狩り出すとか、ブラック企業の社長かお前は」
樋場と呼ばれた少し背の高い女性は、持っていた杖を、その声の方へ向けて応えた。
「申し訳ありませんね、玄間先生。保健室のお仕事はとてもお忙しいご様子で?」
玄間先生と呼ばれた彼女は、樋場――樋場莉玖からそう突かれると、ばつが悪そうに三歩退く。
「……ッ。久々にそっち側からの仕事だと思ったら、不審者捜しだって言われたから、テンションが下がってるんだよ」
玄間が話す度、他の人間は聞き耳を立てているような仕草をする。どうも、他の人物から一定の距離を置かれているようだ。
「あぁ。これはお前に適任だと思って選んだ、それだけの話だ。……まぁ、お互い色々あるだろうが、ここは私に免じて、協力してやってくれ」
樋場莉玖は、彼女ら――異能の力を行使する存在を統括する組織『協会』の筆頭大主任である。数十年前にこの世界に降り立ち、現在もなおその権力を維持し続ける、異世界からの流れ者の内の一人だ。
そもそもこの世界にその存在がやって来たのは、今から四十年以上前の事になる。所謂、魔法・オカルトの類を肯定してしまう事は、取りも直さず常識を覆してしまう一大事であるが――それがここに至るまで、一般人に対し秘匿され続けている事は、間違いなく彼女たちの功績である。
ビュウ、と風が吹いた。
「これで全員か?」
玄間の声に若干苛立ちが混ざる。
「いや、あと一人来れば始められる」
樋場がそう言うのと同時に、彼女の背後から、足音も無く少女が現れた。
「……遅れた」
風に、彼女の長髪が靡く。
「いいや。忙しい中ご苦労、桐生芽衣」
桐生芽衣という少女はジトッとした目つき、だぼっとした服装で、上下をジャージに包んだ玄間に比べれば、かなり浮いていた。
――その俺との扱いの差は何だ、と玄間が暴れるのを周囲が諫めるため、一行は更に五分遅刻しての出立となった。
「ま、いくら遅れようと、どうせ目の前だしいいんだが……」
それは、先ほど瀬堂海和と栖漫玲が探検をしていた、竹やぶだった。
樋場を先頭に、玄間、そして水楔、更に男が二人、しんがりに桐生芽衣。樋場はまるで一度通ったことがあるかのように、迷わずにずんずん進んでいく。そして、これまで通ってきた道と見た目にあまり変化が見られない所で、彼女が足を止めた。
「ふむ――おい、七女」
樋場は水楔に目配せする。
「あいあいさ! はい、樋場センセ!」
すると水楔絢は背負っていたリュックから、シャベルを取り出して彼女に渡した。樋場はそれを掴むと、屈んで目の前の地面を掘り起こし始めた。やがて、何かを確認すると、立ち上がった。
「――報告通りだな」
そこは、先ほど二人が歩みを留めた、『犬の足』があった場所だった。
「つまり、この先は……」
大きめの懐中電灯で、樋場がその先を照らすと――そこには、地獄のような光景が広がっていた。
まるで貝塚のように、野生動物の骨、肉片が食い散らかされていた。中には猫の首や中身の無いカラスの胴体等、人間のモノは無かったが、常人は間違いなく嫌悪感を催す状態となっていた。
「すげえ。これは人間が襲われるのも時間の問題ですかね」
「ああ。だから、ここで狩る――」
樋場がそう言った瞬間。
小さな影が懐中電灯で照らされていない場所から飛び出し、彼女の首筋目がけて飛びかかってきた。
「樋場!」
明夜が叫ぶ。同時に、何かが砕ける音と、肉がはじける音。
「なぁる程な、それで私が呼ばれたワケか」
樋場莉玖の首は、まだ繋がっていた。
その代わり、玄間の右腕の肘から先が、消し飛んでいた。
「明夜、撃て!」
瞬間、隣に居た戸隠明夜が、懐から取り出した大玉を銃に込めて打ち出すと、それはその影の目の前で爆散し、大きなキャプチャーネットとなって、それを包み込んだ。
影がその事態にもんどり打って倒れるのを見、樋場は懐中電灯を取り出して、それを照らし出す。
「見ろ、アレだ。あれが――喰人種だ」
そこには、黒々とした髪を腰よりも長く伸ばした少女のような体躯の何かが、樋場の右腕を何とか噛み千切ろうと奮闘している様子だった。
瞳孔は人間とは思えない程に見開かれ、光を与えたこちらには目もくれず、やっと得る事の出来た肉に興味津々といった様子だった。
「グウル、だぁ?」
「そうだ。こいつらは肉食、しかも人間の肉しか食わない。代替物として犬畜生どもを食っていたようだが、どうやらそれで欲を満たすことは出来なかったらしいな」
「殺すか?」
「いや、保護する。それが『協会』の方針だ」
ええっ、と玄間は不服そうに叫び、先の無くなった右腕をブラブラとさせながら、樋場に詰め寄る。その腕の残った部分に骨は無く、機械のようなケーブルが何本も露出していた。
「右腕一本で済んだと思えよ。保護なんてしたら、監視職員が毎日一人ずつ消える事になるぞ」
「価値観にそぐわないから殺すというなら、この世界から戦争はなくならんぞ? それはお前が一番よく知っていると思ったのだがな」
でも、と玄間は引き下がらない。
「こいつのメシとして用意されなきゃいけない人間の方が、よっぽど保護する価値のあるもんだと思うぜ」
「そこは教育次第だな。人間を食わなくて良い手段で矯正出来るならそうするし、人間でしか満たせないのならば火葬場のバイトでもさせよう。――玄間。お前が考えているほど世界は厳しくないぞ」
それじゃ本末転倒だろうがと叫ぶ玄間を尻目に、明夜が樋場の方へ歩み寄る。
「学校にはどう言っておく?」
「噂なんて七十五日、放っておいて問題ないだろう。掃除は今日明日中にしておいて、興味を持った生徒が忍び込んでもショックを受けないようにしておくことにするよ」
樋場がそう言うと、桐生芽衣は少しだけ明るい声で、「よかった」と呟いた。
†
鉄格子に囲まれた部屋の中で、手と足と首とを鎖で繋がれた少女は、近づいてきた樋場に容赦なく牙を剥く。それに対し、監視役が彼女を下がらせようとするが、当人は容赦なくそれを振り払う。
檻の中は食い散らかされた配給品と、自分の排泄物とで、流石の彼女でも一瞬だけ顔をしかめるような光景だった。獣のような呻き声を上げているのは、数日前に竹やぶで拾った喰人種の少女。
乱れた黒い髪の毛は地面に付くほど長く、瞳は炎のように赤い。
「お疲れ様です、筆頭大主任……喰人種の少女ですが、毎日このような調子で……」
「バァーカ。お前らが『世話を掛ける』つもりで接するからだろうが。そんな態度取ったら、反感を買うだけだっつうの。侵略と略奪の政策に対する反抗の歴史を知らんのか」
樋場は言葉を吐き付けて、ゆっくりと彼女へと歩みを進める。
「すまんな、ファタンブール。人間を人間と呼称するのは我々の中で礼を失する事に当たるものでな、よって、君にもこの名前をプレゼントしようと思う」
そう言うと、少女の呻きは突然収まる。
「言葉を教えたはずなのに、敢えて話さなかった。誰よりも賢くて、誰よりも純粋な君だからこそ為しえる芸当だ。そうだろう?」
「……」
――a month after
「――おい樋場、今日のメシはやたらと美味いじゃねえか」
エビチリをばってん箸でつまみながら、男が感嘆する。
「普段から霞を食って過ごしてるようなお前が言うと、信頼性という言葉の意味を辞書で調べたくなるな」
「タダメシだから傾斜配点が弾みますね。もう傾斜を超えて坂ではなく縦ですね。あぁ、こんなメシがここで食えるなんて、人生何が起こるか分かんねえなぁ」
男が適当な世辞を垂れ流すのを尻目に、樋場は向こうの調理場に立つ、割烹着に身を包んだ少女を見やる。
「あぁ、全く。何が起きるか、な」
食人種の少女は笑いながら、鉄鍋を振るい続ける。
あなたは、この主人公をどちらの性別だと思って読みましたか?