失意
「……ここは」
デルタが意識を取り戻すと、見知らぬ天井が見えた。
体の様子を見てみたが、下手をしたら凍死する直前だった状態とは思えないほどに回復していた。周囲を見渡すと、どこかで見覚えがあるような感じだった。
どういうことだ?
デルタが思案していると、静かに部屋の扉が開いた。
「あっ、気が付かれましたか」
入ってきたのは、レアルの屋敷でメイド長を務めているタチアナだった。
「ということは、ここはレアルの」
「はい、レアルお嬢様のお屋敷です」
半ば独り言のようなデルタの言葉に、タチアナはそう答える。
「具合はいかがですか。氷漬けになったあなたが運ばれてきた時は、本当に驚いたのですよ」
「ああ。あなたが助けてくれたのか」
タチアナに言われて、デルタはどうして自分がここにいるのかをおぼろげながら理解した。
「正しくは、あなたをここまで運んでくれた方と、治療してくれた神術使いの方ですけどね。もう少し処置が遅れていたら、命が危なかったそうですよ」
「そうだったのか……レアルは!?」
そこで、デルタはレアルがさらわれたことを思い出した。
「残念ですが、お嬢様は……」
タチアナは小さく首を振った。
「すみません。俺にもっと力があれば……」
デルタは頭を下げる。
「どうか、頭をお上げください。あなたが全力を尽くしたこと、その上でこのような結果になってしまったことは、わかっていますから。誰も、あなたを責めることなどできません」
「ですが、あなたにもレアルのことを頼まれていたのに」
「それ以上はいけません。ああ、そうでした。あなたが目を覚ましたら、旦那様の所に案内する
ように言われていました。動けそうですか」
タチアナは思い出したかのように言う。
「ああ、大丈夫だ」
デルタはベッドからゆっくりと起き上がった。
目を覚ましたばかりで、若干意識がはっきりとしていない感じもしたが、そんなことも言ってはいられない。
ミハエルに謝らなければいけないし、何よりも、これからのことを考えないといけない。
が、まだ完全に回復しきっていなかったのか、立ち上がると同時によろけてしまう。
「ご無理をなさらずに。もう少し、休まれてからでも構いませんよ」
そんなデルタを、タチアナはすっと支えた。
「いや、こうしているうちにも、レアルが何をされるかと思うと、いてもたってもいられない」
「わかりました」
タチアナに支えられながら、デルタはミハエルの元へと向かう。
「旦那様、デルタ様が目を覚まされましたので、お連れしました」
ミハエルの部屋の前で、タチアナは扉を数回叩いてからそう声をかけた。
「ご苦労。入ってくれ」
「失礼します」
ミハエルの返事を確認すると、タチアナは扉を開いた。
「デルタ君。体調はどうかね」
デルタの姿を確認すると、ミハエルはそう言った。
「はい。あのまま放っておかれたら、そのまま死んでしまうところでした。助けていただいて、ありがとうございます」
「それは何よりだ。まあ、立ち話もなんだからかけたまえ。タチアナ、お前は下がりない」
ミハエルに促されて、デルタは席に座る。
「では、失礼致します」
タチアナは一礼すると、すっと部屋を出た。
「すみませんでした。レアルのことを頼まれていたのに」
デルタは深く頭を下げた。
「君はよくやったと聞いている。だから、頭を上げたまえ」
ミハエルは諭すように言う。
「どういうことですか」
「念のため、人をつけておいた。その者達からの報告で、君が奮闘したことは聞いている」
「人を、ですか」
「こんなことなら、戦闘能力のある者をやるべきだったかもしれんが。だが、生半可な者を送ったところで、返り討ちにされるのが落ちだっただろうな」
「そうですね」
デルタは曖昧に頷いた。あれだけの技量を持った相手だ。一人二人増えたところで、どうにかできたとは思えなかった。
「それに、あの護衛ども。上はそれなりに技量がある人間を配置した、と言っていたが。君のように詫びることもせず、自分達に責はないと言い出す始末だ」
ミハエルは憤慨していた。
「何を言い出したんですか」
デルタは興味半分、恐ろしさ半分といった感じで尋ねる。
「自分達は三人で倍もいる六人と戦った。だから、負けたのは仕方ないと。しかも、君は従者のくせに一人相手に全く手も足もでなかった、とまで言い出す始末だ」
「そうでしたか」
デルタは何とも言えない表情になっていた。
レアルを守れなかったのは事実だし、手も足も出なかったは誇張にしろ、ドロクには一方的に負けたことも否定できない。
だが、大して役にも立たなかった護衛達に好き放題言われるのは納得できない話でもあった。
「まあ、全て報告は受けている。君がどれだけ奮闘したのか、一人で四人もの相手を倒したこと。最後までレアルを守るために戦ったこと。そして、レアルを庇って氷漬けにされたことも。だから、そこまで自分を責めるようなことはしないでもらいたい」
孫娘がさらわれたにも関わらず、ミハエルはデルタを責めるようなことはしなかった。
「ですが……」
「それに、だ。ここで君を責めても何も始まらない。今後どうするかを考えた方がよほど建設的だろう」
「はい」
ミハエルに言われて、デルタは頷く。
「巡礼の神術使いが誘拐された、となれば上層部も動かざるを得ないだろう。国の総力を挙げて、レアルを探すこともできるかもしれない。一応、奴らの後をつけさせてはいるが、こちらは望み薄だな」
「俺は、どうすれば」
「今は体を休めたまえ。然るべき時が来たら、すぐに動けるようにな」
「はい」
デルタは返事をしつつも思案する。レアルの居場所がわかったところで、ドロクをどうにかできないことには始まらない。だが、短期間でドロクに匹敵する力を身に付ける手法が思い当たらなかった。
「君一人で、何でも抱え込もうとするな。必要とあれば、私も協力は惜しまない」
そんなデルタの様子を察したのか、ミハエルはそう言った。
「ええ、わかりました」
ミハエルの言うように、一人でできることには限りがある。それに、今はできることは何もない。はやる気持ちをぐっと抑えた。