結界崩壊
「えっと、上位魔術の使い方は……」
アンナは囁くようにして、上位魔術の使い方を復唱する。
「手に魔力を籠めて……」
そこで、はっとしたように動きを止めた。ジネマに上位魔術を使うところを見られたらまずいことに気付いたからだ。
アンナはジネマの方を気付かれないように見やった。
やはりというか、ジネマはヒルダの方を注視しているようで、こちらにはさして注意を払ってはいなかった。
「一応、念のため、と」
アンナはジネマに背中を向けると、手を隠すようにして魔力を籠め始めた。
前は魔力の籠め方を失敗したから、今度は失敗しないように……
アンナの右手に魔力が集まっていく。もう十分に溜まったようにも思えたが、念のためもう少しだけ溜めることにする。
だが、その判断が良くなかった。
アンナの右手に溜まった魔力を見て、回りの生徒達がどよめき始めたからだ。
「あっ」
アンナがそれに気付いたのとほぼ同時に、ジネマも異変に気付いていた。
「貴様、何をしている!」
「させませんわ!」
アンナの所に飛び掛からん勢いで走り出したジネマの前に、ヒルダが立ちはだかった。
「アンナさん、こちらのことはわたくしが何とかいたしますわ。アンナさんは早く結界を」
「はい、姫様」
ヒルダにそう返事をすると、アンナは急いで魔力を溜める。
「まさか、お姫様以外にも上位魔術の使い手がいたのか」
ジネマは邪魔をするヒルダに拳を突き出した。
「風よ……障壁となって我を守れ!」
ヒルダが作り出した風の障壁は、ジネマの拳であっさりと砕かれた。だが、ヒルダの体までは拳が届くことはなかった。
「ちぃ」
ジネマは小さく舌打ちすると、再度拳を突き出した。
「風よ……刃となって切り裂け!」
ヒルダは風を刃にして、ジネマの拳を切り裂こうとする。
「こざかしいわ」
ヒルダが放った風の刃は、ジネマの拳によって霧散していた。
「いくらお姫様とはいえ、まだ学院の生徒。教師をも簡単に無力化できる俺を同行できるとは思うなよ」
「ええ、その通りですわ。わたくし、最初からあなたを倒そうなどとは考えてはいませんもの」
「何だと?」
ヒルダの言葉に、ジネマは一瞬だけ思考が止まった。
「まさか、最初から時間稼ぎのつもりだったのか」
そして、すぐにその意図に気付いた。
「その通りですわ。アンナさん、お願いします」
「はい、姫様……雷よ、稲妻となって貫け!」
ヒルダの言葉を受けて、アンナは雷の上位魔術を結界目掛けて放った。
結界に強い衝撃が走る。
そして、徐々にだが結界にひびが入っていった。
「やってくれたな」
ジネマは忌々しげに呟いた。
「さあ、皆様。結界は破られました。早くお逃げください!」
結界が破られたのを見て、ヒルダはそう叫んだ。
「そう簡単に逃がすと思っているのか」
「もちろん、わたくしがあなたの邪魔をさせていただきますわ」
再度、ヒルダはジネマの前に立ちはだかる。
「……考えようによっては、お姫様一人でも人質としての価値はある、か」
ジネマはしばし思案した後で、そう結論を出した。
「姫様! 一人でそんな奴の相手をするなんて危険すぎます」
アンナは思わずヒルダの元に駆け寄っていた。
「アンナさん、あなたも早く逃げてください。あなたは立派に仕事を果たしてくれました。ここからは、わたくしの番ですわ」
「でも……」
「それに、たとえ勝てそうにない相手だとしても、民を脅威から守るのは王族としての役目。わたくしも、曲りなりにこの国の姫です。王族としての責務を果たしますわ」
「……わかりました、どうか、お気をつけて」
ヒルダの決意が固いことを悟って、アンナはそう言うことしかできなかった。
「はい、ありがとうございます」
そうこうしているうちに、室内にいた生徒達は半分近く避難していた。アンナもそれに続く形になって、その場を離れていく。
「別れの挨拶は終わったか」
「あら、待っていてくださるなんて、随分とお優しいのですね」
「お前はこれから生き地獄を見ることになるからな、せめてもの情けだ」
ジネマは腰を低く落とすと、いつでも拳を繰り出せるように構えた。
「わたしくとて、この国の姫として相応の魔術教育、そして実戦教育も受けております。そう簡単にはいきませんわ」
ヒルダの右手に風が宿った。
「ふん、その強がり、どこまで持つか……」
ジネマは大きく踏み込んだ。
「見せてもらおうか!」
そして、その勢いのまま拳を突き出した。
「風よ、吹き荒れろ!」
アンナはジネマの軸足をぶれさせるように風を放つ。
「こざかしい真似を」
ジネマは足元がぶれたことで、上手く攻撃を仕掛けられなかった。だが、すぐに踏み止まると再度攻撃を仕掛ける。
「風よ、障壁となって我を守れ!」
ジネマが思ったよりも早く立ち直ったので、ヒルダは攻撃ではなく防御に切り替えた。
先程と同じように、障壁はジネマの拳によって砕かれる。だが、今度はそこで拳が止まらなかった。
ヒルダは咄嗟に体をよじって拳を避けようとするが、避けきれずに右腕に直撃する。
予想以上の痛みが、ヒルダの右腕を襲った。
「くっ……まさか、先程は加減していたとでも」
「加減していたわけではないがな、ただ、さっきの攻防で、お前の障壁の強度は大体把握していた。だから、それを加味した上で仕掛けただけのこと。さて、覚悟はいいか」
ジネマは再度構えると、今度はアンナの体の中心目掛けて拳を放った。
参りましたわね……アンナさんには、あれほど強がりを言ってのけましたのに。これでは、格好がつきませんわ。
ヒルダは観念したように息をつく。右腕が痺れるように痛み、まともに魔術が使えなかった。左手でも魔術は使えるが、痛みのせいでまともに詠唱ができそうにない。
「雷よ、貫け!」
だが、どこからか飛んできた雷が、ジネマの拳を受け止めた。
「雷? まさか……」
ヒルダは誰が雷を放ったのかを察した。これだけの威力を持つ雷を放てるのは、一人しか思い当たらない。
「姫様、ご無事ですか」
そこには、他の生徒達と一緒に避難したはずのアンナがいた。