結界内部
少し前に遡る。
一期生達は大広間に集まって、魔術戦競技会の反省会を行っていた。
「今回は思いの外内容の高い戦いだった。出場した者も、そうでない者も、今後より励むように」
一期生の学年主任が話を進めている。
その話を聞きながら、アンナはぼんやりと考え事をしていた。
もう、先生に教えてもらうことはないんだな。でも、姫様が共に切磋琢磨していきたい、と言ってくれたし、これからも頑張らないと。
「特に、個人戦における姫様とアンナの戦いは、随一だったと言ってもいい」
急に名前を呼ばれて、アンナははっとしたように顔を上げていた。
周囲の生徒の視線が自分に集まっていることに気付いて、戸惑ってしまう。
「あの落ちこぼれが……」
「一体、どうなってるんだ」
「いくら何でも、八百長なんてありえないし」
小声でそんな囁きが聞こえてきた。
「そこ、私語は慎みなさい」
教師に注意されて、生徒達の囁きは消えてなくなった。
「とにかく、他の者も二人に負けないように……」
そこで、どこからかともなく乾いた拍手が鳴り響いた。
「誰だ、ふざけているのは」
さすがに教師もむっとした顔つきになる。
「いや、失礼。あまりに定石通りなお話だったので、つい」
見知らぬ男がゆっくりと歩いてきた。
「誰だ、部外者の立ち入りなど許可されていたか」
「いやいや、もちろん許可など取っていない。だが、俺の方がそちらに用があるから、わざわざ出向いただけのことだ」
「何だと!?」
「いや、うるさいな。少し、黙っていてもらおうか」
男は教師に近寄ると、目にも止まらぬ速さで拳を繰り出した。
「がっ」
それを腹部にまともにくらい、教師は悲鳴を上げる。そのまま壁まで吹き飛ばされて、叩きつけられた。
教師は気を失ったのか、がくりとその場に崩れ落ちた。
「あなた、一体何が目的ですか」
一期生達が騒然とする中、ヒルダは比較的落ち着いていた。
「さすがはお姫様。他の生徒とは違って、不測の事態にも落ち着いているようだ」
「そろそろか」
男はヒルダの問いには答えず、そんなことを口にした。
すると、大広間が黒い何かに覆われていく。
「これは……禁術」
ヒルダはそう呟いた。
「ほう、さすがに禁術の知識もあるようだ。なら、これが禁術の結界であることも理解しているだろう」
それを聞いて、ヒルダの顔色が変わった。
禁術の結界は、内部にいるものの生命力を徐々に奪っていく。魔術師であれば他の人間よりは耐性があるだろうが、それでも長くいれば無事では済まない。
「うっ……」
現に、耐性が弱い生徒が気分を悪くしていた。
「早く結界を解除しなさい!」
ヒルダは叫んだ。
「残念だが、それは断る。君達は交渉材料……有体に言えば、人質だ。それを簡単に解放するわけにはいかないな」
「人質?」
「今、外にいる仲間が交渉しているはずだ。その結果如何では、君達には死んでもらうことになる」
「そんなこと……」
ヒルダは右手に魔力を籠める。
「おっと、下手なことをするなよ」
男は近くにいた生徒の顔に拳を突き付けた。
「確かに、上位魔術であれば禁術の結界を破ることもできるだろうな。だが、他の生徒達の命が惜しかったら、下手な抵抗はしないことだ」
「くっ」
ヒルダは唇を噛み締めると、右手の魔力を霧散させた。
「中々物分かりがよいな。そうだな、ついでに名乗っておこう。俺はジネマだ。まあ、覚えても覚えなくてもどうでもいい」
ジネマは生徒に突き付けていた拳を放す。
「さて、交渉が上手くいくことを祈るんだな」
ジネマは壁まで歩いていくと、それに背を付けた。
ど、どうしよう。
想定外の事態に、アンナは必死になって自分を落ち着かせようとしていた。
「アンナさん」
だから、声をかけられてもすぐに気付かなかった。
「アンナさん、アンナさん」
再度名前を呼ばれて、声の方に振り向いた。
「姫様?」
意外な人物がそこにいて、アンナは間の抜けた声を出していた。
「この状況をどうにかしないといけません」
「はい、ですが、どうしたらいいでしょうか」
「わたくしは、あの男……ジネマに目を付けられています。ああやって休んでいるようでも、わたくしへの注意は怠っていないようです」
ヒルダに言われて、アンナはジネマの方を見る。
ヒルダの言う通り、壁に背を付けてくつろいでいるようにも見えるが、こちらに鋭い視線を送っていた。
「どういうわけか、わたくしがこの国の姫であることも、上位魔術を使えることも知っているようです」
「そのようですね」
「単刀直入に言います、アンナさん。あなたに上位魔術の使い方を教えます。あなたなら、上位魔術を使いこなせるはずです。ただ、実演することができませんから、口頭での説明になってしまいますが」
ヒルダは申し訳なさそうに言う。
「えっ?」
「驚かれるのも無理はありません。ですが、もうこれしか方法はないと思います。わたくし以外の一期生で、上位魔術を扱えるのはアンナさんだけでしょうから」
「い、いえ……一応ですが、使い方は習得しています。上手く使えるかどうかは別ですが」
アンナがそう言うと、ヒルダは驚いた表情になる。
「そうですか、さすがはデルタ先生といったところでしょうか」
ヒルダはおおよそのことを察して、そう言った。
「では、わたくしがジネマの気を引いている隙に、上位魔術を結界に放ってください」
「で、でも、わたし、まだ完璧には使いこなせません」
「大丈夫です。アンナさんはわたくしが認めた方です。もっと、自分に自信を持ってください」
アンナの言葉に、ヒルダはゆっくりと首を振った。
「では、よろしくお願いしますね」
ヒルダはそう言うと、アンナから離れていった。ジネマの視線もヒルダを追っていて、アンナには全く目もくれていない。
「やるしか、ないね」
アンナはそう呟くと、上位魔術の使い方を反芻した。