恩師
「久しいな、元気そうでなによりだ」
ウィベルは懐かしいというようにそう言った。
「はい。先生もお変わり……いえ、主任になったそうですね。おめでとうございます」
「正直、あまりめでたくもないがね。私程度の魔術師が主任になるようでは、この学院も先が長くあるまい」
デルタがそう言うと、ウィベルは心底からというようにそう返す。事実、ウィベルは魔術師としての技量はさしたるものではなかった。だが、教師としては一流だとデルタは思っている。
「またご謙遜を」
「謙遜ではないさ。それに、生徒と接する時間が減ってしまったのも私にとってはよろしくない。君のような隠れた才能を見いだせなくなってしまうからな」
「その節は、お世話になりました」
デルタは再度頭を下げる。
「で、今日は何用だね。仕官先が決まらなかったから、結局戻ってきたのかね」
「その件ですが、少々長い話になります。時間はよろしいでしょうか」
「そうか。なら、私の研究室に場所を移そう」
「えっ、ですが、主任になったのですから忙しいのでは」
「かつての教え子が、こうして私を訪ねてくてくれた。それを無碍にするようでは、教師として失格だ」
「ありがとうございます」
「まあかけたまえ」
研究室に着くと、ウィベルはデルタに椅子をすすめる。
「では、失礼します」
促されるまま、デルタは椅子に腰を下ろした。
「で、私に一体どのような用件かね」
「まずはこれを」
デルタは懐から袋を取り出すと、その中身を机の上に並べた。
「お借りしていた金貨十枚、確かにお返しします」
「……驚いたな。君は属性がないから、まっとうな魔術師としての仕官先は望めないと思っていた。いや、君の実力はそこらの魔術師に劣るものではないが。それにしても、どうやってこの金を工面したのだね」
ウィベルは驚いた表情を作っていた。
「実は巡礼の神術使いの従者になりまして。その給金が思いの外良かったものですから」
「巡礼の神術使いの従者か。確かに、それならこの金を工面するのもそう難しくはなかっただろうな。だが、よく従者になれたものだな」
ウィベルは納得がいった、というように頷く。
「まあ、彼女は少々型破りと言いましょうか。俺が属性のないことも、魔術師としてそれがどれだけ致命的なのかも説明はしたのですけどね。それでも構わない、と」
「よき出会いがあったな」
それを聞いて、ウィベルは喜ばし気にそう言った。
「はい」
デルタは大きく頷いた。
「で、用件はそれだけかね」
「実は、その巡礼の神術使いの件でお願いがありまして。彼女が、魔術について知りたいと。つきましては、この学院の授業風景を見学させてもらえないか、と」
恐らく断られるだろうとは思いつつも、デルタはそう言った。
「ほう……」
ウィベルは顎に手を当てて考え込んだ。
「悩むようなことですか」
それが予想外だったこともあって、デルタは思わずそう聞いていた。
「もちろんだとも。前例のないことではあるが、巡礼の神術使いたっての願いだ、検討する余地はある」
「ですが、先生の一存では決められないでしょう」
「無駄に主任になったからな。ある程度の権限は与えられている。この件を私が決めてしまっても、さして問題はない」
「俺が思っている以上に、すごいことになってますね」
「正直なところ、面倒が増えただけだと思っていたが、こうしてかつての教え子の頼みを検討できるのなら、悪くはないな」
ウィベルはそう言うと、小さく笑みを浮かべた。
やはりこの人は生徒のことを第一に考えてくれる人だな、とデルタは思っていた。
「そうだな。その件、了承することにしよう」
しばらくした後、ウィベルはそう結論を出した。
「本当ですか」
「ただし、こちらも少々困りごとがあってな。それを君に解決してもらいたい」
「俺にできることであれば」
デルタは即答する。ウィベルの性格からして、無理難題を押し付けてくるようなことはないはずと踏んでいた。
「何、簡単なことだよ。この学院も君がいたころに比べて、随分と規模が大きくなってね。教師の数が不足しているのだよ」
「まさか、とは思いますが」
雲行きが怪しくなって、デルタは即答したことを後悔し始めていた。
「そのまさかだ。君に臨時教師となってもらいたい」
「いやちょっと待ってください。俺は属性がないんですよ。そんな魔術師に教わることを生徒が納得しないでしょう。それに、俺は巡礼の神術使いの従者です。いつまでもこの学院にはいられません」
デルタは一気にまくし立てた。
「だから、臨時教師だと言っている。それに、魔術の実技を教えろとは言っていない。君には学科の方を担当してもらいたい」
それに対して、ウィベルは淡々とそう応じる。
「学科ならそれこそ教師の経験のない俺にできるわけがありません」
「問題はない。君は学科の成績は並以上だったからな。かつての授業内容をなぞるだけだ。まさか、それを全て忘れたとは言わないだろうな」
「いや、確かに……それは、そうですが」
デルタはそこで言いよどんだ。全部を覚えている、とは言い切れないにしろ、大半のことは頭の中にきっちりと入っていた。そして、それが旅で役立ったことは一度や二度ではない。
「君の授業風景を、件の巡礼の神術使いに見学してもらえばいい。私はそう考えている。望むのなら、それ以外も見学してくれて構わないが」
「そうですか。ですが、俺の一存では決めかねます。いったん戻って、彼女と相談してみようと思います」
デルタは諦めてそう返事をした。さすがにレアルに無断でこの案件を引き受けるわけにはいかなかった。
「そうか。良い返事を期待しているよ」