帰郷
「まさか、こんな形で戻ってくることになるとはな」
かつての学び舎を前にして、デルタはそう呟いた。恩師に借りた学費を返す当てができるまでは戻らない、そう決めていたから戻るのは相当先になると思っていた。
「ねえデルタ。ボク、魔術についてもっと知りたいんだけど」
きっかけは、レアルのそんな言葉だった。
「魔術について知りたい? どうしてまたそんなことを」
急な言葉に、デルタはそう尋ねる。
「ボクは自分の知らないことを知るために旅をしているからね。だから、機械の街に行ったんだ。でも、魔術についてはデルタに会うまで知ろうとも思わなかったから」
「魔術師を従者にしたから、その魔術に興味が出てきた、というわけか」
「そんなところかな」
レアルは頷いた。
「だが、俺に教えられることには限りがあるぞ。そもそも属性がないから、普通の魔術師とは違うしな」
デルタは自信なさげに首を振った。属性がないことを差し引いても、魔術のことをうまく教えられる自信はなかった。
「なら、ボクはデルタが学んだ魔術学院に行ってみたい」
「魔術学院に、か」
「できれば授業内容を見学したいかな、って」
「見学?」
その言葉に、デルタは驚いてそう返していた。
「そう。魔術の学び舎を見学できれば、何かつかめるかなって」
「いや、しかし……」
デルタは言葉を詰まらせる。魔術学院に見学を希望した人間は、今までに例がない。そもそも、そんなことが許されるのかすらわからなかった。
「駄目だったら仕方ないよ。でも、何もしないうちから駄目って決めつけるのもどうかって思うよ」
「それはそうかもしれないが」
「もう決めたから。従者は主人に従いなさい」
レアルはデルタに指を突き付ける。
「おい、こんな時にそれを持ちだすか」
「そもそも、ボクの巡礼の旅だからね。行き先を決めるのはボクだよ」
「……本当に、行くのか」
レアルの言葉は正論で、デルタは反論できずにいた。それでも、今は魔術学院に戻るわけにはいかない理由があった。
「随分歯切れが悪いね。行きたくない理由でもあるの」
渋るデルタを見て、レアルはそう聞いた。
「俺は、属性がないからな。だから、特待生になれなかったんだ。それで、学費を稼ぎながら学院で学んでいたんだが、ある時、無理がたたって倒れてしまったんだ」
デルタは簡単にそう説明する。
「そんなことがあったんだ」
「その時、先生に事情を話すように言われて、それで先生が学費を工面してくれたんだ。だから、先生に学費を返せるようになるまで戻らない、そう決めていたんだ」
「学費って、いくら借りたの」
「金貨十枚」
「なんだ、それくらいならボクが肩代わりするよ」
「は?」
レアルがこともなげに言うので、デルタは目を丸くしてしまう。
「金貨十枚だぞ。大金じゃないか」
「従者に金貨三枚の給金が出ているの、忘れたの」
「あっ……」
そこで、デルタは言葉を失った。従者にそれだけの給金を簡単に払えるのだから、金貨十枚を用意するのも難しくはない。
「だが、今度はレアルに借りができてしまう」
「なら、しばらく給金は金貨二枚にするよ。それでいい?」
「十か月も俺を連れまわす気か」
「何言ってるの。ボクの旅が終わるまで付き合ってもらうから」
「本気……なんだよな」
「もちろんだよ」
そこで、レアルは意味もなく胸を張った。
「わかった。俺も先生に学費を返せるなら、魔術学院に行くことに異論はない」
デルタは仕方ない、というようにそう言った。
「決まりだね。次の行き先は魔術学院」
「ボクは、この街の教会に挨拶に行ってくるけど、デルタはどうする」
魔術学院のある街にたどり着いて、レアルはそう言った。
「そうだな。俺がその挨拶に付き合ってもあまり意味はなさそうだし、魔術学院に行って先生に会ってこよう。その時に、見学の話をしてみようと思う」
デルタは少し思案してから、そう答える。懐にある金貨十枚がやけに重く感じられた。
「なら、別行動だね。ボクは教会で待っているから、そこで落ち合おう」
「わかった」
そこで、二人は互いの目的地に向かって歩き出した。
そんなやり取りがあって、デルタはかつての学び舎に戻ってきていた。
「ここで突っ立っていても仕方ないか。先生に取り次いでもらおう」
デルタは約二年振りに、かつての学び舎に足を踏み入れた。今の時間は授業をやっていないはずだから、恩師にも簡単に取り次いでもらえるだろう。
「すまない、ウィベル先生に取り次いでもらいたいんだが」
「ウィベル先生ですか。今会議を行っていますので、すぐには取り次げないかと」
受付嬢にそう言うと、予想外の答えが返ってきた。
「会議? ウィベル先生が? 確か、会議をするのは特定の役職についている教師だけだったはずだが」
デルタの恩師は、そういった役職にはついてはいなかった。
「はい、ウィベル先生は最近主任になりまして」
「そういうことか。なら、待たせてもらって構わないか」
内心で恩師の出世を祝福しつつ、デルタはそう言った。
「会議もそう長引かないと思いますし、構いませんよ」
待っている間、デルタは周囲を見渡していた。
「まあ、二年ちょっとでそう変わるものでもないか」
自分がいたころと、これといって変わった様子は見受けられない。だが、恩師が役職についたりと、見えないところでは何かしら変わっているのかもしれない。
「私に用事があるのは、君かね」
しばらく待っていると、背後からそう声を掛けられる。
「はい。先生、お久しぶりです」
デルタは振り返ると、頭を下げた。
「デルタ、なのか」
思いがけない来客に、ウィベルは驚いたように目を見開いた。