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Untitled  作者: 雁木夏和
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Untitled 01-004 take02

 ヨダレが猿ぐつわもとい、佐の字のフンドシに伝わり、口元を生暖かく濡らす。異様に気分が悪い。気分は最悪である。しばらく傾斜を歩かされ、心身ともにぐったりの疲れた。湯船につかって一日の疲れを癒せたらどんなに気持ちいいだろうか。


 視界は塞がれているが、どうやら周りが騒がしい。使番(つかいばん)か何かが、忙しく駆け回っているのだろう。おそらく陣内に入ったのであろう。


「怪しい男を捉えたので、武者奉行殿に指示を仰ぎに参った。お目通り願いたい」


「うむ、ご苦労である。竹内殿は本陣をたたれた。直接、垣内殿に指示を仰ぐと良かろう」


 立ち止まり、守衛と思しき男と言葉をかわし、道をあけてもらい、また歩き出す。本陣についてから嫌な汗が止まらない。


 このまま本陣に通されても先程の答弁の通り、俺はこの戦に一切関与していない。有用な情報を持たぬ、ただの怪しい男の有用性を見いだせない。


 万が一、垣内殿とやらが放免を許してくれたとしても、垣内から誹りを受けたこの五人組が、逆恨みで俺のことを陣の外で殺してしまうということも考えられる。


 寒気が止まらない。選択を間違えたかも知れない。この世界では、山から出たからといって絶対に安全とは限らないのだ。七度の飢餓より戦は怖い。山に引き返すべきだった。


 野太い声が、伝令から戦況報告を受け、素早く指示を出していく。随分歩いたので、その情報から戦況を大まかに把握できた。


 投石や火縄銃を用いた野戦は終了し、今まさに泥沼の白兵戦が始まっている。しかし、戦況は五分と五分と言ったところらしい。俺の知る限り、戦は弓や火縄銃などで大勢がおおよそ決するはずだ。この世界の戦は道理が違うらしい。


 長岡隊が率いる中央部隊は抵抗激しく攻勢をこまねいている。左翼に広がる瓜生隊が奮闘を見せ、敵右翼を押し戻している。右翼に広がる松前隊を率いる松前が、敵の矢を受け負傷。士気の低下が危ぶまれる。


 こういった情報を聞かされてしまったからには、いよいよ無事で帰されることはないだろう。いざとなったら、多少の無茶をしようとも命かながら逃げ出してやる。そして立ち止まり、膝まつくされる。いよいよ垣内殿に対面のようだ。


「怪しい男を捉えたので、連れてまいりました」


「怪しい男とな。ほぅ、見るからに怪しい。フンドシを被って全裸で合戦場を徘徊しておったのか?」


 この戦場を指揮する総大将にまでコケにされる。佐の字よ。お前だけは絶対に許さん。この顔にかかる赤フンが外されたときに、貴様の顔をとくと拝み脳裏に焼き付けて、呪い殺してやる。


「いえ、フンドシを被せたのは、この左之助でございます。この男は本陣の裏手を血まみれの全裸で、並々ならぬ速度で走っていたところを捕らえたのです」


「なるほど、益々怪しいな。どうだ、ほれ。顔を見せてみよ」


 という垣内からの達しに、ふんどしが外せれる。眼の前の床机椅子に座る髭面の恰幅の良い大男が垣内で間違いないだろう。先程の足軽などよりもしっかりとした当世具足(とうせぐそく)を纏っている。


 尻目に佐の字こと、左之助を探す。いた。髭面の間抜け面、齢は三十を超えた頃か。というか、みんな髭面で区別がつきにくい。畝助と呼ばれた男は切れ長の目をしており、やや知的な印象を受ける。


「かかか。縮こみあがったイチモツに相応しい面構え。戦場でべそをかき、故郷の母のことでも思っていたか?」


 気づかぬ間に泣いていたらしい。しかし、俺と同じ境遇に陥れば、誰だってべそもかく。そんな俺を豪快に笑い、どこまでもコケにする。垣内、貴様も呪い殺してやる。


「して、見たところ、結構な力を、秘めているようではあるが……貴様らは抵抗をうけなかったのであるか?」


「は。我らが包囲したところ、なんの抵抗も見せずに投降し、捕虜になりました」


 五人組の足軽隊の主格と見られる男が受け答えする。


「なんとも、情けなきことよな。そのようなものが、あの吉岡のもとにいようとはな。そのような腰抜け共率いる吉岡めを蹴散らし、街道を抜け、松永様の援護に一刻も早く向かわねばな」


 垣内の一言に陣内がどっと湧き、そうだそうだと近習(きんじゅ)達の合唱があがる。


「して、そうほうは何故あって、コソコソと我が陣の裏で何をしておったのだ?ことと次第によっては、その命ただで済むとは思うなよ」


 垣内という大男を眼前にし、俺は完全に萎縮してしまっている。どんなにこの男が憎かろうが、歯向かおうという気概が湧いてこない。一対一で戦ったところで、この男に勝る気がしないのである。


「……俺、私は決して怪しいものではございません。ただ通りがかっただけで、この戦とはなんの関係もないのです!ここで聞いたことは誰にも言いません!解放していただけるならなんでもいたします!どうか命だけーー」


 左の頬に衝撃が走る。歯の砕ける音とともに盛大に吹き飛ばされる。垣内から裏拳を食らったことをあとからして気づく。ものすごく痛い。今すぐこの場から立ち去りたい。


「オナゴのようにぴーちくぱーちくと。情けない男よな。俺は何をしていたのかを聞いたのだ。簡潔に答えよ」


 本陣の隅で這いつくばり、口からは砕けた歯と血がたれてくる。死にたくない。足軽の二人に起こされ、再び垣内の眼の前に連れてこられる。


「……ただ戦場を避けて通り抜けようとーー」


 言う途中に復元が始まったものだから、言葉を紡げない。メキメキという奇音が構内に響いているのが分かる。口の中で排除された折れて残った歯や肉片が、口からこぼれ出る。


「……ほぅ。驚くべき回復力よな。なかなかの力であるが、所詮はただの人間。心が追いつかなければ、宝の持ち腐れというもの」


 しまった。この回復力ばかりは、この世界の人間からしても些か異常である。ますます疑惑の目が強まりかねない。何として生き残るためにはここで、言葉をつまらせている訳にはいかない。


「白い国!白い国のツノ!突然、別のところからここに、連れてこられて!そう!俺はなにもしらないんです!!」


 もう、自分で何を言っているのかすら分からない。状況が俺の容量を超えてしまった。ただ助かりたい。怖いのも痛いのも辱められるのも全部が嫌だ。こんな世界にいたくない。


「白い国……ツノ……ふむ。まぁ、よい」


 垣内はそれだけつぶやき、瞳を閉じる。ものの数十秒ほど黙り込み、考えがまとまったのか再び話し出す。俺はその沙汰を神妙に聞く。


「かかか。妙案を思いついたぞ。この戦を終わらせるぞ」

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