色葉の過去
「お前はそれでも近衛の家の者か!! 」
一人の男が道場の床に倒れている剣道着姿の少女に叱った。側から見ればその少女の小柄さを可哀想と思うだろう。しかし、近衛家では伝統的にであり、至極当たり前の風景であった。少女の稽古は厳しかったが、彼女は一切涙を出さなかった。
「お父様、すみません。もう一度お願いします」
少女は泣きはしなかったが、その声には気迫などなく震えていた。そんなことはお構いなく稽古は続けられた。
近衛家は厳格な家であり、日本最大勢力の家だ。それが故に常にトップを目指す必要がある。そのため近衛家の子供は幼少の時から英才教育が施されていた。それはDDNが世界で浸透した後も同様であった。DDNで世界の様子はガラリと変わったが、かく言う日本の家間では大して変化はなかった。それは各家がDDNを支配していたというのが大きな要因であった。DDN日本支部長である新川慶子も例外ではない。新川家は代々近衛家の従家である。それは実質、近衛家が裏からDDNを支配していることを指している。戦時中の夢開発の研究費の大部分を出資していたこともあり、日本政府含め各国口出ししにくい状況である。
「なんだその構えは!!」
少女の父はまた怒鳴った。彼は名高い剣術家でもあり、作法など他のことには手を出さないが、剣道の稽古だけは自ら教えていた。
「お前の兄はあんなに立派なのに・・・・・・どうしてお前は」
いつもこうである。少女ーー近衛色葉は常に3つ上の兄と比べられていた。兄はなんでもできる人であり、威厳、人望も厚く将来有望とされていた。色葉も幼いころは兄を慕っていたが、いつしか比べられ、その劣等感から恨みを持つようになっていった。妹が恨むように、兄もまた妹に対して嫌悪感を抱いていた。
「剣道もういい、次は護摩行だ」
剣道の後はきまって護摩行である。
護摩行は燃え盛る火の前でひたすら祈願する修行である。
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父はまだ幼い私をこの300度も超える熱い火の前で修行させた。
私は嫌いであった。しかし、幼い頃からの習慣でいつしかその気持ちも消え失せていった。
近衛家は代々火や太陽と関連が深い家とされている。初代近衛家当主、近衛暁は自らの家を陽明家と称し、従家を陰家と位置付けた。後に差別的な役割としてか機能しなくなっていった。しかしこの上下関係があったことにより、統治が楽であったのもまた事実であった。その溝は数百年経った今でも続いている。
近衛家が火、太陽に関連が深い家とされる理由は2つある。一つは代々行われている護摩行の修行である。2つ目は両部新道であることであろう。不動明王をはじめとした天照大御神の垂迹を信仰しているのだ。近衛暁は前記したこともあり、数々の伝説を残していた。
「色葉! 声が小さくなってるぞ」
暑い中だが、汗一つ流さない父が私に言った。
「すみません・・・・・・」
声に迫力はない。
もう意識がもうろうとしてきた。修行中は自分が火なのか火が自分なのかわからなる。これが悟りのようだが・・・・・・。




