おみくじで”当たり”を引いた
突然、視界いっぱいに広がった白い光が、全てを搔き消していく。
何もかも全てを……。
「――夢か」
よろよろと上半身を起こした僕は、安堵の溜息を吐き出した。
起きたばかりだというのに、どんな内容だったのか思い出す事が出来ない。ただただ残酷で恐ろしい夢だったという事だけがはっきりと分かっていて、目が覚めた今でもバクバクと大きな音を鳴らして心臓が鼓動している。
少なくとも新年早々に見る夢として、決して縁起の良いモノでない事だけは確かだ。
陰鬱な気分を寝汗と共にシャワーで流す。こんな酷い顔をして、彼女に会いに行く訳にはいかない。強引に気持ちを切り替えるようにして、これからの予定を頭の中で確認する。
今日は待ちに待った彼女とのデートの日で、一緒に初詣に出かける事になっている。
前回デートしたのはクリスマスだったから、まだ一週間程しか経っていない。それなのに今の僕は、彼女に会いたくて会いたくて堪らない。ここまで強い衝動に駆られた事は、付き合い始めた当初でさえなかったはずだ。
結婚を控え、関係が成熟した今頃になってなぜ、こんな気持ちになるのだろうか。理由は分からないけれど、何となくあの悪夢に原因があるような、そんな気がした。
気持ちが逸ったせいだろうか。一時間も早く彼女の実家に着いてしまった。さすがに迷惑だろうと、近所のコンビニに車を停めて雑誌を立ち読みしながら時間を潰すが、どうも落ち着かない。視線を上げると、窓の向こうに彼女の実家が見えた。
『きっと今年が最後になるから』
そう言って家族と年越しをする事を選んだ彼女の顔が頭を過った。親想いである彼女のお願いを快諾したはずなのに、無理にでも一緒に過ごせば良かったと、そんな考えがチラついてしまう。
「なんなんだよ、一体……」
普段とは違う自分の思考に思わずイライラしてしまう。僕は雑誌を棚に戻し、パックジュースを一本購入して店を出た。壁際に立ち、差し込んだストローからジュースを飲んだ。甘く冷たい液体が口内に広がって、荒れた気持ちを少しだけ落ち着かせてくれた。
何気なく見上げた空には雲一つない。どこまでも続く鮮やかな青色が広がっていた。
パックジュースのおかげなのか、それとも綺麗な青空のおかげなのか、あるいは出迎えてくれた彼女の笑顔のおかげだろうか、あれ程苛立っていたのが嘘のように僕は落ち着きを取り戻していた。
彼女の両親への挨拶を済ませた後、僕達は二人で初詣へと出かけた。途中で寄り道して昼飯を食べ、覚悟を決めて神社へと続く渋滞の列へと加わる。遅々として進まない車の列。普段なら嫌になってしまうような状況だけど、彼女と一緒なら全く苦に感じなかった。寧ろ、こうして待っている時間でさえ、楽しいと感じてしまうのだから不思議だ。僕達は狭い車の中で大いに盛り上がっていた。
普段なら十五分程で着いてしまう距離を、二時間半程かけてようやく目的の神社へと辿り着いた。車から降り、身体を解すように伸びをした。
「お疲れ様。運転ありがと」
親しくなった今も、こうしたちょっとした事に対してお礼を言ってくれる。たった一言ではあるけれど、こういった気遣いが自然とできるのが彼女の美点の一つだろう。
いつものように、彼女の小さな手を握ってのんびりと歩き出す。歩幅の小さい彼女に合わせたこの速度にも、すっかりと慣れたこの頃。彼女越しにのんびりと流れる景色は、いつ見ても美しい。あの夢のせいで嫌な年明けだったけれど、彼女のおかげですっかり気分は晴れやかだ。
参道沿いに並ぶ出店を眺めながら、人混みを歩く。今日はここで夕飯を調達する予定の僕達は、何が良いかと相談しながら様々な匂いの入り混じった中を楽し気に進んだ。
拝殿へと辿り着き、賽銭を入れて鈴を鳴らす。少し前にテレビで見た作法を頭の中で思い出しながら、二拝二拍手一拝でお参りをした。少々不格好ではあったけれども、問題なく出来ていたはずだ。
と、思いたい。
お参りを済ませた後は、彼女が好きなおみくじを引く。毎年恒例となっているこのイベント。去年は二人揃って大吉で、大いに喜んだ事をよく覚えている。今年も良い結果が出ますようにと願いながら、六角形の箱をジャラジャラと揺すって一本の棒を取り出した。出て来た棒を巫女さんに渡して、結果の書かれた紙を受け取る。どんな結果か楽しみにしながらも、まだ見ない。隣で同じように、おみくじを引いていた彼女が準備できるのを待って、二人同時に紙を開いた。
「――え?」
僕のおみくじには……。
「うわぁ……」
声に反応して隣を見れば、彼女が苦笑いを浮かべていた。どんな結果かと思って、手元を覗き込むと、なんと大凶の文字があった。どうにしかしてフォローしようとして、僕は慌てて言葉を並べた。
「ついてないね。もう一回引き直す?」
でも残念ながら気の利いた言葉が見つからなくて、代わりに出て来た言葉は随分と微妙だった。
「それって良いの? だったらもう一回引いてみようかな?」
にも拘らず、優しい彼女は笑顔を浮かべて小さくガッツポーズを作って見せた。その姿に安堵し、同時に癒されていると彼女が僕の手元を見て首を傾げた。
「当たりって何?」
「さあ?」
僕の引いたおみくじに書かれていたのは、運勢でなく"当たり"の文字。ただそれだけが、大きく印字されていた。他には何も書かれていない。どういう事なのかと、二人揃って考えを巡らせてはみたものの、答えなんて分かるはずもない。
結局、おみくじを売っていた巫女さんの下へと戻って話を聞く事にした。
「えっ!? 凄い! 初めて見ました。おめでとうございます。すぐに準備しますね」
ハイテンションで奥へと入っていた巫女さん。その姿に僕達はただただ困惑するばかりだった。少しして戻って来た巫女さんの手には、絵馬が一つ握られており、どうぞと言って渡されたそれに、僕は首を傾げた。
「えっと、説明して頂けますか?」
「そうですよね。失礼しました」
巫女さんの話によると数年に一度、今回僕が引いたのと同様の"当たりくじ"が紛れ込む事があるのだそうだ。
「紛れ込むってどういう意味ですか?」
「それがですね、嘘か本当かはわからないんですけど……」
神社側が意図して入れている物ではないのだそうだ。にも拘らず、用意したはずのない"当たりくじ"が知らぬ間に紛れ込むらしい。色々と調べたとの事なのだが、どうしてなのか、その理由は分かっていないのだと言う。
「それって本当なんですか?」
「さあ? どうなんでしょうね? もしかしたら神様がこっそり入れてくれているのかもしれませんよ?」
「神様……ですか?」
「はい、神様です。何か意味があるんだと思います。きっとご利益がありますよ」
だから絵馬に願いを書いて奉納するようにと巫女さんは微笑んだ。この神社では"当たりくじ"が出た時は、そのようにする決まりなのだそうだ。
受け取った絵馬を眺めながら、指定されれた場所へと向かう僕のすぐ隣で、彼女が楽しそうに笑っていた。自分が大凶を引いた事など既に忘れてしまったかのように、僕の事ばかり気にかけている彼女の態度がとても愛らしい。
「何て書くの?」
「秘密」
手元を覗き込んで来た彼女から絵馬を隠して、願い事を書く。見られた所で、全くもって問題などないのだが、何となく意地悪したくなってしまった。
こっそりと書き終わった絵馬を見て、ほんの少し頬が緩んだ。
――また次も、彼女と仲良くお参りに来られますように。
ささやかだけど、これ以上ない僕の願い。
次も、その次も、またその次も、僕はきっと同じ事を願うのだろう。
「いじわる」
拗ねたように頬を膨らませる彼女。その仕種が可愛くて、リスのように膨らんだその頬を指先でそっとつついた。
絵馬を奉納して、その後で御守を買い、ミッション終了。ここから先がメインイベントだ。
二人仲良く手を繋ぎながら、先程選んだ出店に立ち寄る。たこ焼き、たい焼き、じゃがバター。お目当ての物を買って彼女は上機嫌だった。
帰り道。車に乗って渋滞を横目に走るのは、なかなかに気分が良い。この後は、彼女のアパートで正月の特番を観ながらのんびりするだけ。
の、はずだったのだが予定変更。
「ごめんね」
「大丈夫だよ。大した距離じゃないから」
その前に、彼女の実家に忘れ物を取りに戻る事になったのだ。
それが間違いだった。
大した忘れ物ではなかったのだから、別の機会にするべきだった。そうでないなら、僅かな手間を惜しんで路肩になんて停車するべきではなかったのだ。
「すぐ戻るから、ここで待ってて」
それが僕が聞いた彼女の最後の言葉になるなんて、考えてもみなかった。
しかしこの時、車から降りて小走りで実家へと向かう彼女の後姿をぼんやりと眺めていた僕は、どうしようもない程の不安感を感じていた。もしも、もしも僕が彼女を追いかけていたのなら何か変わったのだろうか。
彼女を待つ間も不安は、どんどん膨らんで行く。
そしてしばらくして戻って来た彼女は、少し離れた位置から、車の中で待つ僕に向かって手を振ってくれた。何気ない光景のはずが、僕の中に芽生えた不安感はどうしようもない程に、その大きさを増していた。
その時だった。
前方から走って来た車が蛇行しながら、彼女に向かって突っ込んだのだ。
――轟音。
そして、静寂。
あまりにも突然の出来事で、僕は目の前で起こった事をすぐに理解する事が出来なかった。
何がどうなったのか、さっぱり分からない。気付いた時には、僕は血だらけの彼女を抱き締めて呆然としてた。腕の中の彼女の首はあり得ない方向へと曲がっていて、もう何の言葉も発しない。
目の前にある残酷な現実……。
こんなの嘘に決まっている。
こんな事、あるはずがない。
――嘘だ。
嘘に決まってる。
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だだ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああ!」
突然、視界いっぱいに広がった白い光が全てを搔き消していく。
何もかも全てを……。
「――夢か」
よろよろと上半身を起こした僕は、安堵の溜息を吐き出した。
そしてまた、繰り返される。
彼女が助かるその時まで、彼の願いを叶える為に。