会いに行こうよ
手早く食事を済ませチェックアウトを済ませると荷物をまとめて駅に向かった。
新幹線で一時間半ほどで福山駅に着いた。
ここから単線で更に行くのだが、これが一時間に一本しか走っていない上に住所にあった府中まで一時間かかるようである。
しばらくホームで電車を待ち、乗り込むと打って変わって遠くまで来たことを実感する景色が広がり始める。
ゆけば行く程、セミの声が大きくなるようだ。
人ではなく自然の比重が大きい地だと痛感する。
母はこんな所にいたんだ…。
府中駅に着くと辺りをキョロキョロと見回した。
時代が逆戻りしたかのような、小さく質素な駅だ。
「ここにハルトくんのお母さんの実家があるのね…。小さい頃来た?覚えてる?」
塩見が言う。
「いや、全く覚えてない。両親が離婚してからは来てないだろうしな。…正しくは死んだと聞かされていた当時から…な。」
「離婚してたの?」
「みたいだな。小さい頃から死んだって言われてたから葬式に出た記憶もないのに信じ切ってたけど、俺が橋から落ちてすぐに離婚したんだろうな。」
「どうした橋から?」
一瞬言葉に詰まった。
「母に…落とされた…。」
「え…。それって、もしかして…」
流石に塩見が言葉を失う。
「…その理由も聞くつもり。」
「そうなんだ…。」
生半可な気持ちでは来られない。
塩見にもそれが少し感じ取れたようだ。
「ねえ、お腹空かない?何か食べよう。」
それもそうだった。
時刻は12時を少し過ぎたところだったが何故か空腹を覚えず気が付かなかった。
喫茶店で軽く食事をして母の実家を目指す。
とにかく喉が乾いた。
二人で自販機のジュースをがぶ飲みしながら封筒の住所を目指した。
そこは、田舎の家にしては比較的小さめの一軒家だった。
あった…。
表札には「浜見」と書いてある。
ここだ、封筒に書いてあった母の旧姓だ。
「緊張するね…。私隠れとくね。」
塩見はそう言ったが俺は塩見の手を掴んだ。
「いいよ。いてくれよ。」
「え、いいの?」
「てか、…いてほしい。」
「わかった…。私が役に立つなら、…嬉しい。」
チャイムを鳴らした。
ジリジリと正午の太陽が俺たちを照りつける。
家の中から返事はなく、セミの声だけがやたらと大きく響くばかりだった。
留守かな…。
「ねえ、ハルトくん裏に回ってみよう」
「ああ。」
塀を回って外から裏口を眺めてみた。
ゴミ袋のようなものが積み上げてあり、草も伸びまめに手入れされているとは言い難い庭だった。
「いつからこうなんだろう…。手紙が届いた日を考えると二週間前くらい前に投函したと思うんだけどな。」
「もう一回チャイム鳴らしてみるね。」
塩見が表に回ってチャイムを鳴らしたが、室内で誰かが動く様子は窺えなかった。
俺も玄関に回った。
「出直すべきかな…。出かけてるにしては様子が変だけどな…。」
どうすべきか迷っていると、畑帰りと思しき作業着のおばさんが汗を拭き拭き声をかけてきた。
「浜見さん所に用事があるんかね。」
「あ、はい。そうなんですけど留守みたいで…。」
「浜見さん、入院しとるんよ。じゃけえ、今おらんのよ。」
「え?入院ですか?」
「うん、詳しゅうは判らんけど、こないだ親戚の人が来て急に『入院しますけえ』言うて行っちやったからねえ…。」
「あの、病院の名前ご存知ではないですか?」
「ここらへんじゃったら市民病院くらいじゃないかね。」
「判りました、ありがとうございます。」
おばさんにお礼を言い、ひとまずその場を離れた。
「入院?どうしたんだろう。どこか悪いのかしら。市民病院、行ってみる?」
「…。うん、その前に行きたいところがあるんだけど。」
俺はスマホで少し調べてからこの辺りのお寺を探した。
近くでヒットしたのは一軒だけだ。
不思議そうな顔をする塩見を連れて寺に向かうと、しばしお寺を眺めた。
ダメだ…覚えてない…。
川の位置を調べると寺から少し離れた駐車場の隣にあった。
そこは上流側にあった。
「ここだ…。」
「もしかして…。」
「あぁ、俺が落ちた場所な。」
塩見が息を呑むのがわかった。
上流へと繋がる山にかけられた橋は、季節の違いから雰囲気は変わっていたが、古い欄干が記憶の中の物と繋がった。
「こうしてみるとそんなに高くはなかったんだな…。」
記憶の中では5階の屋根から落ちたほどのイメージがあったが、せいぜい3メートルと言ったところか。
ただ、まだ幼かった自分には十分な高さだ。
記憶なんてそんなもんだ。
自分に都合の言いように作り変え、そうして人は折り合いをつけながら進んでゆく。
自分を虐待をした母親…これはどんなに記憶を変換しようとしても曲げようのない事実なわけで…。
「…家に、帰ろうか。」
「え?」
塩見は聞き間違えたと思ったらしい。
「帰ろう。病院には行かない、もう会わなくていい。」
「な、なんで、ここまで来たのに…。」
欄干に腰掛けてゆっくりと喋った。
「会う必要がなくなった。向こうだって手紙を書いたときとは気が変わってるかもしれないし。…と言うか、会っても何も変わらないのが解ったから。」
塩見が言葉を選びながら言う。
「…何を変えたかったの?」
「間違いだったと母に言ってほしかった。けど、橋は存在したし、事実は曲げられない。やはり俺は母に突き落とされてるんだ。大人からしたら大した高さじゃないこの橋も、幼い俺が落ちれば大変な事になることくらい想像はついたはずだ。良心の呵責に耐えかねて手紙を書いたかもしれないけれど、今更会って自分の罪を軽くして満足するなんて自己中心的な母親だろう。俺がわざわざ出向いて自分の傷に塩を塗る必要もないし、母に聞きたいこともないって気付いたよ。…だから帰ろうか。」
思い詰めた表情で塩見が言った。
「お願い、本当の気持ちを聞かせて。だってハルトくん…泣いてるみたいだよ。」
心臓を掴み上げられた気がした。
俺が黙っていると塩見が続けた。
「そんな苦しそうな顔して、ハルトくん反対のこと言ってる。ハルト君の…本当の気持ちを聞かせて、お願い。」
俺の代わりに、塩見がまた涙目だ。
「塩見もう泣くなよ、俺が困る。」
こいつの心はいつもむき出しで、いつも一生懸命で、引っ張られそうになる。
「お願い、勝手に答えを出さないで…。逃げないで…!」
塩見が形の綺麗な目を赤くしてじっと俺を見る。
俺も泣いてしまいそうで、塩見の顔を見るのが嫌だった。
「そうだよ、俺はさっさと答えを出して逃げようとしてる臆病者だ。本当は…本当は…一度でいいから『母さん』と呼んでみたい…。成長した今の俺を見てほしい…」
涙を我慢する塩見の頬に手を当てた。
けど、塩見の目を見ているのが辛くなって下を向いた。
途端、塩見に抱きしめられた。
包みこまれて塩見でいっぱいになる。
これじゃ息ができないじゃないか、と言ってやろうと思ったのに、胸が苦しくなって声が出なかった。
代わりに、顔も上げられず、子供のように塩見の胸にしがみついた。
「ずっと大人みたいな顔してなくていいんだよ、どんなハルトくんだって好きだよ。もっと気持ちを出して…。」
髪を撫でる塩見の手と優しい言葉に涙をごまかすことが難しかった。
今まで、父にも言えなかった言葉だ。
子供心に口に出してはいけないとずっと思っていた『母に会いたい』と…。
しばらくそのまま、今まで感じたことのない優しいぬくもりに溺れた。
「いたたた、痛いよハルトくん…」
「あ、ごめん…」
慌てて腕を解いた。
つい、きつく抱きしめていたらしい。
「ありがとう、ハルトくん気持ちを教えてくれて…。ハルト君、お母さんに会いに行こう?私がついてるから、大丈夫。」
俺は自然とうなずいていた。
塩見が今度は俺の頬を両手で包み近距離から俺の目を見た。
「素直なハルトくんも素敵だよ。」
ち…近い。
「なに言ってんだよ。不気味な奴だな。」
どぎまぎしながら視線を泳がせてると塩見は手を離して男らしく立ち上がった。
「さあ!行こうか!きっとうまく行くから。」
「あ、あぁ…。」
本当に、強引な奴…!けど、本当に大丈夫な気がしてきた。
何だろう、当たって砕けてもいいような、この感じ。
俄然やる気を出した塩見について、俺も歩き出した。