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女のくせに意外と早い!
思い切り走るのだが何故か追いつかない。
俺がヘタレなのか、塩見が凄いのか、とにかく差が縮まらない。
「待てよ!危ないから止まれ!」
「いや!ハルトくんの意地悪!私の気持ち知ってるくせに、ヒドイ!」
通行人が何事かと面白そうにこちらを見ている。
そうか、塩見は障害物競争がうまいのだ。
道行く酔っぱらいを避け、生ゴミを飛び越え、路地という路地を駆け抜けてゆく。
「迷子になるだろ!」
疾走を続ける塩見に叫ぶ。
「私が迷子になったって、心配でもないくせに!思わせぶりな事しないでよ!!」
「いつ俺がそんな態度取ったんだよ!」
走りながらよく喋れるな、なんてやつだよ、ほんとに!!
「普通にっ、一緒にいて楽しいじゃ駄目なのかよー!!」
かなり走った所で塩見がペースダウンした。
景色も代わり、街の喧騒がなくなっていた。
俺もペースダウンして、塩見の後を走る。
しばらくすると塩見が歩き出したので俺も歩いた。
夜の道を、二人一定の距離を開け、しばらく歩いた。
公園が見えてきて、塩見は荒い息をしながらベンチに座ったので、俺も一人分開けて隣に座る。
しばらくそうしていたが、二人の呼吸が落ち着いたところで切り出した。
「俺さ、奥村先生に憧れてたんだと思う。好きだったとも思う。」
塩見が驚いたように俺を見るのがわかった。
「現実味のない、子供じみた憧れだと思うけど、彼氏いるのわかっても触れたかったし…キスしてみたら何か変わるかと思ったけど、できなかったしなー。」
「…。」
「ま、それだけだけどさ、俺の中では結構嵐吹き荒れたって言うか。貴重な経験だった気がするんだ。」
しばらく黙っていた塩見も口を開いた。
「…ごめんね、私こそハルトくんに先入観持ってたかもしれない。好き勝手言って…。」
「俺も言い過ぎた…。」
けれど、単純に塩見と一緒にいたくなっている自分の気持ちを自覚してしまっていた。
「ねえ、ハルトくん好きだよ。」
「…知ってる…。」
「ちゃかさないでよ!こんなの、初めてで…。ほんとに、ほんとに好きなの…。」
顔を上げて塩見を見た。
塩見が大きな目で俺を見つめていて、その目からは大粒の涙が溢れ出した。
「な…なんで泣くんだよ…」
素直に焦ってしまった。
なんで?こうゆうタイミングで泣くもんなのか?突飛すぎないか?
新幹線を降りたあの時ならまだしも、なんで泣いてんだよ…。
「今までこんな風に人を好きになったこと、なかった。始めて会った時よりも、好きなの…!」
言うと塩見が俺に抱きついた。
しばらく戸惑ったあと、俺もゆっくりと塩見の背中に手を回した。
腕の中で小さい肩が震えている。
ほんの少しだけ腕に力を込めて抱きしめてみると、暖かくて柔らかかった。
胸が、苦しい。
切ないような甘い気持ちに驚きつつも、少しの間、俺たちはそうやって過ごした。
「ごめんね、泣いたりして…。」
しばらくして塩見が体を離し、恥ずかしそうに涙を拭いた。
「泣くなよ、ビックリするから…。」
息を吐きながら言うと涙目の塩見が笑った。
くるくる表情が変わる奴…。
「ごめんね。」
「いいよ…。それよりも…。」
俺は一呼吸おいて言った。
「今夜はラブホには泊まらない。ちょっとビジネスホテルに電話してみる。」
携帯を出しビジネスホテルを調べた。
やはり少し割高なホテルなら空いていて、無事にシングルを2部屋取ることができた。
実は怖がりで泣き虫な塩見…。
さらに、これで帰りの電車代を引くと心もとない金額になったが、仕方ない。
「ごめんね、大丈夫なの?」
「仕方ないだろー。ま、何とかなるよ。さ、もうひと頑張り、歩くぞ。」
言って歩き始めると塩見が後ろから腕を回して背中に抱きついてきた。
心臓が跳ね上がると同時にたまらない気持ちになった。
温かい塩見の体がピッタリと寄せられ、柔らかさが伝わってくる。
せっかく押し殺した男子の繊細な心を弄ぶんじゃねーっ!!
思わず目を閉じて眉根を寄せた。
これは苛めか、それとも試されているのか…。
「やっぱり私はハルトくんに付いていけば間違いないね。同じ速度で歩いてくれるんだね。」
塩見はしみじみ言ってから身を離すと指を絡めて手を繋いできた。
「行こう!」
もう元気そうないつもの塩見の笑顔だった。
時刻は22:45になっていた。
ホテルにつくとフロントスタッフはカードキーを渡し、にこやかな笑顔を絶やすことなく簡単な説明をしてくれた。
年齢は聞かれたが、お咎めはなかったので、制限はないのだろう。
安心した途端眠気が襲い、エレベーター内の階層表示が霞んで見えた。
別々の部屋にカードキーを差し込みドアを開ける。
「じゃあおやすみ。ハルトくん、気持ちを分かってくれてありがとう。」
「別に…」
勝手に勘違いをしないでほしい。
分かったも何も、俺たちは付き合ってすらいないのだ。
せめてもの抵抗に、そう言いたかったはずなのに、口をついて出た言葉は
「いいよ。のんびり行けば。おやすみ。」
だった。
俺は何を口走ってるんだ?
これは付き合っている体のセリフじゃないのか…。
部屋に入ると荷物を起き、ソファーに座り込んだ。
「…ま、いっか…。」
その独り言にも少し驚いた。
塩見の影響か、自分も随分とおおらかに考えられるようになったものだ…。
重い腰を上げてカーテンを開けると眼下には大阪の夜景が広がっていた。
明日は母に会いに広島に向かう…。
どんな顔をして迎えてくれるのだろうか。
記憶の中の笑わない母が浮かんでは消えた。
手紙には会いたいと書かれていたが、俺は本当に会いたいと思われているのだろうか?
気まぐれに書いた手紙を本気にした俺が会いに行って、迷惑に思うんじゃないか?
ガラスに写った自分の顔がひどく不安げな顔をしていることに気が付いた。
いや、それでも会おう。
今どんなふうに暮らしているか、そしてなぜ今更に手紙を送ってきたのか。
なぜ俺は虐待を受けたのか…。
聞きたいことは沢山ある。
本当は気持ちが複雑すぎて、自分でも母に会いたいと思って来ているのか、ただ単に意地になっているのか、よく分からなかった。
翌朝は7時過ぎに塩見が送ってきたメールの音で目が覚めた。
朝食を二人で食べに降りるとスーツのサラリーマンが目についた。
塩見はしっかりご飯を、俺はパンを食べたが、疲れが抜けず食欲もあまり無い。
「眠い…。」
「ハルトくん眠れなかった?私は部屋についたら即寝だったよ。足が筋肉痛〜。食べないと頑張れないんだから。」
「お前はいつでも元気だな…。」
呆れるほどにな…。
心の中でつぶやいた。