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夜空の星に恋した花火  作者: 及川
3/13

ないものねだり

吐き気を覚えたのは昼食を食べてからだ。

寝不足のせいかクーラーが効いた教室でも暑さが応える。

流石におかしいと思い保健室に行ったら熱があった。

奥村先生はつぶらな二重の目を、おどけた様子で丸くすると

「珍しいわね、いつも付き添い担当なのに」と言った。

別に好きで付き添いをしているわけでは無いし、担当でもない。

言い返したかったが気持ち悪くて反論する元気がなかった。

棚を開けて体温計を取るといつもの涼やかな声で聞いた

「お家の方に電話したいんだけど、おられるかしら?」

「いません…」

父は絶賛仕事中だし、母は…。

「そっか、お仕事じゃあ仕方ないわね…取り敢えず少し休んで、お仕事が終わる時間に電話したいんだけど。ごめんね、保健室では風邪薬とか勝手に飲ませてあげられないの。」

奥村先生は二人共仕事だと決めつけてそういった。

労るような視線が俺に注がれて一瞬胸が苦しくなる。

「子供じゃないんだから、一人で帰って薬くらい飲みますよ。」

相変わらず気持ちが悪かったが、俺は少しだけ笑いながら言った。

こんな事はもっと小さな頃から慣れている。そう、小さな頃からだ。

「なので、少しだけ寝ますね…」

俺は…白いシーツの敷かれたベッドに滑り込んで子供のように丸くなった。


俺はひたすら歩いていた。

何故って、母が俺を置き去りにしたからだ。

裸足の足が痛いし、寒い。

真冬なのにシャツしか着てないのは、お風呂上がりで『服を着るのが遅い』と途中で怒られ始めたからだ。

あれ?でも家を追い出されたのにどうして俺は…どこに向かって歩いてるんだっけ?

いや、自転車から降ろされた買い物の帰り道だっけ?

わけが分からなくなって立ち止まる。

冬だ…あの日の冬だ。

気が付けば俺は黒いフォーマルを着せられてローファーを履かされ、あの橋の上にいた。

もう、雪は振り始めていた。

雪の中ではしゃぐ俺は無邪気に振り返る。

「おかーさん、雪だよ!しゅごいよ、キレイ。」

黒い服を着て死んだ目をした母がゆっくりと近づいてくる。

「…どうしていい子に出来ないの?!」

突然言うと母は俺の両肩を強く掴むと、橋の欄干に押し付けた。

さっきまでは『絶対に汚すな』と怒られていたフォーマルスーツに容赦なく欄干の錆がこすりつけられる。

「判らないの?!お婆ちゃんが死んじゃったの!何で大人しくできないのっ!!」

両肩が痛み、母の形相と、足が浮かんでゆく恐怖で俺は泣いた。

そうだ、俺の祖母が亡くなって、二人きりで母の実家まで来たんだ。

読経が始まっても落ち着きのなかった俺を母は許してくれなかったのだ。

母は俺を締め上げる手を緩めない。

ごめんなさい、ごめんなさい…!

俺は泣き叫びながら必死に許しを乞う。

鬼の形相で何かを叫びながら、俺の体が欄干を越えてもその手を緩めることはなかった。

欄干にしがみついた俺の手は無情にも外れて…


「広瀬くん!!起きなさい!」

奥村先生の声で目が覚めた。

先生はぼくの両肩を掴み必死で揺さぶっていた。

息がかかりそうな距離で先生が俺を覗き込み、その髪の毛が頬に触れた。

「大丈夫?凄くうなされていて…」

ホッとした先生が俺の両肩から手を離した。

手で顔を拭うと頬が濡れていた。

う…情けないところを見られた…。

子供みたいに泣きながらうなされる俺はどんなに滑稽に見えただろうか。

…消えてしまいたい…。

一気に恥ずかしくなり逃げ出したい気分で布団を顔まで上げた。

「もう、病院に行きましょう。着いていくから。」

奥村先生が鞄を手繰り寄せ慌てて身支度を始めた。

白衣を脱ぎ、顕になった華奢な肩にストールを羽織る。

「いいんです…少し楽になりました。」

「だめ!」

勢いで手繰り寄せたカバンから雑誌が滑り落ちた。

よくある結婚情報誌だった。

虚しい気持ちが胸に広がった。

寺澤の話は本当だったのだと思った直後、苛立ちが胸を襲う。

「…へぇ…。先生結婚するんですか。噂の彼氏と?」

出来るだけ平静を装って訊ねる。

「あ…えぇ。けどまだみんなに内緒にしててね…。あまりたくさんの子には話してないの…。」

少し戸惑い、慌てた先生を見て無性に意地悪な気分になった。

「内緒ですかー。どうしようかな。」

俺は膝を立ててニッコリ笑ってみせた。

「生徒がこの部屋に来てないときは、こんな雑誌読んで、結婚式までの日を指折り数えて待ってる感じですか?奥村先生、意外と不真面目なんですね。」

気持ちが昂り呼吸が荒くなるのを抑えるのが難しくなってきた。

「不真面目に仕事なんてしてないわよ。…何言ってるの。」

声に戸惑いが混じり、先生がそっぽを向く。

「いや、まぁ、いいですよ。相手はたかが学生ですしね。正直がっかりしましたけどね、先生。」

俺の言葉に奥村先生は驚いたように頭を上げた。

もう、やけくそだ。

「先生のそうゆうのって、気分悪いんですよ。」

言うと同時に俺は先生の手を引く。

驚くほどあっけなくベッドに倒れ込んだ先生をすぐさま抱きすくめた。

「動かないで。」

小さく、鋭く叫ぶとあらがおうとした先生の動きが止まった。

「動かないでください、先生。暴れたら校庭から見えちゃいますよ。」

それは嘘ではなかった。

少し頭を上げると、そとでランニングをしている生徒が植込みの向こうに確認できる。

息もできないほど抱きしめると、先生の体温と香水の香り、そしてふくよかな胸が密着する。

必死に先生が抵抗すればするほど、ますます自分を止められなくなるのを感じる。

「やめて!」

頬に鋭い痛みを感じて我に返った。

どうやら平手を食らったらしい。

「…広瀬くん、どうして?…だ、…大丈夫?」

先生が震える唇で絞り出すように言うのを見て自己嫌悪感が溢れてきた。

この期に及んでも俺が熱に浮かされておかしくなったのではと心配してくれている。

混乱した様子で俺を怯えたように見つめる先生はただのか弱い女性で…。

死にたくなった。

「すみません、帰ります。」

誰かが持ってきてくれていたらしい自分の鞄を引っ掴むと逃げるように保健室を出たが、先生はもう声をかけては来なかった。


俺は最低だー!

帰宅すると取り敢えず薬を飲んでベッドに突っ伏した。

意外と先生のことに本気だった自分にショックを受けた。

それとも熱に浮かされてわけが分からなくなってなっていたのか?

どちらにしても…。

先生の、仕事に対する真剣な態度が好きだった。

愛らしい中の真剣に自分を見てくれる、包容力ある瞳が好きだった。

時々見せる笑顔が最高だった。

ごめん、奥村先生…。

意識を失うように眠りについて、次に目が覚めたのはチャイムがなっていることに気がついたからだ。

時刻は七時。

薬が効いたのだろうが、まだ頭がぼんやりしている。

一日眠ったような気分だったが2時間しか経っていなかったのが不思議だった。

部屋の窓からカーテンを少し開けて外を見ると、玄関の所に寺澤と塩見が立っていた。

この時間ということは終礼が済んですぐうちに来た、という感じか。

窓を少し開けて「玄関開いてるから。上がって」と声をかけた。

程なくして慣れた様子で寺澤が部屋のドアを開けて入ってきた。

「なんか、急に帰ったって聞いたからさ、ひどいのかと思って。」

寺澤が鞄を置きながら言った後ろで、何故か塩見がモジモジとしている。

「いや、薬のんだからだいぶ楽になった。奥村先生何か言ってた?」

「別に?」

「あの!これ、ゼリー飲料とか、あとスポーツドリンク、レトルト食品とか、あ、すぐ食べられるようにレンジ出来るやつも…」

塩見が目も合わせずに説明をする。

「なんだよ、この量。俺を引きこもりにするつもりか!」

「いや、だって…」

あ…なるほど。

やたらレトルト食品が大量買いされているところを見ると、俺の母親がいないことを聞いたんだな。

両親のいる家庭の中で育ったんだろうな、自分の知らない家族構成の俺にどう声をかけるのか躊躇しているようだ。

「まぁ、せいぜいレトルト食って元気になるようにするよ。この量だと、もう当分学校行かないかもだけどな。」

言うと、この部屋に入って初めて塩見が笑顔を見せた。

「あ、俺用事思い出した。俺、帰るわ広瀬。またな!」

おい寺澤、セリフが棒読みだ。

どうやら寺澤もいらぬ気を回したらしい。

塩見と二人きりにされてしまった。なんでだ?そんなつもりは全くないのだが。

「塩見は帰らないの?」

寺澤が出ていき、俺が聞くと少し緊張気味だった塩見の顔がふくれっ面になった。

「また!そーゆーこと言うしっ。寂しいかと思って来てあげたのに、ホント優しくしがいがない。病気のときは寂しくなるもんじゃないの?」

「そんなもん?」

少し笑いながら聞くと、塩見はベットに両肘をついて下から俺を見上げた。

「そういうもん!体が弱ってるときって、ちょっとは寂しいでしょ?」

「そうかな。」

「そうだよ!」

どこまでも無理矢理な奴だ。

「でも…確かに弱ってるかもな。」

「そうなの?!ハルトくんでも?!」

おいおい…お前が言ったんだろーが…。

「…正直心細かったかも。サンキューな。お前イイやつだな。」

言うと塩見が言葉を失い、落ち着きなくあたりを見回した。

「ハルト君って何でそうゆうことサラッというかなー。恥ずかしくないの?」

「そうか?」

俺の心は何かが欠落してるのかもしれない。

喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

「…そろそろ帰るね。早く良くならないとこのまま夏休みに入っちゃうよ。」

塩見が立ち上がり、プリーツスカートを軽く整えた。

そうか…あと数日で夏休み…奥村先生に会わなくて済むんだな…。

「夏休みにお祭り行かない?」

「…ああ。どうせだから寺澤とかみんな呼んで派手に遊ぶか。」

「何だ、二人じゃないのね。」

「当たり前だろ。お前といたらキスされるもんな。俺の貞操が危うい。」

言うと真っ赤になった塩見が顔をしかめて笑った。

「もうあんなコトはしないってば。馬鹿だったと思う。私、ハルトくんと会って少し変わったよ。今は一緒に遊べるだけで満足です…」

珍しく聞く可愛らしいセリフに少しだけドキッとした。

「そんな簡単に変わるか。根がエロおやじのくせに。」

「何それー!ひどい。性別まで変えることないでしょ。」

すねた口調で俺を優しく睨んで言う。

「けど、出会った頃はハルト君がこんな風に笑う人だとは、思わなかったなあ〜。」

嬉しそうに俺を見て塩見が言う。

「俺をロボットかなんかだとでも思ったか。」

塩見はのけぞって笑いだした。

塩見もこの微妙な関係を楽しんでいることは一目瞭然だった。

願えば叶うなんて嘘だ。

なんで俺は手に入らないものばかり欲しがってしまうんだろう。

涙目で俺を見つめた奥村先生の幻影が浮かんでは消えた。

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