トンボと彼女4
第四筆者:枯れるヒガンバナ
すべての授業が終わった後、僕と有川伊織は校門で待ち合わせる予定だった。
「遅い……」
幽体離脱の件を調べるために、一般開放されている大学図書館に行く約束をしていたのだが、彼女は来ない。既に多くの生徒が帰宅しているのにもかかわらずだ。もしや寝ているのでは? そう考えて有川伊織の教室に行ったが、彼女の姿は既になかった。
まあ、良い。気まぐれな女だ。今日はゆっくりと読書ができる。
自転車で汗をかき、帰宅したのは空が紅くなっている頃だった。汗に濡れた額を風が撫でる。自宅の横にある空き地にはトンボが自由を謳歌している。思い返すと、最後にトンボを触ったのは中学の時。あの時も有川伊織が強引に俺を山に連れて行った。
俺の人生はじゃじゃ馬が常に纏わりついている。そう思うと、頭が痛くなってくる。こめかみを押さえながら玄関を開けると、
「あーきーとーくぅん、おかえりなさいませ~。ご飯にする? お風呂にする? それとも、ワ・タ・シ?」
ああ、神よ。どうして俺にこんな人間を授けたのですか? 前世の俺は何か悪いことでも。キリストの教えは知りません。あいつはペテン師です!
「なになに? どうした、頭を押さえてさ」
「お前約束を忘れてたろ。俺はずっと待ってたんだぞ」
「めんご、めんご。すっかり忘れてたわ」
「それと、なんでいるの? しかも幽体で」
「暇だったから」
頭が痛い……。
「それで、どうする?」
「明日にしようよ」
「お前に約束が守れるか?」
「私は守れるよーだ!」
有川伊織はあっかんべーをしながら姿を消した。自由奔放で身勝手なやつだと、出会った頃から思っているが、あいつと出会わなかったら、俺は何をしているのだろうか。ボトルネックの嵯峨野リョウも諏訪ノゾミと出会わなければ、ああはならなかった。
翌日、俺は有川伊織のいる教室に顔を出した。周りは俺のことなど気にせずに、友達と喋っている。俺としてもそのほうが気軽い。干渉されないから。教室の入り口付近で有川伊織を探す。
「なんで、登校早々寝てんだよ」
窓側一番後ろの席であいつは寝ていた。顔は見えないが制服でわかった。俺は周りと目を合わせないように、有川伊織の前に立った。
「おい」
声をかけるが返事はない。なんてやつだ。お前は発育過程で誠実さというやつをどこかで落としやがったな。
「起きろって、幽体離脱のこと調べるんだろ」
さっきより大きな声で話しかけたが、それでも反応はなかった。もどかしく思い有川伊織の体を揺すろうとした時、
「やめたほうがいいよ。有川さんいつもそうだから」
知らない女子が俺の後ろに立っていた。
「え?」
「知らないの? 有名だよ。転校生だかなんだか知らないけど、いつも斜に構えて私たちを見下してるの」
女子の有川伊織を語る女子に俺は、
「いい加減なことを言うな!」
大声が教室を静寂に包んだ。うるさかった教室は水中に沈んでしまったかのように静かで、俺のことを気にも止めなかった奴らは俺を怪訝な目で見ている。
「うるさい」
異様な雰囲気を壊したのは有川伊織だった。彼女は伏せていた顔を上げ、立つ。俺は有川伊織と向き合う。周りのやつらの視線は有川伊織に向けられている。居心地が悪く、体が暑い。そんな状態で出た言葉は、
「話が……ある。ちょっと、来て……くれ」
「へえ」
有川伊織は笑った。口端の右側を釣り上げ、目は俺を真っ直ぐに捉えている。
「行くぞ」
有川伊織と一緒に出た後の教室は、俺が入る前よりも盛り上がった。きっと勘違した連中が盛り上がっているのだろう。まだ、体が暑い。少しだけ手が濡れている。有川伊織を見ることなく、屋上につながる階段を登り、踊場で足を止めた。
「私に話しかける勇気があったんだ」
有川伊織の発した声は有川伊織の声ではなかった。いつも聞いている、幽体で喋っている有川伊織の声ではなかった。凍えそうなくらい冷たい声だった。何も返さない俺に有川伊織のような女子は、
「用は何?」
「お前、有川伊織だよな?」
その質問に有川伊織のような女子の顔は怒りへと変わった。そして声を荒げて、
「お前まだ見てんのかよ! いい年して思い出にすがりやがってよ。そうやって現実逃避して何がしたい? お前のやったことはなくならない!」
「ちょっと待ってくれよ。俺はただ、お前の幽体離脱の原因を突き止めようと」
「幽体離脱? お前の妄想だろ」
「そんなわけあるか。毎日話してる。それに」
「私の名前は?」
「何言ってるんだよ。……お前は有川伊織だろ」
その言葉に彼女はため息をついた。そして制服の裾を捲り俺の頬を打った。バンと軽い音がなった。いきなりの出来事に頭がついていかず、痛みも感じなかった。呆然としている俺に彼女はこう言った。
「有川三葉。お前が殺した有川伊織の妹だ」