トンボと彼女1
第一筆者:涼海 風羽
「なあ、伊織」
「んー? なーにー?」
「俺たち、親友だよな」
「そだね、私たち小学校からずっと一緒だったよね」
「じゃあ一つ、聞いてもいいか?」
「うんいいよ、秋人君にだったら何でも教えてあげる」
「お前、なんで宙に浮いてんだ?」
◇◇◇
トンボとかいうホバリング能力に長けた昆虫さえも視界に留まったりはしなくなった。要するに、虫の活動時期は終わったわけだ。もっと言うなら冬を控える秋深し、と言ったところか。
なぜ俺が季節の移り変わりを昆虫で感じる羽目になってしまったのか。
先月、俺を山奥へ拉致した奴がいた。その大義名分を掲げて言うには「君の健康増進のためだよ!」と随分ご立派なこと。
意味不明すぎて聖徳太子も二度聞きするレベルだと思う。
目的など毎度のことながら≪彼女≫にあるはずもなく、気まぐれで俺は知名度も標高も大したことない山の頂へアタックさせられた。昆虫は、そのとき嫌というほど触れ合ったので無意識に焼き付いてしまったらしい。彼女と付き合うと昔からロクな目にあわない。
高校二年生になった今も、その呪縛から逃れるすべは見当たらずにいる。
今日だって、昼休みは図書室で優雅なブレイクタイムを決め込もうとしていた矢先のことだ。
「あーきーとーくぅん。なーにしてるのー?」
「図書室でラジオ体操に勤しむ奴がいると思うか?」
「なーんだ、また本読んでたの? お昼ごはんは? もう食べた?」
クラスメイトの有川伊織が話しかけてくるのは、いつだって俺が読書中のときだ。米澤穂信のボトルネックに読みふけっていた俺は、その世界観とは相反するテンション高めの声に現実へ引き戻される。
「本は継続して読むものであって突発的に反復するものではない。まだ食ってない」
「だって、私と会うときいっつも本持ってるんだもん、当てつけか~ってくらいに。今日はお弁当?」
「逆だ、俺の読書タイムを狙ってお前が話しかけてくるんだろうが。あとで購買で何か買うつもり」
「じゃあ、買いに行こっ!」
「今から?」
「今でしょ!」
「一緒に?」
「うん!」
「嫌だね」
「何で!?」
有川伊織は目がデカい。それと声もデカい。もひとつおまけに身振りもデカい。決して低俗かつ下品な見た目ではないのだが、いかんせん人目を惹くオーラがある。
「図書室で一人で盛り上がってる人とは馬が合いそうにない」
それは、良いようにも悪いようにも作用するため、彼女は損をしていると俺からですら同情を誘う。
昼休みになったばかりで利用者が少なかったのは幸い、と言いたい所だが、カウンター席で咳ばらいをする図書委員他、利用者約数名からすでに鋭い視線が集まっている。
二つの意味で、場をわきまえぬ白いセーラー服に向けて。
まったく、俺の安らぎの時間を削るのが好きな奴だ。泣きそう。
「あ、あはは……すみま、せん……ほらっ、君も謝ってよー」
「なんでやねん」
どうやら俺は肩をつかまれて揺すられているらしい。なぜ他人事っぽく言ったかというと、主観をもって相手するのがしんどくなってきたからです。
「…………」
「あれ、どこ行くの?」
「購買」
席を立ち、受付カウンターに歩み寄る。読んでた小説が面白かったので借りて帰るためだ。貸出手続きを図書委員の女子に任せている間、彼女は俺の後ろからご機嫌にわき腹を小突いてくる。
「結局行くんじゃーん! なに食べるー? 今日の日替わりパンはチョココロネだよ! あー、でも残ってるかなぁ、チョコ人気だしぃ」
さすがに声は抑えてるみたいだが、ジェスチャーまで小さくするほど懲りてないらしい。俺のわき腹に着実なダメージを積み立ててない方の手は、宙をいちいち指さしながら彼女の思考のせわしなさを表している。
「なかったらパンの耳でも良いさ」
「はい?」
「あっ、いや、こっちの事です」
図書委員の女子が反応して首を傾げた。ぽやっとしてそうな人だから、聞き違えたんだろう。貸出図書を手渡される際、気まずそうに視線を外された。
「か~っ、ついに君も私以外の女の子に手を出すようになっちまったか~。プレイボーイだねえ、青春だねえ~」
廊下。秋の柔らかい日差しが射し込んでいる一本道に、有川伊織のとんでもない軽口はよく響いた。それを上書きするつもりで俺も気持ちちょっと声を張る。
「明らかに違うってわかる事をご丁寧に曲解してくれてどうもありがとう。てか、俺がお前にいつ手をつけた」
彼女と話すとき俺はいつもこうした切り返しを要求されている。いや、強制されてるわけじゃないけど、しっかりした反応と返答をしないと有川伊織という女は、俺のペースをがんがん奪いにくる。
できれば俺は空を飛んでいたトンボのように、自分のペースで浮いていたい人間だ。そんな俺とは対照的に、豪風を吹き散らかそうとするのが彼女である。
「あれは中学二年の夏休み、花火大会の帰り道、君は私をむりや」
「記憶のねつ造はよくないと思います」
あまりにもトンデモないフィクションが語られだしたので、俺は咄嗟に否定する。彼女はそんな俺を見て、くすくすと笑った。
「でも花火に行ったのは事実じゃん? そのとき手ぇ繋いだじゃん? これってもう君と私はつながったも同然じゃん?」
「手をつなぐだけで二人が恋仲になるんだったら、アームレスリングの選手たちは痴話喧嘩が尽きないだろうな」
「それもそうだ」
彼女は高らかに笑いあげる。文字であらわすと「んなははははっ」と言った具合に。俺の発言で三秒ほど笑って見せた彼女は、すっと真剣な顔になって言った。
「いや、それはないでしょ。あれは男同士、女同士でやる競技だよ」
気づくのが遅い。ノリツッコミとしては上出来だと思う。本人もその自覚を持って言ったようで、どこか勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
まあ、なんか腹が立つので無視して階段を下りる。彼女の顔に悔しさがにじみ出した頃に、はじめて俺は口元に笑みを浮かべた。
とびきり上等な薄ら笑いをご馳走してやった。
意地汚い溜飲の下げ方を実演したところで、屋外で吹き曝しとなっている渡り廊下に出た俺は彼女へ、ふと尋ねた。
「模試の結果はどうだった」
「うーん、普段の君がとる国語の成績を全教科に並べたくらいかな?」
「つまり学年順位は全部ひと桁、と」
「そうだね。んなはははっ」
そう言って彼女は上機嫌に笑う。豪快に。きっと絶対に負けないという自信から、勝ち誇っているつもりなのだろう。
「今回の俺の順位は、総合四位だ」
俺が言った言葉に彼女は反応して、笑い声を止めた。
「うわーお、勉強したんだね。強い」
この台詞の後に「私は二位だったよ」と続かなければ、俺の昼休みはさぞやご機嫌に流れたであろうに。有川伊織は容赦がない。俺の表情筋が再びシワを作り出したのを見ながら、彼女はいたってシンプルに笑っている。
この顔が戻ってきて三か月が経つ。
「お前、前いた学校でもそんな感じだったのか?」
「そこまで軸のぶれやすい人間じゃあないかなぁ、私って。どうしたの、急にぃ」
有川伊織の高校一年生時代は、俺が行ったことのない土地で過ごされた。両親の仲が良かったというだけの理由で、幼い頃から関わってきた俺と有川伊織。別に、同じ高校に通おうね、なんてあまっちょろい約束をした覚えも全くないのだが、彼女がこちらに帰ってきて選んだ学校は、ここだった。一学期終了を目前に控え、夏休みに入るすんでの事だった。
住み慣れた町に戻ってきた彼女は、やはり元鞘に戻るかのようにいともたやすく地元の高校に馴染んだ。ただ、異郷の地で手に入れた白いセーラー服だけは、黒ずくめの学生服の群れの中で今でも他人行儀に清廉潔白を主張している。
「なんか、変わった」
「変わったって、美貌が増したとか?」
「すまんな、俺の一意見で全体の価値観を決定づけることは出来ないんだ」
「えー、ワン・フォー・オール・オール・フォー・ワンだよー」
「意味をはき違えないでくれ。それは俺の好きな言葉だ」
素晴らしい意味だと思う。一人はみんなのために、皆はひとりのために。
「でも君、友達いないよね?」
意味としては、素晴らしい言葉だと思う。
つきあいが長いと気兼ねなく話ができるというのは美しい所だが、もう少しオブラートに包んでほしかったな。七福神も涙ぐむぞ。
「俺はみずから望んで一人でいるの。他人に干渉されるのは面倒だ」
とは言いつつ、俺に友人という親しい人間がいないのは事実だ。一人の方が気は楽だと思う時もあるが、やはり何度か思ったことはある。俺の高校生活はこのまま終わりに向かって行くのだろうか、と。
「君って、私がいない間に彼女の一人もできた?」
だからこんな質問にも、期待された回答は用意できない。
「さぁね」
「いたらこんな所で油売ってたりしないか」
「この野郎」
「野郎じゃないですぅ、乙女ですぅ~」
うっわ、腹立つ。
くすくす笑いながら彼女は舌を出してアカンベェをしてきた。
「ま、私っていう幼馴染の親友が帰ってきたからにゃあ、もう一人じゃないから安心だよねっ! そうでしょ」
胸をトン、と叩いて自信ありげに言う。
「人の心を見透かしたようなことを」
「えっ、本当に安心してくれてるの? きゃっ、嬉しいな」
「言葉の裏を読む努力をしてほしいな」
「えー、そういう君だって、案外鈍いところもあるんだなぁって、思ってるよー?」
「それってどういう――」
次の瞬間、俺の世界はすべての動作を止めたかに思われた。
「私は今から君に告白しようと思ってる」
「…………は?」
「んなははっ、おもしろい顔。ま、そりゃ驚くわ。ずっと言えなかったんだけど、もう良いかなって」
俺の二、三歩先に進み出て、こちらに振り返った有川伊織。その表情は笑っているようだが、どこかこわばって見えるような気がする。
「えっ、あっ…………ハァ?」
「実は、私ね――」
彼女の唇がゆっくりと動き出す。
一瞬だけ気が遠くなった。階下の教室から「一発芸やりまーす! ハイッ、中島敦っ」とかくだらない声が廊下に響いてくる。ここに俺たちはいるはずなのに、その声の方が存在感は俺たちよりも上だった。
「やっ」
そして有川伊織が窓から飛び降りた。
有川伊織が、窓から飛び降りた。
有川伊織が窓から飛び降りた……?
え。
彼女の髪が、落下していく軌跡を残してスローモーションでなびいていくのを、俺の目はとらえていた。俺の幼馴染、有川伊織は校舎の窓から身を投じたのだ。
秋の白んだ晴れ空に、落ちていく彼女のセーラー服は霞んで見えた。
そのとき、【あの日の記憶】が俺の脳裏をほとばしった。血は凍り付き、全身の筋繊維が委縮するような、【あの日の記憶】が。
俺が声を荒げたのは咄嗟のことだった。
「伊織ィーー!」
「呼んだかね?」
「は?」
なんか聞こえた。
声がしたのは窓の外から。しかも、近い。
俺はこの時点で、何か超常的なことが起こっているって、なぜか半分悟っていた。では、残り半分を占める不安にしたがって恐るおそる窓の下をのぞき込むと……。
「やっと私を名前で呼んでくれたねぇ。あーきとくぅん」
けらけら笑いながら、悪びれもせずVサインを向けてくる有川伊織がいた。
「ドッキリ大成功~、んなははははっ」
圧倒的不謹慎にこれはガンディーも助走つけて殴るレベルだと思う。
やることなすことの全くが解せぬ状況であるが、しかし、明らかに腑に落ちないことが一つだけ。
有川伊織が、空中に浮かんでいる。




