アタラクシア
「ほお……ジン、そないなことがあったんか」
ジンが一通り報告を終えると、事務所のソファでふんぞり返っていた神崎は苦い顔をした。裏で動こうとしていたことが台無しだ。軍馬には情報をリークしてあるが、実質的に軍馬が自分の部下を動かすまでは時間がかかるだろう。
「で、早速その『鉛筆屋』とやらにあたりをつけようと思うんですが……」
ジンは珍しくやる気だった。大抵はだるそうに、だが正確に、仕事をそつなくこなすが、今回はやる気が前面に出ていた。
「……まあええわ。どっちみちこの問題は放置するわけにもいかんしな。うちのもんを既に三宮に配置しとる。お前もそれに加われや。けど、深追いはせんでええ。おそらくその『鉛筆屋』の背後にはある程度の組織があるはずや。うちの兵隊を使わんと対処でけへんのは間違いないやろう」
神崎の優秀さはそのカリスマだけではない。洞察力や先見の明、それらが彼には備わっている。ただの武闘派ヤクザではない。
「オヤジも出るんですか?」
「まあな。ワシらの街で好き勝手にやっとるクソ共は血祭りにあげるんが妥当やろ。ほんまやったらサツに突き出して終わりにしようかと思うとったけど……クスリを学生にも広げとるようやしな……。まあ、再起不能ぐらいにはしたろうか」
その言葉を聞いて、ジンは
「オヤジ。クスリ……の概要、ご存じなんですか?」
と尋ねた。神崎は苦笑いを浮かべる。
「……お前、察しええな」
「どうも」
「……話さなあかんやろな。クスリは通称“アタラクシア”。吸った奴に幻覚を見せるっちゅう、まあありがちなやつや。けど、このクスリは他のと違うてな。どうやら、副作用として、肉体の異常発達を促すらしい。星崎らの報告やと、生身の人間が逃走して、うちのもんが乗る車を振り切ったそうや」
「それは、確かに異常ですね」
「『鉛筆屋』ちゅうのはその売人の一人やろ。問題はなんでそないなことが起こっとるかっちゅうことやけど、まあ目星はつく。ジン、お前が見たのは学生やったな?」
「はい」
「その学生、成績不振の奴らが多いんやろ?」
「……なぜそれを?」
「よくある手や。これをやったら成績伸びるとかな。そんな安易な言葉で誘うわけや。実際、成績が伸びるかどうかは別として、まあ取っ掛かりにすれば中毒性があるから抜け出すことなんぞ大抵はでけへん。それで十分なんや」
「はあ……成績なんて普通勉強すればいいんじゃないですか。テスト前にある程度詰め込めば、ある程度の成績は取れるでしょう?」
「そりゃあ、お前に通わせた学校は特別やさかいな。普通の学校はそうやあらへんで」
「これが普通じゃないんですか?」
「ああ、全然。むしろ絶滅危惧種といってもええやろ」
けどまあ、と神崎は話の矛先を変えた。今はそんな些事に関わっているほど暇ではない。
「とりあえずは、『鉛筆屋』や。こいつをひっ捕らえ……」
神崎の言葉が終わる前に、神崎のスマートフォンからアラートが鳴る。これは部下たちに何かあったときに鳴るように設定してあるものだ。十中八九、『鉛筆屋』の捜索中に何かがあったのだろう。
「どないした!」
「爆弾です! 爆弾が……!」
部下の声は悲鳴に近い。
「落ち着け! とにかく逃げろ! 死ぬな!」
神崎の命令への返答は絶叫だった。電話口からはその光景は見えないが、どんな状況に陥っているかは想像できた。その吼え猛る炎の声で。
「……ジン、急いで三宮中央商店街へ行け。『鉛筆屋』とその仲間がそこにおる」
「わかりました! オヤジ、得物を使ってもいいですか?」
「許す。存分に使え。それから、警察の一個中隊をそっちに回す。長髪の若いデカが合流するはずや。そいつらと共闘して奴らを潰せ!」
こんにちは、星見です。
いやあ、暑いですね。暑すぎます。毎年書いているような気もしますが。今年の秋は何月に訪れるのでしょうか?来週からでも構わないのですが、無理っぽそうですね。
ではまた次回お会いできることを祈りつつ……