悪徳の都
夜の三宮は煌びやかだ。虚飾の繁栄を謳い、虚構の栄華を作り出す魔都。神戸の裏の顔は悪徳と邪念にまみれたものだった。
「へへへ……兄さん、ちょっと」
阪急神戸三宮駅を降りて歩くこと数分。人気のない路地でジンは太った青年に話しかけられた。
「いいものがあるんだよ。買っていかないかい? 学生さんみたいだから、特別に安くしとくよ。どう?」
特に暑いわけでもないのに、脂ぎった顔からは汗がにじみ出ている。おそらくはジンを追いかけて走ってきたのだろう。
「……いいものって?」
「いいものってのはね……“アタラクシア”っていうんだけど、知らない?」
「いや、知らないな」
ジンは釣れたと思った。偶然なのか、何か仕込みがあるのか。そこだけが気になるところではあったが。
「この薬を飲むと、君の願いが叶うんだよ。どう? 今なら一か月分で七万円!」
願いが叶う、という謳い文句にジンは笑った。
「へえ……じゃあよ、テメエをぶち殺すことが俺の願いだったら、どうするんだ?」
懐から取り出したワルサーPPKを青年の額に押し当てた。青年の皮膚からはさらに汗が噴き出る。
「この頭をチャカで吹き飛ばしたかったんだよな……」
「まままま、待ってくれ! 俺はただの売人なんだ! 助けてくれよ!」
「あぁ? タダで助けてやるほど景気いい業界じゃねぇぞ?」
ひぃ、と短い悲鳴が漏れる。
「……な、何が欲しい? 金か?」
「金なんざいらねえよ。そうだな……そのクスリ、もらおうか? 断ってもいいぜ。そん時はテメエの頭がザクロみてえになるだけだ」
「君は……人情というものがないのか?」
「は? 意味不明だな」
引き金に指をかける。
そうしてからジンは舌打ちした。
巡回中の警官たちがジンを発見したからだ。彼らはジンがワルサーを突き付けている相手が麻薬の売人だと知らない。どこからどう見ても、悪人はジンの方だ。
「貴様ッ! 傷害未遂の疑いで現行犯逮捕する! そこを動くな!」
もう一度舌打ちしたジンは麻薬の売人を蹴り飛ばした。その衝撃で彼が隠し持っていた“アタラクシア”が地面にぶちまけられる。白とピンクの混じった粉が入った袋が警官たちの足元へと転がった。
「優秀な警察官の皆さん、とっとと俺を捕まえてみせな!」
走り去るジンに追いつける警官は誰もいない。
当初の目的は果たした、とジンは思った。現物の麻薬を目の前にぶちまけられれば、いかに日本警察が無能といえども、この青年は逮捕されることになるだろう。そこから軍馬に情報が伝わり、最終的には竜胆会に情報が伝わる。それがジンの狙いだった。だが、それは甘い計算であったことを数日後に彼は知る。
こんにちは、星見です。
書きためていたものがそろそろなくなりそうです。
この汚染都市編もそろそろ中盤といったところです。『虚ろな境界』は今のところ五部構成を予定しており、その一部がこれにあたります。なので、『虚ろな楽園』ほどは長くならないはずです多分。
ではまた次回お会いできることを祈りつつ……




