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年季が入り黒ずんだ壁には一面にメニューや会計済みの伝票が鱗のように貼り付けられている。伝票を張り付けていくのがこの店の伝統らしい。床板は歩けばギシギシと軋み、頑丈であったろうテーブルも少しガタついている。大きな一枚板を使った味のあるカウンターの奥からは食欲をそそる匂いが漂ってくる。
武器のメンテナンスに鍛冶屋のオーヘンさんのところによった時に教えてもらった酒場だ。古く、伝統ある酒場らしく、常連で賑わっている。鍛冶屋の多い地区にあるため男ばかりだ。普段なら酒場の看板娘に視線が集まるのだろうが、俺がルヴィを伴って入ってからは誰もかれもがこちらを見ている。奥のほうのテーブルでなければ視線に包囲されるところだった。
「注文はどうしますかー?」
「ビールを二つとベーコンで」
「すぐ持ってきますねー!」
もっと静かなところで話してもよかったんだが、これぐらいうるさいほうが気を使わなくて済むだろう。
「賑やかでいいお店ですね。雰囲気もいいですし」
「オーヘンさんがおススメするだけあるよな。あのさ、ルヴィは寒いところの出身って言ってたよな?」
「はい、そうですよ。」
「どんなところなんだ? 話したくないなら別にいいんだけどな」
俺が珍しくこういう事を聞いてきたので嬉しそうにしながらも困ったような顔をしている。話したくないことではなさそうで安心した。
「えっとですね……雪がよく降っていました」
「…………?」
それだけ? あれ? これはやっぱり今まで通り聞かないほうが良かったのか?
「……すみません。それぐらいしか覚えていないんです。父や母のことも友達のこともよく思い出せなくって……思い出せればもっとご主人様にお話したいのですが……すみません」
「そ、そうなのか。じゃあ思い出したときは話してもらうから、気にしないで。なんとなく聞いただけだからさ」
話はしたいから嬉しかったが、思い出せないから困惑してた? いったい何があったら記憶がごっそり抜け落ちるんだ? 複雑な過去を持っていることは奴隷の身分からして察してはいたが、これは想像以上だな。奴隷になった経緯とかを聞いてもいいが……そんな気分でもないし……相変わらず人の過去を聞くのは苦手だな。これ以上聞く勇気はない。
「あ、あの、よろしければご主人様のお話をお聞かせ下さい!」
「あ、あぁ。いいよ。そうしようか」
「お待たせしましたー!」
ドンッと置かれた二つのジョッキは他の店よりも一回りは大きいものだった。脂で照りかえるベーコンは見栄えを全く気にされずに皿に載せられている。一切の気取りがない料理と店の雰囲気が最高にあっている。
「お料理はいいですかー?」
「お勧めを3品お願いします」
「はーい! 適当にお持ちしまーす!」
おすすめをお願いした時に常連たちがこちらを見てニヤニヤし始めた。なんだ? とんでもないゲテモノでも出てくるのか?
「皆さんどうしたのでしょうか? 笑ってらっしゃるようでしたが……」
「そのうちわかるんじゃないか? それは置いといて、乾杯しよう」
「そうですね」
「それじゃ」
「「乾杯!」」
微発泡の心地よい刺激が喉を通過していき、空腹の胃に染み入ってくる。雑味のあるビールだが、それがまたこの雑多で汚い店に見事にあっている。ルヴィも美味しそうに呷っている。その飲みっぷりに常連も驚いているようだ。少し前まで酒を飲んだことがなかったのに、今やどんな酒も美味しそうに飲む立派な辛党になってしまった。
「お待たせしましたー! おススメ1品目でーす!」
ビールよりも早く出てきたそれは、お盆サイズの皿に盛られた山のようなサイコロステーキだった。
なるほど、この量を2人で、それもあと2品も頼んでしまった一見客を笑っていたのか。だが、甘く見るなよ? この娘は喰うぜ?
「凄いですよ! ステーキ山盛りです! 美味しそうですね!」
見よ、この笑顔。肉の山に臆することなく満面の笑みだ。