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001

 

 街から少し外れた林にほど近い一軒のログハウス風の家。決して大きい訳ではなく豪華でもないが、しっかりとした造りで出来た木製のそれは安心感や温もりを見る者に与える。また、細かな部分にさり気なく装飾が施されており、一目で名工の手によるものだと分かる。


 その家のリビングで、一人の男が豊かな香りのコーヒーを飲み干し、少しキツめの苦味と微かな酸味を味わい、目を瞑り余韻に浸る。小鳥の囀りだけが聞こえる静かで穏やかな朝。食後の優雅なひと時である。


 一陣の風が、カップを置こうとした男の頬を撫でて後ろに抜けていく。


 ?

 

 窓を開けていた覚えはないんだが……。


 目を開けた先に広がるのは広大な草原。少し右手を見れば鬱蒼とした森。周りには遮る物もなにもない……なにも、ない、だと?


 「え?」 


 ……家は?俺の家は?


 5年もかけて方々探し回った末に見つけた最高の土地に、腕の立つ大工と1年かけて徹底的に動線や収納に風の通り方や部屋の配置を考え、メンテナンスを減らす為に頑丈につくった家、いや、俺の城。最高と名高い職人に細部までこだわって造ってもらった1点物の家具や、無駄に縫い目の幅まで指定してみた寝具に、センスのいいおしゃれな調度品類。何十と集めたオイルライター、各地で買い集めた銘酒、酒ごとに適したグラスの数々、こだわりのチップで燻してほんのりと薫りをつけた燻製肉や生ハム、寒い北国まで出向いて手に入れた鮭とば、漬けて良し掛けて良しの秘伝のタレ……。そこまで莫大な金をかけた訳でもないし、無くなったところで十分に生きてもいけるが……安らぎは、癒しは、費やした時間は、汗と情熱とこだわりの結晶は、もう戻ってこない。たぶん。


 俺の城が築10日で消えた。少し目を瞑った間に。余韻とか味わって悦に入っていた間に。


 全くもって何が起こったのか理解できない。むしろ理解したくない。


 だが、いつまでも呆けているわけにもいかない。落ち着け。現状の確認を行い直ちに行動を起こさなくては命に係わりかねない。直ぐに切り替えよう。仕事柄、緊急事態に慣れている事が幸いした。嫌なことはしばらく忘れていられそうだ。


 なかば無意識に現状の確認作業を始める。現在地に見覚えなし。装備は右手には空のコーヒーカップと中指、薬指につけた装飾の入った銀色の指輪。左手には一服の為に取り出そうとしていたシガレットケースと年季の入った銅製のオイルライター。足には黒のブーツに黒のズボン。紺のシャツに黒の革ジャン。ポケットの中には何も入れていない。右腰に中型のナイフが納められたホルダー。尻の下には軽く装飾の入った上品な椅子。


 着替えておいて良かった。煙草とライター、ナイフもある。酒は無いが2~3日は活動できそうだ。まずは人を探し、ここがどこなのか尋ねる必要がある。家まで遠くないことを願おう。


 先ほど後方を確認した時に、土が踏み固められて出来た街道らしきものが見えた。そこまで出てから左右どちらかに進み続ければ人の住む場所に行き着くだろう。サバイバルは御免だが覚悟はしておこう。


「ふぅ……仕方ない、か」


 椅子は持っていても重いだけなので非常に惜しみつつも置き去りにし、水を汲める為カップを片手にぶら下げながら、200m程先の街道へと向かう。


「ん?……これは」


 微かに森側の道から風に乗って音が聞こえてくる。どうやら馬車の様な物がこちらに来ているようだ。


 これはうまくすると、いや、絶対に乗せてもらわねばならない。まぁ、吹っ掛けられても……あ、ダメだ。手持ちがない。あるのはカップと……


「い、椅子!」


 まだ時間はある。すぐさま全力で走って回収しに行き、椅子をひっつかんで戻る。大した距離でもないので直ぐに街道へ戻れた。いつもより体が軽い気がする。それは、まあいいか。


 さて、間に合ったはいいが問題がある。まずは止まってくれるかだが、椅子を担いでコーヒーカップを持った賊はいないので大丈夫。多分。交渉は下手に出て愛想よくすればなんとかなる。多分。手持ちは無いが、この椅子はなかなかの物なので、出すとこに出せば悪くない値が付くはずだ。絶対。付かなかったらつけさせる。ダメだったら街に着いてから貯金を下ろせばいい。いや、最初からそう考えるべきだった。少々動揺しているな。椅子はいらなかったか。考えてみれば、どこにも問題は無いじゃないか。


 商人の物らしき馬車が近づいてきた。


 よし、そろそろ声をかけるとしよう。








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