奉饌の儀 2
「真海の声だわ」
竹林の道で、いつものボディガードに羽交い締めにされている真海の姿が、目に飛び込んできた。
彼女が持っていた花鋏が地面に落ちている。
「真海を離してっ」
「それが神使と雛です。逃がしてはなりませんよ」
実春の指示に従い、本家に仕える男が二人、涼香たちに向かってくる。
涼香は踵を返そうとするが、濡れた袴が足にまとわりついて、うまく走れない。
渡り廊下ならともかく、外の小道は石も多くつまずいてしまった。
「なにやってるの、涼香」
先に進んでいた時久が、盛大にころんだ涼香を助け起こそうと戻ってくる。
「行ってください、時久さま。私は捕まったって平気です。でも時久さまが捕えられたら、何も変わらない」
「でも、君が」
「いいんです。きゃあっ」
実春が、倒れたままの涼香の背中を足で踏みつける。
手に持っているのはちぎれた縄だ。
「ほら、神使さま。餌ですよ。お召し上がりください」
縄を涼香の首にかけ、後ろから持ち上げられる。
縄が首に食い込んで、息ができない。
苦しくて、目の前が真っ暗になる。
「さぁ、どうぞ。ちょうど折よく口も半開きになっていますしね。たしか魂を吸い出すのでしたよね。私がお手伝いしてさしあげましょう」
「親切……ぶら、ないで」
縄と皮膚の間に指を入れて、涼香は何とか呼吸した。
「僕はもう雛の魂は食べない。そう決めたんだ」
「今更何を仰るのですか。これまで、さんざん食い散らかしておきながら。ああ、そうでした。確か先代の雛の眼球を召し上がったのでしたよね。この娘も魂ではなく、肉を召し上がりますか?」
実春が残忍な笑みを浮かべて、真海が落とした花鋏を拾い上げる。
「まずは耳でもいかがです?」
「ひっ」
耳朶に感じる冷たい感触に、涼香は体が硬直した。
この男の心ひとつで、耳が落とされる。
助けて、怖い。
「……そ……う、たすけ、て」
「肉を食べたくないのなら、さっさと魂を奪いなさい。今ここで、奉饌の儀を続行するのです」
もうだめ。変えられると思ったのに。
涼香はきつく瞼を閉じた。
どだだだだ、という低い音が聞こえた気がした。
「ゴールデンサンダー・パーンチ!」
雄叫びと共に激しい衝撃を受け、涼香は思わず目を開けた。
首の縄は弛み、いきなり吸い込んだ多量の空気にむせて、咳き込んでしまう。
見れば、霜が実春の頭を踏んづけている。
「お前、それパンチではない……ううっ」
「パンチといえば、俺の拳を警戒するだろう。だが、そうはさせん。悪者を油断させ、その隙にパンチと欺きキックをくりだし、頭を踏みつける。悪はヒーローに頭を踏みつけられるものと、相場が決まっている」
「え、そうなの?」
涼香は、呆気にとられてしまった。
「馬鹿者。こやつのいうことなど信じるのではありません」
「しかし、涼香の好きなドラマでは悪人が自ら『俺の頭を踏んでくれ』と懇願するそうじゃないか。素晴らしい展開だな、なぁご当主さんよ」
なおも実春の後頭部に足をのせたまま、霜は腕を組んで極悪な笑みを浮かべている。
ああ、きっと必殺技名も自分で考えたのだろう。全然いけてないし。
それにレッドって主張しているくせに、技の名前はゴールデンだし。
年齢が離れているから、霜が子どもの時にどんな夢を持っていたのか、聞いたことはない。
でも尋ねなくても分かる。
きっと七夕の短冊には、戦隊ヒーローのレッドになれますように、と書いたに違いない。
きっと満面の笑みを浮かべた悪人面で。
(三十歳近い男性で、准教授でこれって、ありえない)
くすっと涼香は笑った。
「実春さま」
ボディガードが実春に駆け寄ろうとする。
拘束から自由になった真海は、竹林へと走った。
そこに置いてあった、先端に楕円形のものがついた棒をふりまわし、ボディガードをぶつ。
「ふん、こんなこともあろうかと思って用意しておいてよかったわ」
真海が手にしていたのは、シーカヤックのパドルだった。
「あの、真海。それって人を殴って大丈夫なの?」
「うーん、耐久性には優れてるんだけどね。割れたらどうしよう、6980円もするのよ」
いや、案じるのはそこじゃなくて。
「須賀野、そいつを縛り上げておけ。俺は実春を縛っておく」
「ラジャー、長官」
「違う。俺は長官ではなく、リーダーだ」
あまりにもの緊迫感のなさに、涼香は体からへなへなと力が抜けた。
手際よく実春を縄でくくった霜が、涼香を助け起こしてくれる。
「怖かったな、涼香。よく頑張った」
「注連縄は?」
「ほとんど切った。あとはこの門の近くだけだ」
よかった。
これで時久を地に留める結界がなくなる。
霜の指が、涼香の喉から首筋にかけてそっと撫でる。
まるで今にも砕け散る薄氷に触れるかのように、優しく。
「しばらくは痕が残るかもしれない。なんて、ひどいことを」
涼香の体が、霜の腕の中に閉じ込められる。
強く抱きしめられて、動くこともできない。
水で濡れて冷えた体に、霜の体温がとても熱く感じられる。
とくとく、と耳に伝わってくる霜の心臓の音。
なんだかとても鼓動が速いみたい。
心配してくれていたのだと思うと、涼香の胸に温かな気持ちが広がっていく。
「甘いですね、あなたたちは」
縄でぐるぐる巻きにされ、地面にころがされた状態のまま、実春は高笑いした。




