赤のヒーロー 1
霜が買ってきてくれた花火は、話をしていたら遅くなり、また日を改めてすることになった。
学校は夏休みに入り、真海は連日光崎家に通ってくれている。
巫として社を掃除したり、花を活けてくれたり。
けれど大半の時間は、離れにある和室の机で二人で向かい合って勉強をしている。
「独創的な花ね」
「うーん、活け花は難しいわ。いやー、あたしには向いてないっていうか」
「でも見ていれば元気が出そうよ」
床の間に置かれた水盤には、十本以上のひまわりが咲き誇っている。
茎が長いので水盤の辺りが寂しくならないようにだろうか、下の方には柏の大きな緑の葉が添えてある。
ついでに大輪のプロテアも飾ろうとしていたけれど、それはさすがに諦めたらしい。
「あー飽きた」
「ちょっと、真海ったら。まだ勉強を始めて二時間よ」
「二時間もやれば十分よ。涼香ったら、もともと進学を考えてなかったのに、真面目だから成績はいいんだもん」
「だって赤点をとると追試だし、しかも補習まで受けるなんていやだわ。だったら普段から勉強していた方が、わざわざ試験勉強をしなくて済むもの」
「うっわ、出た。優等生発言」
真海は、ごろんと畳の上に転がった。
自分の家でごろごろする習慣のない涼香は、驚いて目を見開いた。
のんびりしていいのは、大学の霜の部屋だけだと思っていたからだ。
開いた窓から風が入り、風鈴が涼しげな音を立てる。
セミの鳴く声を聴きながら、真海は瞼を閉じた。
霜は今朝も雛男衆の仕事として、橘を摘み、涼香の着付けをしてから仕事へ向かった。
まだ巫の仕事に慣れない真海にとっては、バスを使って通ってくることも、社での務めも大変に違いない。
そう思って、せめて掃除の手伝いはしているのだけれど。
(本殿や幣殿の掃除はちゃんとしてくれているし、お供えする竹も毎日新たに用意してくれるし。本当に頑張ってくれているわ)
早くも健やかな寝息を立てている真海を起こさぬように、涼香は母屋の台所へと向かった。
今朝は早く起きて、ゼリーを作っておいたのだ。
透明なゼリーの中に、赤や緑、青い色の小さなキューブ型のゼリーを閉じ込めて。
アルミの型を、ガラスの器の上でひっくり返す。
「うわぁ、素敵。宝石箱みたい」
型崩れもせずに、きらきらと煌めくゼリーを涼香は見つめた。
最近は、自分でできることが増えはじめている。
離れに戻ると、真海は目を覚ましていた。
「お疲れさまー」
「え、何が?」
「いやぁ、トイレが長いから」
「ちょっと違うわよ」
涼香は頬をふくらませながら、手にした盆を机に置いた。
「うわ、きれい。もしかして涼香が作ってくれたの」
「えへへ、頑張ってゼリーを作ってみました。真海、好物よね」
「覚えててくれたんだ」
「だって、学食のランチでゼリーがつくときって、すごく嬉しそうだもの」
真海はスプーンを手に取ると、笑顔でいただきますと言った。
「宝石みたいにきれいね」
ゼリーを口に入れた真海が、なぜか何度も咀嚼している。
「ねぇ、味はどうかしら。ゼラチンじゃなくて寒天で作ったんだけど」
「宝石みたい」
「だからそれは見た目のイメージでしょ」
「あのね、涼香。なんでゼリーなのにごりごりって歯ごたえなの? ちょっと食べてみなさいよ。もしかしてありえないほど大量に、寒天を入れたでしょ。いや、寒天だけじゃこうはならないか」
前にもこんなことがあったような。
ああ、そうだ。霜にお弁当を作った時の反応に似てるんだ。
涼香はゼリーをスプーンですくって、口に入れた。
「おいしいわよ。霜には特大のゼリーをつくってるんだけど」
「北門さんに同情するわ。それにしてもあんた、強靭な顎ね。顎が細いくせに、マンモスの肉でも食いちぎれるんじゃないの?」
なんでマンモス?
がりぼりと口の中で音を立ててゼリーが砕けていく。
その音を楽しみながら、涼香は首を傾げた。
息抜きということで、真海は海で泳ごうと提案した。
勉強は、さほどはかどっているわけないけれど、真海によれば涼香の立てるスケジュールは尋常じゃないらしい。
水着に着替え、上にパーカーを羽織って外へ出る。
もちろん浮き輪持参だ。
「うーん、水着にしては露出が少ないかな」
真海は、涼香が腰に巻いたパレオをつまんだ。
中等部までは授業で水泳があったから、スクール水着は持っていたけれど。
毎年二十五メートルが泳げなくて、水泳の補習を受けていた涼香は、高等部に入る前に水着を処分してしまっていた。
パレオのついた茶色い水着は、最近慌てて買ったものだ。
門を出ると、すでに十日近く潮風や夜露にさらされた紙垂は、一部が破れはじめている。
「紙垂や注連縄を変えなくていいの?」
「今はまだ、ね。奉饌の儀まで、あと少しでしょ。がまん、がまん」
真海は、車を見送ってから道路を渡った。
その時、行き過ぎたばかりの車が急ブレーキをかけて停まった。
降りてきたのは光崎本家の若き当主、実春だ。
狐面みたいに細い目を珍しく大きく見開き、眉をつり上げている。
「何ですか、その格好は。はしたない。雛男衆に着付けてもらわなかったのですか」
ずんずんとまっすぐに進んでくる実春に、涼香は思わず後ずさった。
真海は手にした籠に、なぜか右手を慌てて突っ込んでいる。
「誰の許可を得て、外に出ているのです。雛が雛たる所以を知らぬのですか」
「知って、います」
「言葉遣いがなっていない。『存じております』でしょうに」
スーツの内ポケットから出した扇子で、頬を叩かれる。
畳んだままの扇子は硬く、しかも細身とはいえ男の力だ。
涼香は頬がじんじんと痛んだ。
普通の扇子に見えるのに、なぜか細い糸が全体に巻かれている。
「ちょっと、あんた。女の子に暴力をふるうなんて、最っ低」
真海が、だん! と足を踏み鳴らした。
「誰ですか。この小娘は」
「須賀野真海っ。ぴっちぴちの十七歳。趣味はカヤック、だけど暑い時は海水浴」
「雛の何なのかと尋ねているのです」
「あたしは巫よ」
真海の言葉に、実春は表情を歪めた。
説明を求めるように、視線を涼香に向ける。
その眼が「志津香はどうしたのです」と問うている。
「真海は、姉の跡を継いだ新たな巫です」
「何を勝手なことを。誰の許可を得ているのです。本家は代替わりなど聞いていませんよ」
「巫の交代は、時久さまがお命じになられました」
「時久? あなたまで神使をそのふざけた名で呼んでいるのですか」
扇子を何度も閉じたり開いたりしながら、実春は眉間にしわを寄せる。
不思議なことに扇子に巻かれていた糸は、消えていた。
「たとえ神使が直々に命じたとしても、決断を下すのは光崎の当主であるこの私。それに志津香が巫の座を素直に譲るとは思えません。彼女はどうしたのです、務めを果たせぬとは病に伏せているのですか」
どうやら実春は事情を知らないようだ。
本当のことが伏せてあるということは、本家に知られてはまずいからだ。
なんとか適当にごまかして、帰ってもらわないと。
「姉は、体調を崩しています」
「ならば本家に相談すればいいものを。代替わりなどせずとも、代わりの者をよこしますよ。雛のあなたも困るでしょうしね」
実春の言葉は、優しそうに聞こえる。
けれど真海を小娘呼ばわりし、いきなり涼香の頬を打つ男だ。
油断してはならない。
「さぁ、家に戻って着替えなさい。ついでに志津香も見舞ってあげましょう。この私が直々に顔を出すのです、すぐに元気になるでしょう」
「待ってください。実春さん」
実春は、涼香の腕を乱暴に掴んだ。
布越しに指が食い込んで、とても痛い。
「今は姉に会えないんです。だから家に行かないでください」
「雛の分際で、誰に命令しているのです」
肩越しにふり向いた実春は、鋭い目で涼香を睨みつけてきた。
「男衆にちやほやともてはやされて、勘違いしましたか? 確かに雛は他に代わる者のいない存在、大事にしなければなりません。ですが光崎家にとってはただの生贄。成長すれば捌かれる鶏と同じ。それゆえ雛と呼ばれるのですからね」
怖い。
涼香は実春の手をふり払い、海岸に続く石段を駆け降りた。
すでに浜昼顔は花の季節を終え、しおれた花をつけた茎や葉が残るばかりだ。
「待つのです」
「あんたこそ、待ちなさいよ」
真海が砂をひっつかんで、実春に向かって投げつける。
本家とは無関係だからできることだ。
光崎の血に連なる者は、当主に逆らうことなど考えられない。
実春はとっさに扇を開いて、砂をよけた。
「なんと無礼な」
「逃げるのよ、涼香。捕まっちゃだめ」
真海の指示に、涼香はうなずいた。
(私、実春さんから逃げている。嫌だって、言っている)
まるで鎖のいましめを解かれたみたいに、本家のそれも最高の位置にいる実春に抵抗しているなんて。
実春は停めた車に視線を向けた。
すぐに扉が開き、中から黒いスーツを着た大柄な男が現れた。
「雛を捕えなさい。少々怪我をさせても構いません」
「了解いたしました」
男は深々と頭を下げると、石段を駆けて浜へと降りた。
捕まってはならない。
自分たちが時久を解放しようと考えていることを、決して知られてはならない。
涼香は無我夢中で走った。
足が砂にめり込んで、何度もつんのめる。
「あっ」
貝殻を踏んでしまい、体がよろけて転んでしまった。
すぐ背後に男の気配がする。だめ、逃げなくちゃ。
ごつごつとした手が、涼香の肩にかけられる。




