ダンジョン論 冥界鬼将ギアガンドリアス
■冒険者を支援する最大手ギルド『光のギルド』での投票の結果、『歯ごたえのあるダンジョン・ナンバーワン』の座に二年連続で輝くダンジョンがある。そのダンジョンの名は<フォーゴーン・グリム・キープ(忘却酷塞)>。ダンジョンのラスボスである冥界鬼将ギアガンドリアスは如何にして、これほどまでに冒険者の挑戦意欲をかき立てるダンジョンを生み出したのだろうか?■
私は、ダンジョンを作る地域には全くこだわりませんでした。
たとえ、どれほど辺鄙な山奥であれ、地下深い大洞窟であれ、ちゃんとしたダンジョンを構えていれば、必ずや挑戦者が現れてくれるはずだと、確信していました。
代わりに、強い理念を持っていました。
挑戦者である冒険者たちが求めているのは、報酬や名声だけではありません。やりがいも求めているんです。
それに応えるために、引退、あるいはモンスターに殺されるまで、一生涯かけて挑戦し続けることができるダンジョンを作ろうと決めていました。
こちらも、魔族として、持ちうる限りの邪悪さ、狡猾さを振り絞って、彼らに対面できる舞台を作りたかったのです。
我がダンジョンが、ただ、クリアされることを待つだけのものになってしまうのが嫌でした。
宝箱の中身と、経験値しか残らないようなダンジョンにはなるまいってね。自分の創作物がそんな風に認識されるって、悲しいじゃないですか。
宣伝にはほとんど力を入れていませんでした。定期的に我がダンジョンの近くを通るキャラバンを襲撃して、イベント発生させるのみです。
純粋に、冒険者たちの口コミでダンジョンの噂が広まってくれることを期待したのです。
ダンジョンの建物や内装は、廃城を利用して、なるべくコストを抑えました。
我が眷族の魔物や、召還した魔獣たちにも、パフォーマンスを徹底的に洗練させるよう、教育しました。
そう、大切なのはパフォーマンスなんですよ。
パフォーマンスこそが、挑戦者に直接還元できるツールなのです。
同時に、我がダンジョンが重要視しているのは、『問いかけ』です。
我がダンジョンは、必ず挑戦者に問いかけをします。
「なぜ、ここへきた?」
「なにを求めている?」
「それは死を賭すに値するのか?」
挑戦者は、我々の問いかけによって、自分を見つめ直す機会を得るのです。
冒険者として、己を再発見することができます。
そんなことができる場所は、そう多くはありませんよ。
こうしたダンジョンを舞台とした問いかけ、コミュニケーションを行うには、冒険者の立場に立って考えることが不可欠です。
私は常に心の目を見開き、挑戦者を精査します。
彼らの望みを受け止めます。
彼らが、ダンジョンに求めるイメージをかなえることができるように、ダンジョンを成長させているのです。
そうすることで、今までただ漠然とモンスターを狩っていた冒険者が、冒険者たる自覚を持ち、矜持を心に、我がダンジョンに挑戦してくれるようになるのです。
無論、ダンジョンを用いてのコミュニケーションを成功させるまでには、数多くの壁を突破しなければなりません。
冒険者たち光の軍勢と、ダンジョンにて待ちかまえる我ら闇の軍勢の間には、大きな溝が横たわっているのです。
私は冒険者を理解するため、少なくない時間とコストを、研鑽の為に費やしました。
冒険者がダンジョン攻略のために組織している『光のギルド』は有名ですが、我々、魔族側にも、ダンジョン経営のための『闇のギルド』があることは、意外と知られていません。
様々な講習会や、模擬冒険者を用いた演習戦闘などを経験して、ダンジョンのパフォーマンスを鍛えました。
それに加えて、何物にも代え難い情報を学び取ることもできたのです。
人間、ドワーフ、エルフといった光の側の種族でありながら、闇の軍勢に協賛して加担してくれている個人とも知り合う機会がありました。
それぞれの種族の考え方、彼らがダンジョン攻略に何を期待しているのか理解できたのです。
■冒険者たちに、歯ごたえのあるダンジョンと認められ、日夜、攻め立てられている<フォーゴーン・グリム・キープ(忘却酷塞)>。その主として、半端ではない重圧に曝されているはずである。そのようなプレッシャー下に自分のダンジョンを置きながら、何を思っているのだろうか?■
気配りですよ。
私は常に、冒険者に気配りすることを意識しています。
与えてこそ、彼らからも与えてもらえる。このスタンスが基本です。
冒険者たちが、折角ダンジョンを攻略しに来てくれている。
だから、納得してくれるまで、ダンジョンを攻略してもらえるように対応するのが、ダンジョン側の義務だと思うのです。
その点を極めるために、我がダンジョンは、利便性にこそ特に力を入れてあります。
我がダンジョンに、最高のコンディションで臨んでもらえるように、武器屋、防具屋、回復のための宿屋、教会、冒険の書を記録するための代書屋、全てをダンジョン内に揃えてあります。
無論、そうした商業施設で魔族が店頭に立っているわけではありません。全て『闇のギルド』経由の架空会社をでっちあげ、誘致したものです。店で働く人間の店員、ドワーフの鍛冶屋、エルフの僧侶は、我がダンジョンに出資されていることすら知りません。
もちろん、ダンジョンの不気味な空気を壊さないよう、商業施設には巧みな雰囲気作りやカバーストーリーの制作をさせています。
同様に、ダンジョンの深層に挑戦したがる、高レベル冒険者のために、エレベーターも設置してあります。
ダンジョンの入り口から、最下層まで八分でアクセス可能という利便性を実現しました。
利便性が高い分、万全の態勢で冒険者は襲いかかってきます。必然的に激戦が多くなって、我らダンジョン側の被害も、決して少なくはありません。
我が眷族の一匹、ダンジョンの中ボスに問いつめられたことがあります。
「なぜ、こんな、身内が傷つくようなダンジョンを設計したのか? それほどまでに冒険者たちの機嫌をとりたいのか?」
それに対して当時の私は、眷族に反抗されたことにショックを受けるよりも、怒るのも無理はないな、と納得してしまって(笑)。
一番酷かったのは、もうずいぶん前のことになりますが、凄い高レベル冒険者が二十人ぐらいでパーティーを組んで、ダンジョンを完全攻略しようと目論んだことがあったんです。
ダンジョン内のモンスターが四分の三ぐらい殺されちゃって、やむなく私自身が出陣したのです。
そしたら、殺されかけまして……焦りましたよ(笑)。
ダーク・マターやアニヒレイションみたいな最上位魔法をバンバン撃って、どうにか撃退できましたけど、あのとき消費したマジックポイントは、全回復するのに半月ぐらいかかりました。
で、生き残った中ボスが怒り狂ったわけですよ。
でも、私はこれこそがダンジョンの正しい姿だと思うのですよね。
死と隣合わせの毎日を過ごして、それでも冒険者を歓迎して。
こうやって本気で相手しているんだ。冥界鬼将ギアガンドリアスは逃げも隠れもしないんだ。そう胸をはれる。
プロというのは、こういうものだと思うんです。
冒険者に本気をぶつけてもらって、こちらも本気を返す。
■Aランク冒険者パーティーがラスボス自らの手で壊滅させられた一報は、ダンジョンの名を更に高めた。それはその後の人気沸騰へと繋がる。今では<フォーゴーン・グリム・キープ(忘却酷塞)>は冒険者がAランクへ到達するためのシンボルとして認識されている■
闇と光の種族は、もう神話や聖書の時代から仲悪くて、あらゆる場所で戦ってばかりいるでしょう?
でも、ダンジョンでは、お互いにコミュニケーションができるのですよ。分かりあえるのです。
もちろん、我々は殺し合います。
でも、殺す相手のことを思い、敬意を払います。冒険者たちも、我がダンジョンをどうにかして攻略してやろうと、本気になってくれる。命を含めた、全てを賭けてくれる。
ダンジョン以外で、光と闇がこうやって互いを意識していることってないんですよね。
大勢の冒険者に攻めて来てもらって、光と闇が交わっている。
それは美しいことなのだと思います。
もちろん、それを実現するのは生やさしいことではありません。
我がダンジョンは、たびたび、完全に攻略されそうにはなりました。ダンジョンの床は、モンスターの骨で舗装されています。
でも、こんな苦行を続ける御利益もあるのですよ。
高レベルの冒険者と戦えるおかげで、うちの魔物は凄いスピードでレベルアップしてくれます。
中には、私に迫る程までに成長した魔物もいて、彼らは独立して、自分のダンジョンを構えています。
あと、冒険者の側で我がダンジョンに惚れてくれる方が多いのですよね。
我がダンジョンの心意気に恋してしまって、もう攻略するだけでは我慢できないと……(笑)。
さすがに、生きているうちは立場があるので来ませんけど、うちのダンジョンで死んだ後、アンデッドとして参入してくれる事例が、本当に多いのですよ。
最近は、『闇のギルド』に頼まれて、研修制度というものも始めました。
ダンジョンを開きたいけど、経験が足りないと自覚している、若い魔王やドラゴンの皆さんに、我がダンジョンで経験を積んでもらうんです。
ダンジョンの階層一つをまるまる任せて、ボスをやっていただいています。
冒険者側の中には、彼らのことをダンジョンのラスボスだと思っている方も多いようですね。
うちは戦いの激しいダンジョンですからね。生きて研修を終えられた生徒さんは、いいダンジョンを作られていますよ。
いろいろあって、我がダンジョンも大所帯となりましたが、まだまだ私の理想としている、真のダンジョンとは程遠いものです。
我がダンジョンをよりよいものにしたいと、常に思っていますし、実際に無限の可能性が広がっています。
今日も大勢の冒険者が攻め寄せてきますけど、私はそれを望んでいますし、私がやりたいように歓迎するつもりです。
苦しいことがあっても、歩みを止めるつもりは全くありませんね。
■冥界鬼将ギアガンドリアスのダンジョン哲学■
「敵である冒険者に与えてこそ、彼らからも与えられるモノがある」
■併せて読みたい? ダンジョン論シリーズ配信中■
Vol251 善玉ゾンビと能率的ネクロマンシー活用法
Vol252 蒸気戦車に征けぬダンジョンなし
Vol253 ダンジョンのエレベーターボーイの快適仕事術