表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/39

第36話

 成田の空に、突き抜けるような蒼穹が戻っていた。

 

 先ほどまで眼前を覆い尽くしていた紫色の悪夢――御影恭一郎の成れの果てである巨大球体は、今や跡形もない。

 

 空に舞うのは、キラキラと輝く白い灰だけだ。

 それは太陽の光を浴びてダイヤモンドダストのように煌めき、浄化された霊力の残滓となって大気に溶けていく。


 圧倒的な静寂。

 

 広場に残っていた群衆、マスコミ、機動隊員。

 誰一人として、言葉を発することができなかった。

 目の前で起きた出来事が、あまりにも常識を逸脱していたからだ。

 

 見たこともないような怪物を、たった一人の人間が、たった数分で、しかも傷一つ負わずに消滅させたのだ。

 それを「現実」として処理するには、人間の脳はあまりにも脆弱だった。


「ふぁぁ……」


 そんな凍りついた時間を溶かしたのは、間の抜けたあくびの音だった。

 

 視線が集まる先。

 モニュメントの上に立つ白い狩衣の陰陽師――久遠湊が、大きく伸びをしていたのだ。

 

「終わった終わった。……肩凝ったなぁ」


 そのあまりの緊張感のなさに、張り詰めていた空気がカランと音を立てて崩れ落ちた。

 神殺しの英雄ではなく、ただの仕事終わりのサラリーマンのような背中。


 だが、その姿を見て、一人の少女だけが我に返った。


「叔父さんッ!!」


 久遠リナだ。

 彼女はへたり込んでいた足に力を込め、涙を拭いながら湊の元へ駆け寄った。

 

 怖かった。

 死ぬかと思った。

 もう二度と会えないかもしれないと、絶望しかけた。

 

 でも、来てくれた。

 いつものように、ダルそうな顔をして、けれど誰よりも強く、私の世界を守ってくれた。


「叔父さぁぁぁん!!」


 感極まったリナは、勢いよく湊の胸に飛び込んだ。


「ぐっ……」


 湊がわずかによろめく。

 リナは湊の狩衣にしがみつき、顔を埋めて叫ぼうとした。


「すごかった! 本当にすごかったよ! ありがとう叔父さ……むぐぅッ!?」


 言葉は最後まで続かなかった。

 湊の大きな手が、リナの口を物理的に塞いだのだ。

 

 ガシッ。

 アイアンクローのような形相で、しかし力加減は絶妙に優しく。


「んー! んー!!(なにするのー!)」


 ジタバタと暴れるリナの耳元で、湊がドスの利いた小声で囁いた。


「馬鹿。声がデカい」


 湊は、周囲をキョロキョロと見回しながら、唇を動かさずに告げる。


「今、カメラが何台回ってると思ってるんだ? ここでもう一度『叔父さん』なんて呼んでみろ。俺の身元が一発で特定されて、明日から家の前にマスコミがテント張ることになるぞ」


「ッ……!」


 リナの動きがピタリと止まった。

 恐る恐る周囲を見る。

 

 数台のテレビカメラ。

 数百のスマートフォン。

 そのすべてが、今、この「感動の再会」に向けられている。

 

 もしここで、「久遠湊」という名前と、「久遠リナの叔父」という関係性がバレたら……。

 平穏な隠居生活どころか、湊の嫌いな「しがらみ」が津波のように押し寄せてくる未来が確定する。


「むぐぐ……(ごめんなさい)」


 リナが眉を下げて謝罪の意を示すと、湊はようやく手を離した。

 

「ぷはっ……! うぅ、ごめん。嬉しくてつい……」


「気持ちはわかるが、今は状況が悪い。……見ろ、動き出した」


 湊が顎でしゃくった先。

 静寂から解き放たれたマスコミ陣が、特ダネの匂いを嗅ぎつけて、バリケードを突破しようと押し寄せ始めていた。


「あの! そこの陰陽師の方ーッ!!」

 

「一言お願いします! あなたは一体何者なんですか!?」

 

「その力は何なんですか!? 政府の関係者ですか!?」

 

「リナちゃんとの関係は!?」


 怒号のような質問の嵐。

 フラッシュの光が、機関銃のように明滅する。


「うわぁ……」


 リナがドン引きして後ずさる。

 モンスターの群れよりも、人間の群集の方がよほど質が悪い。


「……はぁ、面倒だな」


 湊は心底嫌そうにため息をつくと、ポンとリナの背中を押した。


「え?」


「あとは若いもんでなんとかしろ。俺は帰る」


「ええぇ!?」


 リナが素っ頓狂な声を上げた。

 この状況で、私一人を置いていく気!?、とでも言いたげな表情だ。


「だって俺、一般人だし。顔出しNGだし。後の説明は『現場にいた人気配信者』に任せるのが筋ってもんだろ?」


「そんな無茶苦茶な! 私だって何て説明すればいいか……!」


「『通りすがりの変な人に助けられました』でいい。じゃあな、晩飯の時間には戻る」


 湊は面を少しずらしてニヤリと笑うと、右手の指を立てた。


「ちょ、待っ――」


 リナが伸ばした手は、空を切った。


 パチン。


 乾いた指の音が響いた瞬間。

 湊の姿が、陽炎のように揺らいだ。

 

 空間を折り畳み、座標を入れ替える高等転移術。


 フッ……。


 まるで最初からそこに誰もいなかったかのように、白い狩衣の陰陽師は跡形もなく消え失せた。

 

 残されたのは、マスコミの群れと対峙することになった、可憐な女子高生が一人。


「あ……」


 リナは引きつった笑顔で、押し寄せるカメラの砲列に向き直った。


「リナちゃん! 今の男性は!?」

 

「どこへ消えたんですか!?」

 

「コメントを! コメントをォォォ!!」


「えっと、その、あの……!」


 リナは心の中で叫んだ。

 

 (叔父さんのバカァァァァァッ!! 覚えてろーッ!!)


 成田の広場は、新たな狂騒の渦に飲み込まれていった。


 

 ***


 

 その頃。

 インターネット上では、すでに「祭り」が始まっていた。

 

 SNSのトレンドは、瞬く間に成田関連のワードで埋め尽くされた。


『成田ダンジョン』

『紫の球体』

『陰陽師』

『リナちゃん無事』

『謎の狐面』


 動画サイトにアップロードされた中継の録画映像は、数分で数百万回再生を突破。

 コメント欄は滝のように流れている。


『なんだあの陰陽師!? かっこよすぎだろ』

 

『CG? 映画の撮影?』

 

『いやガチだよ。現地いたけど空飛んでたもん』

 

『リナちゃんのスタンド説』

 

『フィクションの陰陽師だろ。あの攻撃のいなし方、達人すぎる』

 

『リナちゃんの知り合いっぽい?なんでマイクを向けてねえんだよ、マスゴミ』

 

『誰か特定班いないの?』

 

『無理。狐面で顔見えないし、一瞬で消えた』


 正体不明。

 圧倒的強者。

 そして、俗物的な言動。

 

 そのギャップは現代人の心を鷲掴みにし、またたく間に「謎の英雄ファンクラブ」が結成され、イラストや考察記事が乱立し始めた。

 

 世界は、新たな「特異点」の出現に熱狂していた。

 だが、それを笑って見ていられない者たちがいた。


 

 ***


 

 東京・永田町。

 首相官邸、地下危機管理センター。

 分厚いコンクリートに守られた大会議室には、重苦しい空気が沈殿していた。


 円卓を囲むのは、内閣総理大臣をはじめ、防衛大臣、国家公安委員長、そして各省庁のトップたち。

 彼らの視線は、正面の巨大モニターに釘付けになっていた。


 そこに映し出されているのは、衛星カメラが捉えた成田上空の映像。

 湊が『八卦煉獄炉』を発動し、御影を消滅させる瞬間の高解像度データだ。


「……測定不能。測定不能。エラー、エラー、エラー。すべての計器が振り切れています」


 技官がため息をつくように報告した。

 

「熱源反応なし。放射線反応なし。ですが、観測されたエネルギー係数は……戦術核兵器の爆心威力を遥かに上回っています」


 シン……。

 

 会議室が凍りついた。

 一人の人間が、核兵器以上の破壊力を、行使したという事実。


「バカな……。そんな人間が存在していいはずがない」

 

 防衛大臣がハンカチで額の汗を拭いながら呻いた。

 

「先ほど報告のあった御影恭一郎の『賢者の石』計画も脅威だったが、それを単独で、あのような形で無力化する存在……。これはもはや、国家安全保障上の最大懸念事項だ」


「直ちに身元を特定し、拘束すべきでは?」

 

 公安委員長が鋭く発言する。

 

「彼がその気になれば、皇居も国会議事堂も一撃で消し飛ぶ。野放しにはできん。管理下に置くべきだ」


「……それは、おやめになった方がよろしいかと」


 冷静な、しかし絶対的な響きを持つ声が、議論を遮った。

 

 部屋の隅。

 スーツ姿の女性――内閣府直轄・対ダンジョン特務機関のエージェント、佐伯美香が静かに手を挙げていた。


「佐伯くん。君は、何か知っているのかね?」


 総理が問う。

 佐伯は一瞬だけ躊躇いを見せたが、すぐに無表情の仮面を被り直した。

 

 彼女は湊の正体を知っている。

 だが、それをここで明かせばどうなるか。

 政府は彼を利用しようとし、湊はそれを拒絶し……最悪の場合、この国が焦土と化すかもしれない。


「あの人物の特定は、現時点では不可能です」


 佐伯は嘘をついた。

 国家を守るための、必要な嘘を。


「現場の映像解析、魔力波長の照合を行いましたが、データベースに該当者は存在しませんでした。おそらく、既存の探索者枠組みに属さない、独自の術理を持つ『隠れ人』かと」


「だからこそ、捕獲して尋問を……」


「不可能です」


 佐伯は断言した。


「先ほどの転移術を見ましたか? 彼は一瞬で座標を書き換えたのでしょう。軍隊で包囲しようが、ミサイルを撃ち込もうが、彼を捕らえることはできません。逆に、彼を敵に回せば、我々は寝首をいつ掻かれるのか、それに怯えながら過ごすことになるでしょう」


 佐伯はモニターの中の、白い狩衣の背中を見つめた。

 

「彼には、政治も、金も、権力も通じない。彼が求めているのは、おそらく『不干渉』です」


 会議室に沈黙が戻る。

 圧倒的な力を持ちながら、社会への干渉を避ける存在。

 それを刺激することのリスクは、計り知れない。


 総理が重々しく口を開いた。


「……つまり、腫れ物には触るな、ということか」


「はい。彼を公に特定し、管理しようとすれば、必ず反発を招きます。彼一人が敵に回れば、日本の防衛機能は崩壊するでしょう」


 佐伯は深く一礼し、提言した。


「彼を、国家最重要機密レベルの『特異点アンタッチャブル』に指定することを具申します。政府からの接触は一切行わず、彼を敵に回すような行為は、国家反逆罪と同義とする。……彼を『味方ではないが、敵でもない』位置に留めておくことが、唯一の戦略です」


 高官たちは顔を見合わせた。

 悔しさと、恐怖と、そして安堵。

 様々な感情が交錯し、やがて総理がゆっくりと頷いた。


「……承認しよう」


 その瞬間、久遠湊は、日本政府が非公式に認めた「特異点アンタッチャブル」となった。

 

 触れてはいけない。

 探してはいけない。

 ただ、嵐が過ぎ去るのを待つように、その存在を黙認する。


 佐伯は心の中で深くため息をついた。

 

 (これで少しは、あなたの望む平穏が守れるかしら……久遠さん)

 

 彼女の苦労は、まだ始まったばかりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ポンコツっぽかったけど結構有能やったんやな
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ