第34話
地底の底で、狂った笑い声が響いていた。
放たれた『呪詛返し』の余波で半壊したドーム内は、崩落する岩盤と舞い上がる粉塵で視界が悪かった。
だが、その混沌こそが、今の御影恭一郎にとっては極上のスパイスであるようだった。
「ク、ククク……アハハハハハッ!!」
瓦礫の山から這い出した御影の体は、凄惨たる有様だった。
高級なスーツは焼け焦げて皮膚に癒着し、左半身は爆炎で炭化し、肥大化した右半身は筋肉が皮膚を突き破って露出している。
常人ならショック死していてもおかしくない重傷だ。
だが、彼は痛みを感じていなかった。
むしろ、崩れゆく肉体の感覚を、脳内で炸裂する快楽物質として貪っているようだった。
「素晴らしい……! 力を感じる!! これだよ、この混沌こそが進化の揺り籠だ!」
御影は肥大化した右腕――骨と筋肉が棍棒のようになった手で、足元に転がっていた「何か」を掴み上げた。
それは、先ほどの爆発で砕け散った『賢者の石』、人工ダンジョンコアの破片だった。
鋭利な紫色の結晶片。
不吉な光を放つそれを、御影は迷うことなく、自身の胸の傷口へと突き立てた。
グチュリ。
湿った音が響く。
生傷に異物をねじ込むという狂気。
「見ろ! 久遠湊! これこそが最新の科学と魔術、そして呪術の融合! 新人類の姿だ!」
「今ならわかる。今なら感じる。制御? 耐える肉体? そんなものは最初から必要なかったのだ!!!」
御影が絶叫した瞬間、埋め込まれたコアが爆発的な光を放った。
ドクンッ!!
御影の全身が大きく跳ねた。
拒絶反応ではない。
強制的な融合と、暴走だ。
「ギ、ギギギ……アアアアアアッ!!」
その叫びは、断末魔のようであり、同時に悍ましい産声のようでもあった。
ボコォッ! ボコボコボコッ!
内側から何かが湧き出すように、御影の肉体が波打つ。
人の形を保っていた輪郭が、飴細工のように溶解していく。
骨が砕け、再構築され、筋肉が異常増殖し、皮膚が紫色に変色する。
「お、おじさん……あれ……!」
湊に抱きかかえられたリナが、青ざめた顔で指差す。
そこにあったのは、もはや人間ではなかった。
紫色の粘液状の肉塊。
不定形の怪物へと成り果てた御影は、その形態を維持するために、周囲への捕食を開始した。
ズズズズズ……。
肉塊が触れた瓦礫が、祭壇の残骸が、そしてダンジョンの床そのものが、瞬時に泥のように溶かされ、吸収されていく。
無機物、有機物を問わない無差別な暴食。
「もっとだ……もっと……!」
肉塊の表面に、無数の苦悶する顔が浮き沈みする。
それは御影自身の顔であり、同時にコアの生成過程で犠牲になった者たちの怨嗟の表情にも見えた。
紫色のスパークを放ちながら、肉塊は雪だるま式に膨れ上がっていく。
直径五メートル、十メートル、二十メートル――。
「な、なにあれ……どんどん大きくなっていく!」
リナの悲鳴に近い声。
目の前で膨張を続けるそれは、巨大な球体となって空間を圧迫し始めた。
第30層という閉鎖空間では、その存在自体がすでにキャパシティを超えようとしている。
ゴゴゴゴゴゴ……!
巨大球体が、重力を無視して浮き上がり始めた。
その表面が回転し、天井の岩盤を削り取っていく。
「上へ……! 地上へ……! 世界に、私を……!」
怪物の狙いは湊たちではなかった。
頭上。
遥か彼方にある、「地上」だ。
新人類と化した自らの姿を、世界中に見せつけること。
歪んだ承認欲求と、コアの持つ呪いの本能的な侵略衝動がリンクし、怪物を突き動かしていた。
ズガガガガガッ!!
天井が砕け、巨大な縦穴が穿たれていく。
それによって支えを失った第30層全体が、激しい揺れと共に崩壊を始めた。
「崩れるッ!?」
頭上から巨大な岩盤が雨のように降り注ぐ。
リナが身を縮こまらせた。
だが、湊は動じなかった。
彼は悠然と天井を見上げ、落ちてくる数トンの岩塊に向けて、扇子のように広げた手刀を振るった。
「……」
ヒュンッ。
ただの風圧。
それだけで、岩塊は粉々に粉砕され、砂塵となって散った。
湊はリナを抱き直すと、少しだけ口元を緩めた。
「ちょうどよかった」
「えっ? なにが?」
「こんなモグラの巣みたいな閉所じゃ、出せる火力にも限りがあるからな。広い場所に出てくれるなら好都合だ」
湊は屈伸するように膝を曲げた。
その足元に、爆発的な霊力が収束していく。
「舌噛むなよ、リナ。少し揺れる」
「えっ、ちょっ、叔父さん!?」
リナの返事を待つことはなかった。
ドンッ!!
湊が地面を蹴った。
それは跳躍という生易しいものではなかった。
もはや、ロケットの射出だ。
床の岩盤がクレーター状に陥没し、湊の体は砲弾となって垂直に上昇した。
ヒュゴォォォォォッ!!
凄まじい風切り音が耳をつんざく。
リナは悲鳴を上げる暇もなく、湊の首にしがみつくしかなかった。
二人は、上昇する巨大球体を追って、崩落する縦穴を駆け上がっていく。
第20層、第10層――。
本来なら長い時間をかけて踏破するダンジョンの階層が、一瞬で過ぎ去っていく。
怪物が削り広げた穴を通り抜け、降り注ぐ瓦礫を蹴り砕き、あるいは足場にして、湊は加速する。
先行する紫色の巨大球体は、周囲の岩盤を飲み込みながら、さらにその体積を増していた。
今や直径五十メートルを超えようとしている。
「狭いところは嫌いというのには共感してやろう」
湊が空中で身を捻り、迫り来る岩盤を回避する。
その視線の先に、微かな光が見えた。
ダンジョンの生み出す不思議な照明ではない。
白く、眩しい、本物の太陽の光。
「出口だ」
湊が呟くと同時に、頭上の巨大球体が最後の岩盤に激突した。
ズドォォォォォォンッ!!!
地鳴りと共に、世界が割れる音がした。
岩盤が吹き飛び、土砂が噴き上がる。
暗黒の世界から、光の世界へ。
怪物が、そしてそれを追う陰陽師が、地上へと解き放たれる。
***
その時。
成田ダンジョン・ゲート前広場は、異様な熱気に包まれていた。
リナの拉致配信が途切れてから数時間。
事態の究明を求めるマスコミ、救出のために召集された機動隊、そして集まった野次馬たちで、広場は埋め尽くされていた。
「協会からの発表はまだか!」
「中の映像は復旧しないのか!」
「救助隊は突入したんだろうな!」
怒号が飛び交う中、突如として地面が揺れた。
グラグラグラッ……!
「な、なんだ!?」
「地震か!?」
悲鳴が上がる。
だが、それは自然現象の揺れではなかった。
震源は、彼らの目の前。
巨大なゲートのある広場の中心部だ。
ミシッ……バキキキキッ!!
舗装された地面に、蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
アスファルトが隆起し、街灯が倒れる。
「逃げろ! 何か出てくるぞ!」
誰かの叫び声と共に、群衆がパニックになって後退しようとした、その瞬間。
ドォォォォォォォォンッ!!!
大地が爆発した。
大量の土砂とコンクリート片が空高く吹き上げられる。
そして、噴煙の中から姿を現したのは――。
「な……なんだあれは……!?」
全員が息を呑み、言葉を失った。
紫色の、巨大な球体。
直径五十メートルを超えるその塊は、太陽の光を浴びてヌラヌラと輝き、表面には無数の苦悶する顔が浮かび上がっては消えている。
それは、この世の終わりのような光景だった。
「アアアアア……! ヒカリダ……! ヒカリダァァァァッ!!」
球体全体から、空気を振動させるような咆哮が響き渡る。
ガラスが割れ、人々が耳を押さえてうずくまる。
衆人環視の悪夢。
隠蔽など不可能な、圧倒的な怪物の顕現。
だが、驚愕はそれだけで終わらなかった。
シュタッ。
怪物を追うように噴出した土煙の中から、一つの影が飛び出した。
重力を感じさせない軽やかな動きで、空中で弧を描き、広場のモニュメントの上に静かに着地する。
白き狩衣。
風に揺れる銀色の髪。
そして、その腕に抱えられた、制服姿の少女。
無数のテレビカメラが、一斉にその姿を捉えた。
「あれは……!」
「陰陽師!?」
「リナちゃんだ! リナちゃんがいるぞ!」
どよめきが歓声へと変わりかけたが、すぐに再び恐怖の沈黙が訪れた。
上空に浮かぶ巨大な紫色の球体。
モニュメントの上に立つ、古の陰陽師。
現代の日本の風景の中に、神話の戦場が突如として現れたのだ。
湊はリナをそっと下ろすと、眩しそうに目を細めて太陽を見上げた。
「……随分と派手な登場になっちまったな」
眼下には、数百人の群衆とカメラの砲列。
頭上には、世界を飲み込まんとする新人類……いや、魔人の成れの果て。
もはや隠れ蓑はなくなった。
誰の目にも明らかな、命運を賭けた戦い。
「リナ、下がってろ」
湊が前に出る。
風が吹き抜け、狩衣の袖がバタバタと音を立てた。
狐面の隙間からわずかに見える素顔には苦笑が浮かんでした。
「さて、もうここまで来たら仕方ない。隠居生活とはおさらばか……」
「まあいい、それなら全国放送でお披露目といくか」
湊が右手を天に掲げた。
その指先に、膨大な、あまりにも膨大な霊力が収束していく。
空気がビリビリと震え、雲が渦を巻き始めた。
「最強の陰陽術、とくとご覧あれ」
決戦の舞台は整った。
地上最強の祓魔が、今、始まる。




