表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/39

第33話

 粉塵が舞い上がる、成田ダンジョン第30層。

 天井に穿たれた巨大な風穴からは、ダンジョンが生み出す明かりとは違う、赤い残火の光が差し込んでいた。


 瓦礫の山の上に、その男は立っていた。

 

 久遠湊。

 白き狩衣の裾を揺らがせ、狐の面を被った陰陽師。

 彼は右手の呪符を構え、油断なく眼下の男を見据えていた。


「ようこそ、久遠湊」


 対する御影恭一郎は、湊の視線を受けてもなお、楽しげに両手を広げた。


 ドーム状の広間に、その朗々とした声が響き渡る。


「待ちわびたぞ。君という存在こそが、この偉大なる実験の最後のパーツだ!」


 御影は戦おうとはしなかった。

 紫色の光を放つ『賢者の石』の傍らで、ただ自身の目的が成就しようとしている快感に酔いしれている。

 その姿を見た湊は、ふぅ、と小さく息を吐いた。


 構えていた呪符を、スッと下ろす。

 戦意を喪失したわけではない。


 目の前の男が、今すぐ斬り伏せるべき「敵」というよりも、ただの妄想に憑かれた「障害物」に過ぎないと判断したからだ。


 今の最優先事項は、あそこで震えている姪の確保。


 湊は瓦礫の山から足を運び出した。

 ゆっくりと、まるで近所の散歩でもするかのような足取りで、祭壇へと下りていく。


 自説を得々と語ろうとした御影が、眉をひそめた。

 湊の視線は、御影を一瞥すらしなかったからだ。


 彼の瞳はただ一点。

 祭壇の上で黒い泥に縛り付けられている、姪の姿だけに注がれていた。


 無視。

 それは、御影の肥大した自尊心を何よりも逆撫でする行為だった。


「……無視か。まあいい」


 御影が不愉快そうに鼻を鳴らし、指を弾いた。


「まずはその手足をへし折って、こっちを向いてもらおうか!」


 ズズズッ……!


 湊の足元の床から、無数の黒い影が噴出した。

 それはリナを拘束しているものと同じ、高濃度の呪いそのものだ。

 タールのように粘着質で、刃物のように鋭利な「泥」の触手が、全方位から湊を串刺しにせんと殺到する。


 回避不能の包囲攻撃。

 物理的な質量攻撃でありながら、触れれば魂を腐らせる呪詛の嵐。


 しかし、湊は歩みを止めなかった。

 印を結ぶこともしない。

 防御結界を展開する素振りさえない。


 ただ、歩きながら。

 右手をだらりと横に上げ、中指と親指を重ねた。


 パチン。


 乾いた音が、一つ。

 指を鳴らす音が、広大なドームに響いた。


 ただ、それだけだった。

 だが、その音が発生した瞬間。


 ――ドォォォォンッ!!


 透明な衝撃波が、湊を中心に全方位へと奔った。

 それは風圧ではない。

 湊の体から瞬間的に放出された、純粋かつ圧倒的な質量の「霊力」だ。


 襲いかかろうとしていた黒い触手たちが、湊の体に触れる数メートル手前で、見えない壁に衝突したかのように弾け飛んだ。

 霊力の密度が高すぎて、呪いの構成そのものが維持できず、霧散させられたのだ。


 ジュッ……!


 黒い泥は蒸発し、ただの煤となって空中に消えていく。

 湊は煤汚れ一つ付かない白い狩衣のまま、何事もなかったかのように歩き続けた。


「な……?」


 御影の表情が凍りついた。

 眼鏡の奥の白い瞳が、理解不能な現象を前に激しく泳ぐ。


「馬鹿な……詠唱も、術もなしで……ただの純粋な霊力放出だけで、私の呪いを消滅させたというのか!?」


 魔術や陰陽術の理屈ではない。

 ただの出力差。

 蟻の群れが巨象に踏み潰されるような、圧倒的な「格」の違い。


 湊は御影の驚愕など意に介さず、祭壇の前まで歩を進めた。

 そして、リナを縛り付けていた泥の触手に手をかざす。

 泥は恐れをなしたように、自ら形を崩して逃げ去った。


「リナ」


 湊が短く名を呼ぶ。

 その声を聞いた瞬間。


 今まで恐怖と怒りで必死に気丈さを保っていたリナの瞳から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。


「お、おじ……さぁぁぁん……ッ!」


 リナは祭壇の上で身を起こし、湊の胸に飛び込もうとして、力が抜けてその場に崩れ落ちそうになった。

 湊はそれを片手で支える。


「怖かったよぉぉ! 気持ち悪かったよぉぉ! うあぁぁぁぁん!」


 それはもう、探索者・久遠リナの顔ではなかった。

 ただの、心細さに耐えかねていた一人の少女の姿。

 顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにし、子供のように泣きじゃくる姪を見て、湊は狐面の下で苦笑した。


「……ひどい顔だな。お前、配信されてたらファンが減るぞ」


「うるさいぃぃ! ばかぁ!」


 リナは湊の狩衣をギュッと掴み、さらに声を上げて泣いた。

 その温もりに触れて、ようやく彼女の中の恐怖が溶けていく。

 

 大丈夫だ。

 この人が来たからには、もう何も怖くない。


「まあ、無事でよかった」


 湊はポンポンと、乱雑だが優しくリナの頭を撫でた。


 その穏やかな光景は、しかし、この場の支配者を自称する男にとっては、最大の侮辱だった。


「貴様……ッ!」


 御影の顔が怒りで赤黒く染まる。

 額に青筋を浮かべ、彼は震える声で叫んだ。


「私の神聖な実験場に……その薄汚い土足で踏み入り、あまつさえ私の前で茶番を演じるとは!」


 自身の崇高な計画。

 新世界の創造。

 それらを完全に無視され、蚊帳の外に置かれた屈辱。


 湊は、ようやく御影の方へ首を巡らせた。

 狐面の空洞のような目が、冷ややかに御影を射抜く。


「実験場?」


 湊は周囲を見回した。

 崩れた天井、悪趣味な紫色の光、そして腐ったような呪いの臭気。


「ただのゴミ捨て場だろ、ここは」


 吐き捨てるような一言。

 それが決定打だった。


「……いいだろう」


 御影の口元が歪み、裂けたように吊り上がった。

 彼の理性のタガが外れる音がした。


「ならば貴様も、ここで私の礎となれ」


 御影は背後の『賢者の石』――人工コアに向けて両手を掲げた。


「手遅れだ、久遠湊! 彼女はすでにコアと接続されている! 貴様が来たことで、最後の鍵も揃ったのだからな!」


 ドクンッ!!


 御影の咆哮に呼応するように、紫色の球体が爆発的に膨張した。

 今までとは比較にならないほどのエネルギーの奔流。


「さあ、融合しろ! 久遠リナ! 貴様のその身を以て、新たな神の苗床となるのだ!」


 コアの表面が裂け、そこから極太の光の帯が触手のように伸びた。

 それは物理的な速度を超え、瞬時にリナへと殺到する。


「ひっ……!」


 リナの体が強張る。

 光の帯は生き物のように軌道を変え、湊を避けてリナのみを狙う。

 因果律によって「リナと融合すること」が確定しているかのような、不可避の呪い。


「いやぁぁぁっ!!」


 リナが悲鳴を上げ、反射的に目を閉じた。

 紫色の光が、彼女の体を飲み込もうとした、その瞬間。


 カッッ!!!


 強烈な閃光が、リナから迸った。

 それは紫色の呪いの光とは対極にある、純白の浄化の光。


 光源は――リナが額に乗せていた『隠形の狐面』だ。


「えっ……?」


 リナが目を開ける。

 お面がひとりでに輝き出し、空中に幾何学的な紋様――五芒星を描き出していた。


 湊は、やれやれと肩をすくめた。


「……だから、やめとけって言ったのに」


 それは、湊が最初から仕込んでいた「保険」だった。

 

 あのお面は、単に気配を消すだけの道具ではない。

 持ち主に対して致命的な害意、あるいは呪術的な干渉が行われた際、自動的に発動するカウンターの術式が組み込まれていたのだ。


 その名は、『呪詛返し』。


 平安の昔より、人を呪わば穴二つと言う。

 放たれた呪いは、行き場を失えば、倍の威力となって術者の元へ返る。

 それを強制的に執行する、最強の防御機構。


 バギィィィンッ!!


 鏡が割れるような音が響いた。

 賢者の石から伸びていた紫の光が、五芒星の結界に衝突した瞬間、そのベクトルを完全に反転させられたのだ。


「なっ……!?」


 御影が目を見開く。


「呪いが……逆流して……!?」


 制御不能になった光の奔流は、リナを避けるように湾曲し、そのまま発生源であるコアと、御影が立つ側にある制御装置へと直撃した。


 ズガァァァァァァァンッ!!!


 凄まじい爆発。

 自分自身が生み出した最高密度の呪いを、至近距離で浴びせられたのだ。

 装置は粉々に砕け散り、黒い泥も衝撃で消し飛んだ。


「きゃぁぁっ!?」


 爆風が広間を吹き荒れる。

 支えを失ったリナの体が、木の葉のように空中に投げ出された。

 数メートル下の硬い床へ向かって落下する。

 受け身も取れない体勢。


「いっ……!」


 激突の痛みを覚悟して、リナが身を固くした瞬間。


 ふわり。


 唐突に、重力が消えた。

 誰かの腕が、優しくリナの体を受け止めていた。


 ゆっくりと目を開けると、そこには涼しい顔をした湊がいた。

 いわゆる「お姫様抱っこ」の体勢で、リナを軽々と抱きかかえ、安全な瓦礫の上にスタッと着地する。


「……へ?」


 リナがぽかんと口を開ける。


「保険はかけとくもんだな」


 湊はリナを下ろすと、被っていた自身の狐面の位置を直し、前方の爆心地を見据えた。

 

 もうもうと立ち込める紫色の煙。

 その中から、何かを引きずるような音が聞こえてくる。


「ギャ……ア……、アアア……ッ!」


 人の声帯からは出ないはずの、濁った絶叫。

 煙を切り裂いて現れたのは、もはや人間の形をしていなかった。


 高級なスーツは焼け焦げ、皮膚はどす黒くただれ、体中の至る所から黒い触手のような血管が飛び出している。

 呪いの逆流によって、自身の肉体が飛散した「賢者の石」と不完全な形で融合してしまった成れの果て。


 御影恭一郎だったモノが、そこにいた。


「おのれ……おのれぇぇぇ!! 久遠、リナァァ! 久遠、湊ォォォッ!!」


 憎悪だけが彼を動かしていた。

 背中から骨のような突起が生え、右腕は肥大化して赤鬼以上の金棒のような形状に変化している。

 その瞳から知性の光は消え失せ、あるのは殺戮衝動のみ。


 リナは恐怖に息を呑み、湊の背中に隠れた。


「化け物……」


「ああ、そうだな」


 湊は一歩、前へ出た。

 その背中から放たれる気配が、変わった。

 先ほどまでの「頼れる叔父」の空気ではない。

 あらゆる怪異を祓い、滅ぼす、冷徹な「処刑人」の気配。


 湊は懐から一枚の呪符を取り出し、指に挟んだ。

 青白い霊力が、刀身のように呪符から立ち上る。


「さて」


 湊の声は低く、地獄の底まで届くように重かった。


「可愛い姪っ子を泣かせた罪、どうやって償ってもらおうか」


 御影が吠える。

 湊が構える。


 崩壊寸前の最深部で、最後の決着が始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ