第26話
ジメジメとした湿気が、肌にまとわりつく。
成田ダンジョン、第一階層。
ゲートをくぐった先に広がっていたのは、青空の下とは対照的な、薄暗く陰鬱な鍾乳洞だった。
天井からは無数の鍾乳石が牙のように垂れ下がり、足元の岩場は地下水で濡れて黒く光っている。
光源は、壁面に自生する発光苔の青白い光と、リナたちが持参した灯りだけだ。
静寂の中、ドローンのプロペラ音だけが低く響いている。
みーちゃんが操作するそのカメラは、二人の探索者の姿を捉え、リアルタイムで世界中へと配信していた。
「――はい、というわけでダンジョン内部に潜入しました! 現在地は地下一層。今のところモンスターとの遭遇はなし、ここから12層まで潜ります」
みーちゃんが、プロの顔つきで実況を入れる。
隣を歩くリナは、狐面越しに周囲をキョロキョロと見回していた。
「うーん、結構暗いね。足元気を付けないと」
「そうだね。鍾乳洞タイプは視界が悪いし、音も反響しやすいから奇襲に注意しないと……」
みーちゃんが慎重に言葉を紡いだ、その時だった。
ジャリッ。
前方の暗がりから、砂利を踏む足音が聞こえた。
リナとみーちゃんは即座に足を止め、身構える。
モンスターか?
いや、足音のリズムが規則的だ。
これは人間だ。
「おーっと、ストップ、ストップ! 怪しいもんやないで!」
前方から現れたのは、両手を挙げて降参のポーズを取る二人の男だった。
一人は、軽薄そうな笑みを浮かべた茶髪の優男。
革鎧にショートソードを帯びており、いかにも身軽そうな剣士タイプだ。
もう一人は、岩のような巨体をフルプレートメイルに包んだ大男。
背中には畳一枚分ほどもありそうな巨大なタワーシールドを背負っている。
目を引いたのはその表情。
表情筋が死滅しているのかと思うほど無表情だ。
「ワイらは今回の試験の参加者や。そっちもそうやろ?」
茶髪の男が、独特のイントネーションで話しかけてきた。
関西弁……のようだが、どこか取ってつけたような違和感がある。
「……そうですけど」
みーちゃんが警戒心を解かずに答える。
試験において、他の受験者は協力者でもありライバルでもある。
協力が許可されているとはいえ、安易に信用するわけにはいかない。
「警戒せんといてや。ワイは浅葉。こっちのデカいのが坂下。見ての通り、剣士とタンクのコンビや」
浅葉と名乗った男は、人懐っこい笑顔でリナたちを見回した。
「そちらさんは……装備を見た感じ、二人とも後衛職か遊撃手やろ? どうや、ワイらと即席パーティ組まへんか?」
「パーティ?」
「せや。今回の合格条件は『オーガ討伐』と『素材回収』や。前衛がおった方がええやろ? ワイらとしても、魔法支援ができる相方が欲しいんや」
浅葉の提案は、理に適っていた。
リナは近接戦闘が可能だが、本職のタンク(盾役)がいるならそれに越したことはない。
特に狭い洞窟内では、前線を維持してくれる存在は心強い。
リナはみーちゃんと顔を見合わせた。
(どう思う? みーちゃん)
(……悪い条件じゃないと思う。それに、今は配信中だよ。数千人の目がある中で、下手な裏切り行為はできないはず)
みーちゃんが小さく頷いた。
それに、昇格試験において「即席パーティでの連携」も評価ポイントの一つになり得る。
「……分かりました。お互い、背中は預け合いましょう」
「交渉成立やな! おおきに!」
浅葉が大げさに喜んで見せた。
こうして、剣士、タンク、魔術師、魔術師?の四人パーティが結成された。
***
フォーメーションを組み、一行は奥へと進む。
先頭に大盾を構えた坂下。
中衛にリナとみーちゃん。
殿に浅葉という配置だ。
足場が悪く、湿った岩肌を慎重に進んでいく。
「それにしても嬢ちゃん、面白い恰好しとるなぁ」
後ろを歩く浅葉が、リナの背中に声をかけた。
「そのお面や。狐面なんてつけてて、視界悪くないんか? 足元滑って転んでも知らんで?」
その口調には、明らかに侮りの色が混じっていた。
女子高生が、配信映えを狙ってふざけた装備をしている。
そう思っているのだろう。
確かに、実用性を重視する探索者の常識からすれば、リナの恰好はコスプレにしか見えない。
「大丈夫ですよ。これ、叔父さんがくれた特製なので」
リナは振り返らずに答えた。
お面の裏側から見る景色は、驚くほどクリアだ。
むしろ、余計な情報が遮断され、気配や音に集中できる。
「特製ねぇ……。まあ、怪我せんようにな。いざって時は、ワイらが守ったるから安心しいや」
浅葉がニヤニヤしながら言いかけた、その時。
ピクリ。
リナの耳が音を拾った。
湿った洞窟の風が変わった。
上方、鍾乳石の隙間から漂う、錆びた鉄のような臭い。
そして、微かな羽音。
(――上、来る!)
殺気は、三つ。
「おい、嬢ちゃん? どうしたんや?」
浅葉がさらに話しかけようとした瞬間。
リナは振り返りもせず、浅葉の方を見ることもなく、腰の杖を抜き放った。
視線は前方に固定したまま。
杖の切っ先だけを、真上の暗闇へと跳ね上げる。
「ファイア! ファイア! ファイア!」
早口言葉のような高速詠唱。
同時に、杖の先端から三つの火球が放たれた。
ボッ、ボッ、ボッ!
それは、以前のような「線香花火の種火」ではなかった。
かといって、爆炎のような派手な魔法でもない。
大きさは拳大。
松明の火を少し大きくした程度の、小さな火球だ。
だが、その速度と軌道は異常だった。
放たれた火球は、まるで意思を持った誘導ミサイルのように、暗闇の中を鋭角に駆け抜けた。
「キィッ!?」
「キキッ!?」
天井の闇から、悲鳴が上がった。
火球の明かりが、一瞬だけ襲撃者の姿を照らし出す。
『ブラッドバット』。
翼長40センチを超える、吸血蝙蝠だ。
彼らは音もなく天井から急降下し、リナたちの首筋を狙っていたのだ。
しかし、その翼膜に、リナの放った火球が正確に直撃していた。
ジュッ!
焼ける音と焦げ臭いにおい。
片翼を焼かれた蝙蝠たちは、バランスを崩し、きりもみ回転しながら落下してくる。
ドサッ、ドサッ、ドサッ!
三匹の蝙蝠が、リナたちの足元に叩きつけられた。
まだ息はあるが、飛ぶことはできない。
「……ふんッ!」
先頭を歩いていた大男、坂下が無言で振り返り、巨大なブーツで蝙蝠を踏み潰した。
グチャリ、という嫌な音と共に、蝙蝠たちは魔石を残し、光の粒子となって消滅する。
一瞬の出来事だった。
「……え?」
浅葉が、間の抜けた声を漏らした。
彼は状況が飲み込めていなかった。
リナが会話の途中で突然杖を抜き、天井に向けて適当に火を撃ったかと思えば、蝙蝠が落ちてきたのだ。
「すみません、お話の途中でしたね」
リナは杖をくるりと回し、腰のホルダーに納めた。
そして、狐面越しに浅葉の方へ首を傾げた。
「それで、なんでしたっけ?」
「い、いや……今のは……?」
浅葉の額に、冷や汗が滲んだ。
(見えてへんかったやろ? 今、嬢ちゃんは前を向いて歩いとった。天井の暗がりなんて、視界に入っとらんはずや)
なのに、正確に三匹の蝙蝠を撃ち落とした。
しかも、一匹につき一発。
無駄弾なしの精密射撃。
リナは心の中でガッツポーズをしていた。
(やった! 成功!)
湊、剣崎との特訓の日々。
その時の剣崎からのアドバイス。
『君の魔力回路は細い。出力には限界がある。なら、質より量と精度で勝負しろ』
『一発で倒せなくてもいい。弱点を狙え。羽を焼け。目を潰せ。鼻を潰せ。足止めさえできれば、後はどうとでもなる』
リナは自分の魔術を、「高火力の魔術」ではなく「精密動作」に全振りしたのだ。
感知能力で敵の位置を把握し、持ち前の身体能力で杖の角度を微調整する。
魔力消費を極限まで抑えた「小さな火球」なら、今のリナでも連射が可能だ。
精密狙撃に特化した魔術師。
威力はないが、百発百中の攻撃と言ってもいいだろう。
(ふふん、これなら胸を張って『魔術師』って名乗れるよね!)
リナは上機嫌だった。
以前のような「物理で解決」ではなく、ちゃんと「魔術」で貢献できたことが嬉しかったのだ。
配信のコメント欄も、その変化に即座に反応していた。
『えっ、今の上手すぎない?』
『ノールック対空射撃!?』
『威力は低いけど、羽をピンポイントで狙ってるぞ』
『地味だけど凄技だろこれ』
『リナちゃん、ちゃんと魔術師になってる!』
『魔法(物理)卒業か!?』
みーちゃんも、感心したようにリナの肩を叩いた。
「すごいよリナ! 索敵からの迎撃、完璧だった!」
「えへへ、特訓したからね!」
二人の少女がハイタッチをする横で、浅葉の顔からは笑みが消えていた。
彼は値踏みするような視線を、狐面の少女に向けた。
(今の反応速度……それに、お面越しでノールックやと? ただの女子高生やない。聞いていた話と違うぞ)
彼は事前に情報を得ていた。
「怪力だけが取り柄の、素人の魔術師」だと。
だが、今の動きは熟練の探索者、あるいは暗殺者のそれに近い。
「……ん? どうかしました?」
視線を感じたリナが尋ねると、浅葉は慌てて軽薄な笑みを貼り直した。
「い、いや! なんでもないわ! いやー、たまげたなぁ! 嬢ちゃん、ええ腕しとるわ!」
「ありがとうございます! でも、トドメを刺してくれたのは坂下さんですから」
リナは謙遜しつつ、前を向いた。
「よし、この調子でどんどん行こうか!」
「了解! ……油断しないでいこうね」
みーちゃんが頷き、ドローンを操作して前進する。
順調に見える四人の即席パーティ。
だが、その背後で、浅葉と坂下が一瞬だけ視線を交わしたのを、リナたちは気づかなかった。
坂下の無表情な瞳と、浅葉の笑みの奥に宿る冷たい光。
それは、単なる「試験のライバル」に向けるものではなかった。
一行はさらに深く、暗いダンジョンの奥へと足を踏み入れていった。




