第25話
ゴオオオオオオオ……!!
頭上を覆う圧倒的な轟音が、思考を一時停止させる。
千葉県、成田市。
日本の空の玄関口の一つである国際空港のすぐそばに、そのダンジョンゲートは口を開けている。
成田ダンジョン。
都心のダンジョンとは異なり、広大な敷地と開放的な空に囲まれたこの場所は、独特の緊張感に包まれていた。
「……やっぱり、いつもの新宿ダンジョンとは雰囲気が違うなぁ」
久遠リナは、轟音を上げて飛び立つ旅客機を見上げながら呟いた。
彼女が立っているのは、協会が管理する特別区域の広場だ。
周囲にいるのは、今回の「特例Bランク昇格試験」に招集された受験者たち。
その数は、わずか十名程度。
通常の昇格試験が百名単位で行われることを考えれば、極めて異例の少なさだ。
だが、その顔ぶれは精鋭揃いだった。
全員が歴戦の雰囲気を纏っており、装備も使い込まれた一級品ばかり。
浮ついた空気は微塵もない。
その中で、リナの格好は良くも悪くも浮いていた。
制服のようなインナーに、ぱっと見、無骨な鉄の胸当て。
腰には周りと比べて安価な杖。
そして何より目を引くのが、おでこに斜めに乗せた『白狐のお面』だ。
周囲からの「なんだあの女子高生は」という視線を感じるが、リナは努めて気にしないようにしていた。
叔父の湊からは「絶対に外すな」と厳命されている。
このお面こそが、自分を守る命綱なのだから。
「ふぅ……」
リナが緊張をほぐすように深呼吸をした、その時だった。
「リナーー!」
轟音の合間を縫って、聞き覚えのある鈴のような声が届いた。
リナが振り返る。
「あ……!」
そこに立っていたのは、一人の少女だった。
リナと同年代。
少し茶色がかった瞳は理知的で、ポニーテールに結われた茶髪が風に揺れている。
かつて新宿ダンジョンで共に配信を行い、そして共に地獄を見た親友。
配信者のみーちゃんこと、御子柴ミコだ。
「みーちゃん! 久しぶり!」
リナは駆け寄ろうとして、ふと足を止めた。
そして、驚きのあまり目を丸くした。
「その恰好……すごく変わったね」
以前のリナが知っている「みーちゃん」は、パステルピンクのフリフリなアイドル衣装に、宝石が散りばめられた高価な杖を持っていた。
「可愛さ」こそが正義であり、ダンジョン配信者としての彼女のアイデンティティだったはずだ。
だが、今、目の前にいる彼女は違った。
身を包んでいるのは、艶消しブラックのアラミド繊維で作られた軽装甲。
関節部には動きを阻害しない強化パッド。
足元は泥や瓦礫を踏みしめるための頑丈なコンバットブーツ。
手に持つ杖も、装飾を削ぎ落とし、純粋に魔力伝導率だけを追求した実戦仕様のモデルだ。
そこには、「アイドル」の面影はなかった。
一人の「探索者」が立っていた。
「うん。……驚いた?」
みーちゃんは少し照れくさそうに、けれど真っ直ぐにリナを見つめ返した。
「あの時……新宿で鬼に襲われた時、私は腰を抜かして、悲鳴を上げることしかできなかった」
彼女の手が、杖を強く握りしめる。
震えていたあの日の記憶。
リナが傷つきながら戦っている背中を、ただ見ていることしかできなかった無力感。
「悔しかったの。リナに守って貰っていただけの自分が、足手まといにしかならなかった自分が」
「みーちゃん……」
「だから、全部変えたの。衣装も、考え方も。……まだリナみたいに強くはないけど、次は私がリナや他の人を守れるようになりたいから」
その瞳に宿る光は、かつての怯えていた少女のものではなかった。
恐怖を乗り越え、自分の足でここに立つことを選んだ、覚悟の光だ。
「……うん! すごく似合ってるよ、みーちゃん!」
リナは満面の笑みで答えた。
頼もしい相棒が、ここにいる。
不安だった心が一気に軽くなるのを感じた。
「ありがとう。……あ、それとね」
みーちゃんは視線をリナの髪に向けた。
そこには、透き通るような白銀の簪が挿さっている。
「あの時の……白い狐さんは、いるかな?」
彼女にとって、リナだけでなく、あの白い管狐もまた命の恩人だった。
「もちろん! 出ておいで、白雪」
リナが簪に指先で触れる。
すると、簪が淡い光を放ち、光の粒子が集束して一匹の管狐の姿を形作った。
『キュウ!』
白雪がリナの肩に乗り、ふさふさの尻尾を揺らす。
その愛らしい姿を見て、みーちゃんの表情が一気に緩んだ。
「ああっ……! やっぱり可愛い……!」
彼女は戦士の顔から、一瞬で「モフモフ好きの女子高生」に戻ってしまったようだ。
恐る恐る手を伸ばすと、白雪は鼻先を近づけ、匂いを嗅ぐような仕草をした後、すりりとみーちゃんの指に頬を擦り付けた。
「わぁ……あったかい……」
『キュウ……(フン、あの時の泣き虫娘か。少しはマシな顔つきになったようだな)』
白雪は喉をゴロゴロと鳴らしながら、みーちゃんのナデナデを受け入れている。
どうやら、白雪なりに彼女の成長と覚悟を認め、触れることを許可したらしい。
張り詰めていた試験前の空気が、少しだけ和んだ。
「……注目!」
その穏やかな時間を断ち切るように、冷ややかな声が響いた。
広場の中央に、協会の制服を着た試験監督官が現れたのだ。
どこか事務的で、感情の読めない男だった。
彼が登場した瞬間、参加者たちの空気が再びピリリと張り詰める。
「これより、特例Bランク昇格試験についての説明を行う。整列は不要だ、そのままで聞け」
監督官は手元のタブレットを見ながら、抑揚のない声で告げた。
「試験会場は、この先の成田ダンジョン。ターゲットは、エリア中層下部に生息する『オーガ』の討伐。および、その素材回収とする」
ここまでは、事前に聞いていた通りだ。
監督官は眼鏡の位置を直し、参加者全員を見回すように言葉を続けた。
「ターゲットの『オーガ』討伐についてだが、他の受験者との共闘・協力は許可する。ソロでの討伐が困難だと判断した場合は、速やかに連携をとるように」
ほっ、と安堵の空気が一部の参加者から漏れた。
オーガはBランク試験の課題としては高難易度だ。パーティーを組めるなら生存率は格段に上がる。
だが、監督官は釘を刺すように付け加えた。
「ただし、これはあくまで昇格試験だ。誰がどの程度貢献したか、その立ち回りと成果は、全てドローンの映像データから厳正に審査する」
「……映像審査?」
参加者の一人が訝しげに呟く。
「攻撃、支援、指揮……各々が得意とする分野で、存分に実力を示してもらいたい。単に後ろをついていくだけの者に、合格を与えるつもりはない」
つまり、協力してもいいが、手柄を立てなければ評価されないということだ。
そして監督官は、リナの方を一瞥し、最後のルールを告げた。
「そして、近年の探索者には、戦闘力だけでなく、社会への『発信力』と、緊急時における『状況伝達能力』が求められている。よって、今回の特殊ルールとして……」
彼は淡々と言い放った。
「試験中は常に、ドローンによるダンジョン配信を行うことを義務付ける」
「えっ……配信?」
リナは思わず声を上げた。
試験中に配信?
通常、試験内容は非公開が原則のはずだ。
「自身のチャンネルを持っている者はそれを使用しろ。持っていない者には協会のアカウントを貸与する。……以上だ。質問は受け付けない」
監督官は一方的に説明を終え、ゲートの方を指差した。
(発信力のテスト、それに映像による貢献度審査……)
みーちゃんが訝しげに眉をひそめた。
表向きは「現代的な探索者スキルのテスト」という理屈が通っている。
だが、昇格試験の必須条件にするのはあまりに異例だ。
リナにはなんとなくその真意が察せられた。
(これ……もしかして、私のデータを取るため?)
叔父の懸念が当たったのかもしれない。
貢献度の審査という名目で、リナの動き、技、そして「狐のお面」の効果を、リアルタイムで詳細に分析しようとしている。
そのための「公式配信」なのだ。
拒否すれば、試験は失格。
受けるしかない。
「……行くよ、リナ」
みーちゃんが、短く声をかけてきた。
彼女もまた、このルールの裏に何かがあることを察したのだろう。
だが、彼女は迷わずにドローンの準備を始めている。
「配信なら、私の本職だもん。……全世界に見せつけてやろうよ。私たちの『リベンジ』を」
「うん……!」
リナは大きく頷いた。
そして、おでこに乗せていた狐のお面を、顔の正面へと下ろした。
カチリ。
世界が静かになる。
お面の裏側で、リナのスイッチが切り替わった。
もう、ただの女子高生ではない。
「久遠堂」の看板を背負う、探索者・久遠リナだ。
「それ、似合ってるよ。新しいリナちゃんのトレードマークだね」
みーちゃんが微笑み、ドローンのスイッチを入れた。
プロペラ音が鳴り響き、球体のカメラが空中に浮遊する。
彼女の表情が、プロの配信者のそれへと変わる。
「よし、行くよ! 接続開始……3、2、1……!」
『――配信スタート!』
インジケーターが赤く点灯した。
「みなさーん、こんみー! 今日は成田ダンジョンから、昇格試験の生中継をお届けしちゃうよ!」
みーちゃんの明るい声が、青空に響く。
リナも狐面越しにカメラを見据え、小さく手を振った。
ゲートの重厚な扉が、地響きと共にゆっくりと開いていく。
その向こうに広がるのは、日の光の届かない闇の世界。
「行こう、みーちゃん!」
「うん!」
二人の少女は、ドローンを引き連れて、暗がりの中へと足を踏み入れた。
その背中を映し出す映像は、電波に乗ってリアルタイムで世界中へと拡散されていく。
ネットの向こうで待ち受ける数万の視聴者。
そして、その中に紛れ込む冷徹な観測者たち。
これが巧妙に仕組まれた罠であるとも知らず、リナたちの戦いが、今、幕を開けた。




