表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/34

第24話

 東京、新宿。

 眠らない街、歌舞伎町。

 夜の喧騒がようやく引いていき、カラスの鳴き声だけが響く薄青い早朝。


 まだ人通りのない路地裏に、ひっそりと佇む古物商『久遠堂』。

 普段なら、店主である湊は布団にくるまって惰眠を貪っているはずの時間だ。

 だが今朝は、磨りガラスの向こうに淡い明かりが灯っていた。


 カランコロン、と朝の静寂を破ってドアベルが鳴る。


 静かに裏口の扉を開けて入ってきたのは、インナーや着替えなどが入った大きなスポーツバッグを肩にかけた久遠リナだ。

 今日は、いよいよBランク昇格試験の本番。

 メンテナンスのために預けていた装備一式を受け取り、そのまま試験会場へ向かう手はずになっている。


「……おはよう。早いな」


 カウンターの奥から返ってきた声に、リナは目を丸くした。


「えっ、叔父さん起きてるの!?」


 リナの驚きも無理はない。

 叔父である湊という男は、基本的に「太陽が高くなるまでは布団の住人」であることを信条としている。

 こんな早朝に起きているなど、天変地異の前触れかと思うレベルだ。


「失礼な奴だな。俺だってたまには早起きすることもある」


 湊は背筋を伸ばして椅子に座り、湯気の立つ湯飲みを手にしていた。

 眠そうな様子はなく、身なりも整っている。

 どうやら、リナが来るのを待っていたようだ。


「へぇー、奇跡だ。……もしかして、見送りのために起きてくれたの?」


「勘違いするな。年寄りは目が覚めるのが早いんだよ。……ほら、茶くらいは淹れてやる。座れ」


 湊はぶっきらぼうに言いながら、手元の急須を傾け、リナの分の湯飲みに茶を注いだ。

 ふわりと、朝の冷えた空気に上品で香ばしい湯気が立ち昇る。


「わぁ、いい匂い! これ、高いお茶?」


「ああ。剣崎の奴が、また菓子折りと一緒に置いていってくれてな。……律儀な奴だよ」


 湊は呆れたように肩を竦めた。

 ここ最近、Sランク探索者の剣崎龍也は、リナの指導のついでに、高級な茶葉や和菓子、フルーツを頻繁に差し入れている。

 おかげで、寂れた古物商の朝は、老舗旅館のような優雅さに包まれていた。


 リナは椅子に座り、温かいお茶を一口啜った。

 寝起きの体に、温かさがじわりと染み渡っていく。

 試験前の緊張で強張っていた心が、少しずつ解れていくのが分かる。


「ふぅ……。美味しい。目が覚めるね」


「で、集合時間は何時だ?」


 湊が唐突に尋ねた。

 普段はリナの予定になど興味を示さない彼にしては、珍しい問いかけだった。


「えっと、向こうに八時集合。場所が遠いから、もう出ないと」


「場所は?」


「千葉の成田ダンジョンだよ。今回は特例の試験だから、会場もいつもと違うんだって」


 リナは事もなげに答えたが、湊の眉がピクリと動いた。


(……成田、か)


 湊は湯飲みを見つめながら、思考を巡らせた。

 通常、東京の探索者が受ける昇格試験は、慣れ親しんだ新宿や渋谷のダンジョンで行われることが多い。

 わざわざ千葉まで移動させる意図。

 それはつまり、リナを湊の目が届くテリトリーの新宿から引き剥がそうとしているということなのかもしれない。


(……分かりやすい手を打ってきやがる、杞憂かもしれないが……)


 嫌な予感がする。

 だが、湊はそれを顔には出さなかった。

 これから試験へ向かうリナに、余計な不安を背負わせるわけにはいかない。


「ふうん。成田か。あそこは空港が近いから、外国人が多いんじゃないか? 気をつけろよ」


「観光に行くんじゃないってば。試験だよ、試験」


 リナは笑い、鞄から書類を取り出した。


「今回の討伐対象は『オーガ』だって。なんか強そうだけど、頑張らなきゃ」


「オーガか。まあ、牛鬼や、この前の改造人間に比べれば可愛いもんだが……油断はするなよ」


 オーガは、身長三メートルを超える人型の巨鬼だ。

 怪力とタフネスは脅威だが、知能は低い。

 リナの実力なら、真正面から殴り合っても負ける相手ではない。

 問題があるとすれば、盤外からの干渉だが――。


「大丈夫だよ! それにね、特例の試験だけど一人じゃないの!」


 リナは嬉しそうに身を乗り出した。


「みーちゃんも一緒に受けるんだ! リベンジマッチだって張り切ってたよ!」


「……ほう。あの一緒にやってた配信者か」


 湊の脳裏に、以前リナと一緒にダンジョンに潜り、配信を行っていた女性が浮かんだ。

 リナと一緒に新宿ダンジョンでモンスターに襲われ、トラウマを抱えていたはずだ。

 それを乗り越え、再びダンジョンに挑もうとしているのか。


「そっか。友達と一緒なら心強いな」


「うん! みーちゃん、あれから魔法の練習すごく頑張ったんだって。私も負けてられないよ!」


 リナの瞳は、朝日のように輝いていた。

 友人と共に挑む試練。

 それは彼女にとって、緊張よりも楽しみの方が勝っているようだった。


「よし。じゃあ装備を持ってけ」


 湊は立ち上がり、カウンターの奥から綺麗に手入れされた装備一式を持ってきた。


 退魔の鉄鎧の胸当ては磨き上げられ、以前のような埃っぽさがない。

 杖、そして――白地に赤い隈取が鮮やかな、『隠形の狐面』。


「胸当てには、魔除けの油を塗っておいた。多少の攻撃なら弾くだろう。……で、一番大事なのはこれだ」


 湊は狐面をリナに手渡した。


「いいか、リナ。特にその狐面は、試験中絶対に外すなよ」


「えー? 試験官の人に顔見せなくていいの?」


「本人確認の時だけ少しずらせばいい。ダンジョンに入ったら、常につけておけ。カメラ映り以前に、変な虫がつかないための虫除けだ」


 湊の口調は真剣だった。

 この面には、認識阻害だけでなく、致死ダメージを一度だけ肩代わりする身代わりの術がかかっている。

 敵地かもしれない成田へ赴くリナにとって、それは御守りとなるはずだ。


「わかった。絶対外さない」


 リナは真剣な表情で頷き、お面を大事そうにバッグにしまった。


「それと、もう一つ忠告だ」


 湊は少し言い淀み、ため息交じりに続けた。


「張り切りすぎて、力を出し過ぎるなよ。試験官が引くぞ」


 リナの攻撃は、加減を知らない。

 オーガをホームランして壁に埋め込めば、合格どころか「危険人物」としてマークされかねない。


「大丈夫だよ! 特訓もしたし!」


 リナは自信満々に拳を握りしめた。

 そして、ニカっと笑う。


「今度は『優しく』ぶっ飛ばすから!」


(……その『優しく』の基準が、ズレているんだがな)


 湊は心の中で頭を抱えた。

 彼女にとっての「優しく」は、「壁を貫通させない程度」という意味でしかないだろう。

 まあ、相手がオーガなら頑丈だろうし、スプラッター映画のようにはならないはずだ。


「……まあ、いい。とにかく、怪我だけはするなよ」


「もう、叔父さんってば心配性なんだから」


 リナはクスクスと笑いながら、装備を詰め込んだバッグのチャックを閉めた。

 ずっしりとした重み。

 それは、これから始まる戦いへの重みでもあった。


「じゃあ、行ってきます! 合格したら、ケーキでお祝いしてね!」


 リナはバッグを背負い、元気よく立ち上がった。

 店を出ようとする彼女の背中を見送りながら、湊はカウンターに戻り、手持無沙汰に文庫本を手に取った。


 いつも通りの、そっけない別れ。

 それでいいはずだった。

 だが。


「……リナ」


 湊は、引き戸に手をかけたリナの背中に声をかけた。


「ん?」


 リナが振り返る。

 外からは、新しい一日の始まりを告げる朝の光が差し込んでいる。

 湊は本に視線を落としたまま、ぶっきらぼうに言った。


「土産はいらんからな」


「えー、落花生くらい買ってこようと思ったのに」


 リナが苦笑いして、「はいはい」と答えようとした時だった。


「……気を付けてな」


 ボソリと、だがはっきりとした声が続いた。

 

 それは、いつもの気怠げな店主の声ではなかった。

 一人の家族を案じる、不器用だが温かい声だった。


「……!」


 リナは一瞬、驚いたように目を見開いた。

 朝寝坊の叔父が、わざわざ起きて待っていてくれて、最後にそんな言葉をかけてくれるなんて。

 

 リナの顔が、朝日に負けないくらい明るく綻んだ。


「うん! 行ってきます!」


 元気な声が響き、ドアベルがカランコロンと鳴る。

 リナの背中は、光の中へと駆け出していった。


 

 再び静けさが戻った店内で、湊は冷めかけた茶を啜った。


 窓の外を見上げる。

 東の空が白み始め、ビル群のシルエットが浮かび上がっている。

 その方角は、リナが向かう千葉の空だ。


「……さて」


 湊は文庫本を置き、姿勢を正した。

 その瞳の奥には、眠気など微塵もない鋭い光が宿っていた。


「何も起きなきゃいいがな」


 まあ、冷静に考えて先日襲撃してきた組織が、このタイミングで何も仕掛けてこないはずがない。

 「Bランク試験」という舞台装置。

 「成田」という隔離された場所。

 そして、「友人」という人質になり得る存在。


 役者は揃いすぎている。


(……俺の読みが外れていればいいんだが)


 湊はポツリと呟いた。

 だが、彼の勘が外れることは滅多にない。

 

 爽やかな朝の空気とは裏腹に、日本の中枢で蠢き始めた悪意は、確実にリナへと迫っている。

 これは、嵐が来る前の、最後の静けさだ。


 湊は静かに立ち上がり、店の明かりを消した。

 朝霧に沈む久遠堂。

 その奥で、最強の陰陽師は、来たるべき時に備えて静かに爪を研ぐのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ