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第21話

 新宿、歌舞伎町の路地裏。

 古物商『久遠堂』に、久しぶりの静寂が戻っていた。


 降り続いていた雨は上がり、柔らかな午後の日差しが磨りガラス越しに差し込んでいる。

 店主の湊は、カウンターの奥にあるいつもの定位置で、文庫本を顔に乗せて船を漕いでいた。


(……ああ、これだ。俺が求めていたのは)


 先日までの命のやり取りが嘘のようだ。

 Sランク相当の化物も、陰謀も、ここにはない。

 あるのは古紙の匂いと、心地よい微睡みだけ。


「平和が一番……。今日はもう店じまいでいいか……」


 湊がそう呟き、本格的に眠りの世界へ旅立とうとした、その時だった。


 カランコロン、とドアベルが軽快に鳴った。


「チッ……」


 湊は舌打ちをし、顔に乗せた文庫本をずらして入り口を睨んだ。

 客か。


 それともまた厄介ごとか。

 どちらにせよ、俺の安眠を妨害した罪は重い――。


「失礼します。……開いてますか?」


 入ってきたのは、長身の青年と、その背に隠れるようにした小柄な少女だった。


 青年の方は見覚えがある。

 Sランク探索者、剣崎龍也だ。

 だが、いつもの厳ついダンジョン装備ではない。

 清潔感のあるジャケットにスラックスという、休日の好青年といった出で立ちだ。


 そして、その隣にいる少女。

 透き通るような白い肌に、少し色素の薄い茶色の髪。

 儚げな雰囲気だが、その瞳にはしっかりとした理性の光が戻っている。


「……なんだ、剣崎か。また何か依頼か? 面倒ごとは勘弁してくれよ」


 湊が気だるげに言うと、剣崎は慌てて首を横に振った。


「いえ、違います! 今日は、その……改めてお礼を申し上げたくて」


 剣崎は背筋を伸ばし、隣の少女を促した。


「おかげさまで、退院の許可が下りました」


「……あの時は、本当にありがとうございました。命を助けていただいて……」


 美咲は深く、直角になるほど頭を下げた。

 その姿からは、数日前まで「牛鬼」という呪いの苗床にされ、死にかけていた面影は微塵も感じられない。

 湊の施した浄化と治療が完璧だった証拠だ。


「礼ならいらんぞ、断っただろう」


 湊がそっけなく答えると、剣崎は苦笑しながら、手提げ袋から桐の箱を取り出した。


「ええ、存じています。ですが、これは私の個人的な気持ちです。……つまらないものですが」


 剣崎がうやうやしく差し出した桐箱。

 湊の「霊視」ではなく、単なる「直感」が、その箱の中身を高価なものだと告げていた。

 湊は素早く身を起こし、箱を受け取って蓋を開ける。


 そこには、網目模様も美しい、バレーボールほどもある立派なマスクメロンが鎮座していた。

 百貨店で買えば、数万円は下らない代物だ。


「……金はいらんと言ったが」


 湊の表情が、一瞬で緩んだ。


「メロンは別腹だ。貰っておこう」


「リナちゃんから甘いものがお好きと聞いていたので……喜んでいただけて何よりです」


 剣崎が安堵の息を吐く。

 湊は、現金や権力には興味を示さないが、甘いものには目がない。

 それをリサーチ済みとは、流石はSランク探索者と言うべきか。


「まあ、座ってくれ。せっかくだ。茶くらいは出してやる」


 湊は箱を大事そうにカウンターの奥へ置くと、急須にお湯を注いだ。


 

 店内の丸テーブルを囲み、湊、剣崎、美咲の三人で茶を啜る。

 つい先ほど帰宅してきたリナは奥の部屋で着替えている最中らしい。


「それにしても、健康でよかったよ」


 湊が茶菓子を勧めながら言うと、美咲は恥ずかしそうに微笑んだ。


「はい。お医者様も驚いていました。まるで憑き物が落ちたみたいだって」


「実際、落ちたからな」


「ふふ、そうですね。……でも、不思議なんです」


 美咲は湯飲みを両手で包み込みながら、ふと視線を店の隅に向けた。


「体が元気になったのはいいんですけど、世界の見え方が、前と少し違う気がして」


「違う?」


「はい。例えば……あそこの棚にある、黒い壺。……あれを見ると、なんだかゾワゾワするんです。まるで、冷たい風が吹き出しているみたいで」


 美咲が指差したのは、埃をかぶった薄汚い陶器の壺だった。

 骨董的価値はゼロに近いガラクタだ。

 だが、霊的な意味では違う。あれはかつて「蠱毒」に使われていた呪具の成れの果てで、微弱だが陰の気を発している。


 一般人には、ただの汚い壺にしか見えないはずだ。


「……ほう」


 湊は目を細め、美咲をじっと観察した。

 彼女が微弱な霊力を宿しているのが見える。


「呪いってのは、魂に『穴』をこじ開けるもんだからな」


 湊はため息交じりに説明した。


「お前さんは、『牛鬼』という特級の呪いに寄生されていた。それはお前さんの霊的な防壁を食い破り、内側に根を張っていたんだ。俺がそれを引っこ抜いて綺麗にしたわけだが……」


「穴は、開いたまま……ということですか?」


 剣崎が不安そうに身を乗り出す。


「塞がりはしたが、一度開通した感覚は残る。例えるなら、一度自転車に乗れるようになった奴は、数年ブランクがあっても乗れるのと同じだ」


 湊は煎餅をかじった。


「美咲ちゃん。お前さん、陰陽師の才能があるぞ。リナとはタイプが違うがな」


「私が……?」


 美咲は自分の手を見つめた。


「リナは霊力を身体能力に変換する『出力型』だが、お前さんは環境の変化や異質さを察知する『感知型』だ。……ま、普通に暮らす分には、ちょっと勘が鋭くなる程度だが」


 その時。

 

「お待たせー! あ、美咲ちゃん来てるんだ!」


 店の奥から、エプロン姿のリナが飛び出してきた。

 頭には三角巾、手には雑巾とバケツ。

 完全武装の「お掃除スタイル」だ。


「リナさん、こんにちは。……えっと、その格好は?」


「えへへ、日課の修行だよ! お店の汚れを落としながら、霊力のコントロールを練習してるの」


 リナは言いながら、床に膝をついた。


「この床の黒ずみ、ただの汚れじゃないんだよねー。この店の『霊的な澱み』だから、霊力を込めてゴシゴシしないと落ちないの!」


「ふんッ、ふんッ!」


 リナが気合を入れて雑巾がけを始めると、彼女の手元が微かに白く発光した。

 霊力を雑巾に伝導させ、物理的な汚れと共に、染みついた「澱み」を拭い去っているのだ。


「すごい……光って見える」


 美咲が呟いた。

 やはり、見えているのだ。


 リナが楽しそうに、しかし真剣に掃除をする姿を見て、美咲の中で何かが動いた。

 

 病室でずっと天井を見上げていた日々。

 守られるだけで、何もできなかった無力感。

 新しい「感覚」が芽生えた今なら、自分も変われるかもしれない。


 ガタッ。

 美咲が椅子から立ち上がった。


「リナさん! 私にも、手伝わせてください!」


「えっ? 美咲ちゃんが?」


「はい! 体を動かしたいですし、何より……私も、その『力』の使い方を知りたいんです。もう、お兄ちゃんに守られるだけじゃ嫌だから」


 美咲の瞳には、強い意志の光が宿っていた。

 

「おいおい、美咲。病み上がりに無理は……」


 剣崎が止めようとしたが、湊がそれを手で制した。


「いいんじゃないか? リハビリには丁度いい」


 湊は計算していた。

 リナは猪突猛進なパワータイプだ。細かい霊力の変化や、呪いの感知には向いていない。

 対して美咲は、繊細なセンサーを持っている。

 二人が組めば、互いの欠点を補えるかもしれない。


「リナ、予備の雑巾を貸してやれ。ただし、美咲ちゃんには『拭き掃除』じゃなくて、棚の『埃払い』をやらせろ。集中力と、気配を探る練習になる」


「了解です! 美咲ちゃん、こっちこっち!」


「はい、先生!」


 それからの一時間は、寂れた『久遠堂』にとって、かつてないほど華やかな時間となった。


「あ、そこ! 棚の裏にちっちゃい澱みがあるよ!」

 

「はい! ……見えました、これですね!」

 

「えいっ!」

 

「とぉっ!」


 エプロン姿の美少女が二人。

 キャッキャと笑い合いながら、店内を磨き上げていく。

 

 リナが豪快に床を磨き、細かいところの澱みを美咲が見つけて的確に拭き上げる。

 見事な連携プレーだ。

 店内に漂っていた古臭い空気は一掃され、代わりに石鹸の香りと、若々しい陽の気が充満していく。


「……うぅッ」


 カウンターの隅で、鼻をすする音がした。

 Sランク探索者、剣崎龍也が、高級そうなハンカチで目元を拭っている。


「美咲が……あんなに楽しそうに……!」


「……泣くところか、そこ?」


 湊は呆れたように言った。


「ここのところずっと病院のベッドだったから……。あんな風に、友達と笑いながら体を動かしてる姿を見るのは、いつぶりか……」


 剣崎は感極まって、言葉を詰まらせた。

 妹のためならダンジョンの深層にも潜る最強の男だが、妹のこととなると涙腺が崩壊するらしい。


「まあ、よかったな。リナも同年代でこの秘密を共有できる相手がいなくてちょっと寂しそうだったんだ」


「湊さん……ありがとうございます。この恩は、一生忘れません」


「大袈裟だ。……ほら、そろそろ終わるぞ」


 「ふぅー! 綺麗になったー!」

 

 「疲れましたけど……なんだかスッキリしました!」


 掃除を終えた二人が、額に汗を浮かべて戻ってきた。

 その顔は、達成感で輝いている。

 店は見違えるほどピカピカになり、空気も澄んでいた。


「よく働いたな。じゃあ、報酬といこうか」


 湊は冷蔵庫から、冷やしておいたメロンを取り出した。

 

 ナイフを入れると、芳醇な香りが弾けるように広がる。

 鮮やかな緑色の果肉には、蜜がたっぷりと乗っていた。


「わぁ……! すごい!」

 

「美味しそう……!」


 四人でテーブルを囲み、メロンを口に運ぶ。

 

「ん〜っ! 甘い! 溶ける!」

 

 リナが頬を押さえて悶絶する。

 

「本当……。こんな美味しいメロン、初めて食べました」

 

 美咲も目を丸くしている。


 甘い果汁が、労働の後の体に染み渡る。

 湊も一切れ口に入れ、満足げに頷いた。

 上品な甘さと、滑らかな舌触り。

 やはり、高いメロンは正義だ。


「ねえねえ美咲ちゃん、学校どこなの? 意外と近いかも!」


「えっと、私は新宿南女学園です。今は休学中なんですけど、来月には復学できそうで」


「え、近いじゃん! 今度さ、学校帰りに駅前のクレープ屋さん行かない? 新作が出たんだって!」


「はい! ぜひ行きたいです!」


 リナと美咲はすっかり意気投合し、楽しそうに話し合っている。

 その横で、剣崎が「クレープ……俺も付いて行っていいだろうか」と小声で呟き、湊に「やめとけ、嫌われるぞ」と止められている。


 騒がしいが、悪意のない喧騒。

 穏やかな日常の風景。


 湊は二切れ目のメロンを味わいながら、目を細めて店内を見渡した。


 どこか、不穏な空気が身の回りに漂い始めていることは分かっている。

 いずれまた、この平穏は脅かされるだろう。


 だが、今はこの瞬間だけでいい。


(……ま、たまにはこういうのも悪くないか)


 甘いメロンの余韻と共に、湊は久しぶりの平和を噛み締めた。

 

 嵐の前の静けさだと知っていても、今はただ、この温かい時間を守りたいと、柄にもなくそう思ったのだった。

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