第20話
東京、西新宿。
地上二百メートル。
都内でも指折りの高層ビルの最上階に、そのオフィスはあった。
表向きは、最新の魔導具開発を手掛ける世界的大企業『アカシック・ソリューションズ』の本社執務室。
洗練されたデザイナーズ家具と、壁一面に飾られた抽象画。
だが、その一角にある巨大なモニターに映し出されているのは、企業のプレゼンテーション資料などではなかった。
映っていたのは、破壊と殺戮の記録だ。
「――報告します。特務部隊、全滅しました」
報告を行う主任の声は、恐怖でかすれていた。
彼は直立不動の姿勢をとっているが、膝が小刻みに震えているのを隠せていない。
「隊長は『検体・鬼』を投与し、強制適合を行いましたが……交戦開始からわずか三分で反応消失。生体データ、全ロスト。……作戦は、失敗です」
主任は、処刑を待つ罪人のような顔で言葉を結んだ。
彼らが送り込んだのは、一着数億円の強化外骨格と、非人道的な人体改造を施した最高傑作の兵士たちだ。
それが、たった一軒の古道具屋でゴミのように処理された。
常識的に考えれば、激昂したボスにその場で消されても文句は言えない失態である。
だが。
部屋の主、御影恭一郎の反応は、主任の予想を裏切るものだった。
「クックック……。素晴らしい」
革張りの椅子に深く腰掛けた御影は、手にした赤ワインのグラスを優雅に揺らしながら、喉の奥で笑ったのだ。
その表情に怒りはない。
あるのは、難解なパズルの答えを見つけた時のような、純粋な知的好奇心と恍惚のみ。
「失敗? 違うな。これは大いなる収穫だ」
御影はワインを一口含み、モニターを指差した。
そこに映し出されているのは、久遠リナが強化兵士の胸部装甲を素手で粉砕する瞬間と、最後に湊が放った『火蛇』が画面を焼き尽くしてノイズに変わるラストシーンだ。
「見ろ、この美しい破壊を。最高硬度の魔導装甲が、まるで濡れた紙のように引き裂かれている、そして鬼を跡形もなく消し去る炎」
御影は立ち上がり、モニターに顔を近づけた。
モニターに映る彼の瞳は、獲物を見つけた猛禽類のようにギラギラと輝いている。
「彼らが使った力……。解析班はどう分析している?」
「は、はい! ……それが、不可解な点ばかりでして」
主任は慌ててタブレットを操作し、データを表示させた。
「まず、少女の方ですが……魔力反応が検出されません。通常、魔術による身体強化を行う際は、大気中のマナを取り込み、体内で魔力へと変換するプロセスが発生します。これによって周囲のマナ濃度が低下するはずなのですが、彼女の周囲ではそれが観測されないのです」
「ほう?」
「彼女が使っているのは、自身の体内で生成された生体エネルギーのみ。つまり、外部リソースに一切頼らず、自身の生命力だけで、戦車砲クラスの出力を叩き出していることになります。……理論上、ありえません。そんなことをすれば、肉体が負荷に耐えきれず自壊します」
「だが、彼女は壊れていない。それどころか、ピンピンしている」
御影は楽しげに笑い、次に画面上のノイズを指差した。
「では、最後の一撃。あの炎については?」
「……さらに異常です。あれは火属性の魔術に見えますが、構成術式が根本から異なります。現代魔術のコード体系には存在しない文字列……いや、そもそも『術式』という概念を通さず、事象そのものを書き換えているような……」
主任は言葉に詰まった。
現代の魔導科学の粋を集めた分析AIが、エラーを吐き続けているのだ。
『定義不能』。
『解析不能』。
『該当データなし』。
頭を抱える主任を見て、御影は満足げに頷いた。
「当然だ。現代の物差しで測れるはずがない」
御影は窓際へ歩み寄り、眼下に広がる東京の夜景を見下ろした。
煌びやかなネオンの海。
科学と魔術が融合し、繁栄を極める現代文明。
「かつて、この国には独自の神秘体系があった。西洋の魔術とは異なる、東洋の叡智。だが、それは七十年前……第二次世界大戦とダンジョンの出現と共に、歴史の闇へと葬り去られた」
御影はグラスの中の液体を見つめながら、講釈を垂れるように語り始めた。
「進駐軍GHQは、日本人の精神的支柱を解体するために様々な政策を行ったが、その中に『非科学的迷信の排除』が含まれていたことは知っているか? 彼らは恐れたのだよ。神風や呪いといった、論理で説明できない不確定要素を」
彼は振り返り、モニターに映る湊とリナの姿を指差した。
「近代化の波、科学偏重教育、そして西洋魔術の導入による効率化。それらによって淘汰され、消滅したはずの『日本の神秘』……。まさか、現代に残っているとはな」
御影は確信を持って、その名を口にした。
「『陰陽術』。失われた技術体系、ロスト・テクノロジーだ」
主任が息を呑む音が聞こえた。
陰陽術。
映画や漫画の中だけの存在だと思っていた。
だが、目の前のデータが、それが実在する脅威であることを証明している。
「あの店……『久遠堂』の主と、その姪。彼らはただの魔術師崩れではない。我々が捨て去った『過去』からの伝道師であり、そして……」
御影はニヤリと笑った。
「私が探し求めていた、最後の『鍵』だ」
御影は執務机の裏へと回り、壁に掛けられた巨大な宗教画に手を触れた。
生体認証と魔力認証が同時に行われ、重厚な機械音が響く。
絵画がスライドし、その奥に隠されていた銀色の隔壁が開かれた。
漏れ出してきたのは、濃厚な『死』の気配。
「う、うう……」
主任が思わず後ずさりする。
オフィスの清潔な空気が、一瞬でドブ川のような腐臭に塗り替えられた。
隠し部屋の中央。
無数の冷却パイプとケーブルに繋がれた祭壇の上に、それは鎮座していた。
直径五十センチほどの、脈動する紫色の球体。
文献から人工的に作り出した 『賢者の石』。
またの名を――人工ダンジョンコア。
御影たちが長年の研究の末に生み出した、無限のエネルギー体だ。
だが、その輝きは不安定で、周囲に毒々しいスパークを撒き散らしている。
「美しいだろう? これこそが、人類を次なるステージへ進化させるまさに『神の心臓』といっていいものだ」
御影は恍惚とした表情で、球体の輝きに顔を照らされた。
「だが、まだ完成ではない。見ての通り、出力が強すぎる。制御できず、周囲を呪いで汚染し尽くしてしまう暴れ馬だ」
彼は忌々しげに球体を睨んだ。
これまで、数え切れないほどの実験体をこのコアの「接続者」として消費してきた。
だが、誰も耐えられなかった。
接続した瞬間、精神が焼き切れ、肉体が崩壊し、異形の怪物へと成り果ててしまう。
「この強力な力を制御し我々が支配する『新世界』の扉を開くには、二つのピースが欠けていた」
御影は指を二本立てた。
「一つは、この無限の呪いを宿しても壊れない、強靭極まる『器』」
彼はモニターのリナを指差した。
「あの少女だ。彼女は、呪いの塊である『検体・鬼』と接触し、その毒を受けながらも崩壊していない。あまつさえ、その呪いを解呪している。……素晴らしい素材だ。彼女の肉体ならば、このコアの全出力を受け止めることができるだろう」
「し、しかし……それだけでは制御できないのでは?」
「その通り。だからこそ、もう一つが必要なのだ」
御影は、次に湊を指差した。
「二つ目は、暴走するエネルギーを概念レベルで定義し、固定化するための『制御の鍵』だ」
彼はモニターの中の湊を、値踏みするように見つめた。
「現代魔術の論理では、このコアを制御できない。だが、事象を書き換える『陰陽術』ならば……。あの男が使った『炎』のような、理を超えた干渉力があれば、このコアを完全な管理下に置くことができる」
パチン。
パズルのピースが嵌まる音が、御影の脳内で響いた。
『器』としての久遠リナ。
『制御の鍵』としての、店主の男。
この二人が揃って初めて、御影の悲願である『人工ダンジョン計画』は完成するのだ。
「彼らを確保しろ。生きたままだ」
御影の命令に、主任はハッとして我に返った。
「は、はい! では、直ちに第二部隊を編成し、再攻撃を……」
「愚か者め」
冷ややかな声が、主任の言葉を遮った。
御影は軽蔑の色を浮かべて部下を見下ろした。
「学習しない男だ。力押しでは勝てんことは、たった今証明されたばかりだろう? あの店は彼らの『テリトリー』なのだろう。そこに土足で踏み込めば、何度やっても同じ結果になる」
それに、と御影は付け加えた。
「現場には、特務機関のネズミ……佐伯美香が居合わせていた。政府が本格的に嗅ぎ回り始めている。これ以上、新宿のど真ん中で派手なドンパチをやらかせば、こちらの計画自体が露見し、足枷になる」
「で、ではどうすれば……」
「狩りの基本だよ。獲物が巣穴に引き籠もっているなら、出てくるのを待てばいい。あるいは……」
御影はグラスに残ったワインを飲み干し、不敵な笑みを深めた。
「出てこざるを得ないように、餌を撒く」
彼はデスクに戻り、端末を操作し始めた。
画面に表示されたのは、探索者協会の極秘データベースと、裏社会のブラックリスト、そして大手メディアへのコネクション網だ。
「私は魔術協会の理事であり、この国の防衛産業を担うトップだ。彼らを追い詰める手段など、暴力以外にいくらでもある」
御影の指が、キーボードの上で踊る。
「彼らを、あの守られた店から引き剥がせ」
彼が考案したのは、シンプルかつ陰湿な罠だった。
――社会的地位を利用した、正規ルートでの『強制依頼』。
――リナの周囲の人間を狙った、間接的な人質作戦。
――そして、彼らを「社会的な敵」に仕立て上げる情報操作。
それらを複合的に組み合わせ、合法的に彼らを死地へと誘導する。
自分たちの土俵に引きずり込めば、あとはどうとでも料理できる。
「久遠リナ。そして、陰陽師よ」
御影はモニターに映し出された二人の笑顔を、指先でゆっくりとなぞった。
それは慈愛のようでもあり、究極の悪意のようでもあった。
「光栄に思うがいい。君たちの命、人生、そしてその魂……。すべてを、私の『新世界』の礎にしてやろう」
カツン。
エンターキーが押される音と共に、悪意のプログラムが走り出した。
まだ何も知らない『久遠堂』の住人たちに向け、目に見えない包囲網が、静かに、しかし確実に狭まり始めていた。




