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第2話

「……待て」


 湊の声は低く、それでいて奇妙なほどよく通った。

 リナの指先が、豪奢な装飾の施された短剣――『吸血姫の愛剣』の柄に触れる直前でピタリと止まる。


「え、なに? やっぱりケチる気?」


 リナが不満げに振り返る。その瞳は、目の前のお宝に釘付けだ。


(……危ねえ)


 湊は心の中で冷や汗を拭った。

 もしリナが短剣を鞘から抜いていたら、今頃彼女の体内の血液はすべて剣に吸い上げられ、床にはカラカラに乾いた女子高生のミイラが転がっていたはずだ。


 そんなことになれば、姉さんにどんな顔をして言い訳すればいいのか。

 考えるだけで胃が痛くなる。

 いや、そもそも警察沙汰だ。

 面倒くさいことこの上ない。


「違う。それは、お前には扱いきれないと言っているんだ」


 湊はなるべく平静を装い、面倒くさそうに頭を掻いた。


「その短剣はな、特殊な合金でできていて、手入れが非常に面倒なんだ。専用のオイルで毎日磨かないとすぐに錆びるし、湿度管理もシビアだ。マニア向けの鑑賞用だよ」


 もちろん、真っ赤な嘘である。

 その剣は血を吸うことで永遠の輝きを保つ呪物であり、手入れなど一切必要ない。


「えー、めんどくさ。毎日とか無理だし」


 リナは露骨に嫌そうな顔をした。

 現代っ子に「毎日の手入れ」という言葉は効果覿面だ。


「だろ? 配信中に錆びてたら、それこそ『映え』ないぞ」

 

「うっ……それは困る」


 リナが躊躇した隙を見逃さず、湊は彼女の体をグイッと棚から引き離した。


「もっとお前に似合う、いい感じにレトロで実用的なやつがある。ちょっと待ってろ」


 湊は店の奥へと進んでいく。

 そこは商品棚ですらなく、ただの「ガラクタ置き場」と化している領域だ。

 積み上げられた木箱や、何に使われていたのか不明な金属部品の山を、湊はぞんざいに掻き分けていく。


 ガシャン、ゴト、と何かが崩れる音が響くたび、埃が舞い上がる。


「ゲホッ、叔父さん、すごい埃! 掃除してないでしょ!」

 

「埃は歴史の証だ。……あった、これだ」


 湊がガラクタの山から引っ張り出したのは、一枚の金属板だった。

 いや、よく見るとそれは、胸部を守るための防具――胸当てのようだった。

 だが、表面は長年の埃と煤で黒ずみ、所々に小さな傷もある。

 現代のダンジョン探索者が身につけるような、スタイリッシュで軽量な強化プラスチック製アーマーとは比べ物にならないほど無骨で、古臭い。


「はい、これ」


 湊はそれをリナに手渡した。

 ずしりとした重みに、リナはよろめきかける。


「え、何これ。重っ! それに、めっちゃ汚いしダサいんだけど!」


 リナは抗議の声を上げた。

 当然の反応だ。


「もっとこう、キラキラしてて、シュッとしたやつないの!? これじゃコラボ相手のみーちゃんに笑われちゃうよ!」


「笑われたって死ぬよりはマシだろ」


 湊はカウンターに戻り、再び気怠げに頬杖をついた。


「それはな、見た目は悪いが頑丈さだけは保証する。最近のチャラチャラした軽量アーマーとはわけが違うんだ。鬼の棍棒で殴られたって、骨一本折れずに済むぞ」


 これもまた、湊なりの方便だ。

 その胸当ては、平安時代の名工が、対妖魔戦用に鍛え上げた逸品『退魔の鉄鎧』の一部だ。

 ただの鉄ではない。

 霊山で採掘された特殊な霊鉱石を、高僧の読経の中で打ち鍛えた代物で、中級程度の妖魔の爪牙なら傷一つつかない。

 現代のダンジョンに生息するモンスター程度を相手にするなら、オーバースペックもいいところだ。


 だが、その真価を説明したところで、「霊鉱石? なにそれ、新しいレアメタル?」と言われるのがオチだろう。


「でもぉ……」

 

「配信映えを気にする前に、まずは生きて帰ることを考えろ。死んだらバズるも何もないぞ」


 隠居老人らしい現実的なアドバイスに、リナは口を尖らせながらも反論できずに押し黙った。

 彼女も死にたいわけではないのだ。


「むー……分かったよ。着ればいいんでしょ、着れば」


 リナは渋々といった様子で、制服の上からその無骨な胸当てを装着し始めた。

 革ベルトを締めるたびに、埃が舞う。


「うわ、なんかカビ臭い……」


 ブレザーの上に鉄の塊をつけた女子高生。

 その姿は、現代の渋谷よりも、世紀末の荒野の方が似合いそうなアンバランスさだった。


「よし、防具はそれでいいとして。次は武器ね! 武器!」


 リナは気を取り直したように、再び目を輝かせた。


「さっきの短剣がダメなら、他になんかないの? 杖とか! 魔力を通すと先端が七色に光るやつとか、振ると氷の結晶が舞うやつとか!」


 リナの要求はエスカレートしていく。

 どうやら彼女の頭の中では、「古物商」と「魔法のアイテムショップ」の区別がついていないらしい。


「ない」


 湊は即答した。


「前にも言ったが、うちは古物商だ。最新の魔導ギミックが搭載されたオモチャみたいな杖なんて置いてない」


「えー! じゃあどうすんのよ! 私の杖、量産品の安いやつなんだよ」


「……安くても魔法は使えるんだろ?」

 

「使えるけど! なんか地味!」


 湊は深いため息を吐いた。

 探索者としての基本がなっていない。


「変に武器を変えるのはやめておけ」


 湊は顎でしゃくった。

 リナの腰には、小さな短い杖がぶら下がっている。

 量販店で「初心者セット」を買うとついてくる、安物の杖だ。

 

「それでいい」


 湊の声が、少しだけ真剣な響きを帯びた。


「いいか、リナ。戦場で一番信用できるのは、高価な武器でも強力な魔法でもない。『慣れ』だ」


 リナがキョトンとする。


「慣れ?」

 

「ああ。お前は普段、その杖で練習してるんだろ?」

 

「う、うん。まあ、家でちょっと火をつけたりするくらいだけど……」

 

「なら、体がその杖の魔力伝導率や、発動のタイミングを覚えているはずだ。いざという時、焦っていても無意識に扱える武器。それが一番強い」


 これは、千年前の戦場を生き抜いた湊の実感だった。

 強力すぎる呪具は、使い手の精神を蝕むこともある。

 身の丈に合わない力は、時に自分自身を滅ぼすのだ。


「急に使い慣れない強力な武器を持ったところで、制御できずに暴発させるのがオチだ。そんなものを配信で見せたら、それこそ大恥かくぞ」


「うっ……それは、確かにそうかも」


 リナは自分の腰の安っぽいワンドを見つめた。

 「バズり」と「大恥」を天秤にかけ、彼女の中で現実的な判断が下されたようだ。


「分かった……。今回はこれで我慢する」


 リナはしょんぼりと肩を落とした。

 埃っぽい胸当てに、安物のワンド。

 どう見ても「何とかそろえた装備でやってきた初心者丸出し」の探索者だ。

 これでは憧れのインフルエンサーとのコラボで目立つことなど不可能に見えた。


「はぁ……こんな装備じゃ、みーちゃんの引き立て役確定だなぁ」


 リナの落胆ぶりを見て、さすがの湊も少しだけ良心が痛んだ。

 いや、痛んだというよりは、このまま機嫌を損ねて店に居座られる方が面倒だと判断したのだ。


「……まあ、待て」


 湊はカウンターの下に手を伸ばし、一つの小さな木箱を取り出した。


「せっかくのコラボなんだろ。これをおまけにやる」


 湊が木箱から取り出したのは、一本の簪だった。

 黒塗りの木製で、先端には赤い珊瑚玉と、古びた銀細工の飾りがついている。

 細工の意匠は、蝶のようにも、あるいは何か別の生き物のようにも見えた。


「え、なにこれ? かんざし?」


 リナが興味深そうに覗き込む。


「ああ。昔の職人が作った、まあ、お守りみたいなもんだ。アクセントにはなるだろ」


 湊は指先で珊瑚玉を一度だけ撫でてから、さも価値のないガラクタであるかのようにリナに手渡した。

 だが、リナの反応は劇的だった。


「わあっ! かわいい!」


 彼女はかんざしを受け取ると、目をキラキラと輝かせた。


「すごい! これ、本物のヴィンテージじゃん! 現代の魔導アクセにはない、この深みのあるデザイン! これなら和風レトロコーデのポイントとして、めっちゃ映えるかも!」


 リナは先ほどまでの落胆が嘘のように、嬉々として簪を自分の髪に挿してみせた。

 制服に、無骨な鉄の胸当て、そして古風な簪。


 奇妙な組み合わせだが、リナの持つ若さと勢いが、それを一つのファッションとして成立させている……ような気もする。


「これならみーちゃんとのコラボでも目立てるかも! ありがとう叔父さん! やっぱり頼りになるね!」

 

「……そうかよ。そいつは良かったな」


 湊は適当に相槌を打った。


(……まさか、あの『守護の簪』を「かわいい」で済ませるとはな。現代っ子の感性は分からん)


 リナは知らない。

 その簪が、かつて湊が気まぐれで作り出した特級呪術具であることを。

 その小さな珊瑚玉の中には、湊が使役していた中でも特に強力な「守護式神」が一体、封印されているのだ。


(まあ、そんな封を解くほどの危機なんて起こることはないだろうし……まあ、安物の杖しか持っていないあいつには、ちょうどいい保険だろう)


 それが発動するような事態にならないことを祈るばかりだが。


「よし! 準備完了! 行ってくるね叔父さん! 配信、絶対見てよね!」


 リナは意気揚々と、嵐のように店を飛び出していった。

 カランコロン、とドアベルが激しく鳴り響き、やがて静寂が戻ってくる。


「……ふぅ」


 湊は大きく息を吐き出し、今度こそ本当に力が抜けたようにカウンターに突っ伏した。


「やっと静かになった……」


 嵐は去った。

 これでようやく、平穏な日常が戻ってくる。

 湊は幸せな気持ちで目を閉じた。


「さて、三度寝、三度寝……」


 彼はまだ知らない。

 自分が姪っ子に持たせた「おまけ」が、現代のダンジョン攻略の常識を根底から覆す、とんでもない「バズり」を引き起こすことになる未来を。


 チクタク、チクタク。

 古びた柱時計の音だけが、静かな店内に響いていた。

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