第10話
エレベーターが地下へと降りていくにつれ、空気の密度が変わっていくのがわかった。
重く、冷たく、そして強固な魔術結界に守られた場所特有の閉塞感。
扉が開くと、そこには広大な空間が広がっていた。
都内某所。
剣崎が所属する国内最大手のクラン『天叢雲』が保有する、極秘の地下訓練場である。
天井までの高さは二十メートル以上。
壁と床は、特殊合金と強化コンクリートで覆われ、その内側には幾重もの魔術防壁が埋め込まれている。
Sランクモンスターが暴れても、地上には振動ひとつ伝わらないという逸話を持つ「要塞」だ。
その中央に、美咲のベッドが移送されていた。
「全員、下がれ」
剣崎が、搬送を手伝った部下の探索者たちに命じる。
「し、しかしリーダー。防壁の出力調整や、もしもの時のバックアップは……」
「必要ない。ここに残るのは俺と、このお二方だけだ」
「えっ? この女子高生と……甚平の人、ですか?」
部下たちは困惑の視線を湊に向けたが、剣崎の鋭い眼光に射抜かれ、慌てて敬礼して退室していった。
重厚な金属扉が閉ざされる音が腹に響く。
完全な密室。
残されたのは、意識のない美咲と、剣崎、リナ。そして――。
「ペタ、ペタ、ペタ」
広大な訓練場に、気の抜けるような下駄の音が反響していた。
湊だ。
彼は最新鋭の設備を見回し、まるで近所の公園にでも来たかのようにあくびをした。
「へえ、悪くないね。これなら少々派手に暴れても文句は言われないか」
「……頼むよ、湊さん」
剣崎は緊張で強張った顔で言った。
彼は腰に佩いた愛剣――最高級の魔剣『竜殺し』の柄を握りしめている。
だが、湊はその剣を見て、鼻で笑った。
「おいおい。そんなナマクラで相手するのは無理だぞ?」
「ナマクラ……? これはダンジョンの深層ボスドロップで、市場価格なら数億円は下らない業物だぞ」
「物理的な敵ならそれでいいだろうよ。だが、これから相手にするのは『呪い』そのものだ。霊体の干渉力が低いその剣じゃ、せいぜい浅い傷をつけるのがいいとこだろうよ」
湊はそう言うと、自身の甚平の胸元――懐に手を突っ込んだ。
ズズズズズズ……ッ。
異様な音がした。
懐から、明らかに服の収納スペースを超えた長さの物体が引き抜かれていく。
それは、鞘に収められた一振りの長剣だった。
「ほらよ」
湊はそれを、まるで雨傘でも渡すかのように、無造作に剣崎へ放り投げた。
「おっと!」
剣崎は慌てて受け取る。
ずしりとした重み。
鞘は古びた白木だが、そこから漏れ出す「気配」に、Sランク探索者の本能が警鐘を鳴らした。
恐る恐る、鯉口を切る。
シャラ……ッ。
涼やかな音と共に、青白く透き通るような刀身が露わになった。
刀身自体が微かに発光している。
その光は、照明の反射ではない。
内側から溢れ出す、純粋な霊力の輝きだ。
「なっ……!?」
剣崎の手が震えた。
彼は数々のレアアイテムを見てきた。
伝説級の金属『ミスリル』や『オリハルコン』も知っている。
だが、この剣は次元が違う。
金属でありながら、金属ではない。まるで「魂」そのものを鍛え上げて物質化したような、神々しいまでの存在感。
「これは……『精霊剣』か? いや、それ以上の純度だ。国宝級どころの話じゃないぞ……!」
「ああ、それは『退魔の霊刀』。俺の霊力で起動してある。霊的防御を紙切れみたいに切り裂く対妖特化型の武器だ」
湊は耳の穴を小指でほじりながら答えた。
「いいのか? こんな……値段などつけられないような業物を」
「そんなもん、店の倉庫に何本も転がってる。刃こぼれしたら使い捨ててもいいぞ」
「つ、使い捨て……!?」
剣崎は絶句し、リナの方を見た。
リナは「あちゃー」という顔で額を押さえている。
「ごめんなさい、剣崎さん。叔父さんにとって、すごいお宝もガラクタも区別つかないみたいで……」
(叔父さんの倉庫、やっぱりヤバいものが眠ってたんだ……)
リナは心の中で、掃除の途中で見かけた店にある「売り物」たちの価値を再計算し、その桁数に目眩を覚えた。
「さて、と」
湊の声色が、少しだけ変わった。
気怠さは残っているが、その瞳の奥に、冷徹な光が宿る。
「始めるか」
湊は美咲のベッドサイドに立った。
懐から、今度は一枚の和紙を取り出す。
現代の探索者や魔術師が使う、プラスチック製のカード型魔法具ではない。
墨で流麗な梵字が描かれ、中央に鮮やかな朱印が押された、古式ゆかしい「呪符」だ。
「リナ、お前は後ろに下がってろ。白雪、リナを守れ」
『キュウ!』
「剣崎、お前はその剣を構えて入り口側に立て。逃げそうになったときは迎撃を頼む」
「わ、わかった」
剣崎は霊刀を構え、油断なく身構えた。
訓練場に、張り詰めたような沈黙が降りる。
湊は呪符を人差し指と中指で挟み、口元で何かを囁いた。
ボゥッ。
呪符が、青白い炎を纏って発光する。
「寄生虫め、居心地がいいのはわかるがね」
湊は冷ややかに美咲を見下ろした。
その視線の先には、リナにしか見えない「黒い根」の塊がある。
「家賃も払わずに居座るなら、強制退去だ」
湊の手が動く。
躊躇なく、呪符を美咲の額――黒い靄の中心核に叩きつけた。
「――急々如律令!!」
バチィッ!!
強烈な閃光が走った。
「あ……ぐぅ……ッ!!」
それまで昏々と眠り続けていた美咲が、ビクンと背中を反らせ、苦悶の声を上げた。
閉じた瞼の下で眼球が激しく動き、痩せ細った手足がシーツを掻きむしる。
「ぎぃ……ああああああああああッ!!」
少女の口から、およそ人間とは思えない、獣のような咆哮が漏れる。
「美咲ッ!」
妹の苦しむ姿に、剣崎の理性が飛びかけた。
彼は反射的にベッドへ駆け寄ろうとする。
「動くなッ!!」
湊の一喝が、訓練場の空気をビリビリと震わせた。
いつもの脱力した声ではない。圧倒的な強制力を持った「命令」だった。
剣崎の足が、金縛りにあったように止まる。
「今触れれば、呪いはお前の方に移ってくるぞ! 耐えろ!」
「くっ……!」
剣崎は歯を食いしばり、拳を握りしめて立ち尽くした。
目の前で妹がのたうち回っている。代われるものなら代わりたい。
だが、今の自分にできることは、湊を信じて待つことだけだ。
「叔父さん! 何か出てくる!」
リナが叫んだ。
彼女の目には、はっきりと見えていた。
額に貼られた呪符が、強力な掃除機のように作用している。
美咲の全身の血管や神経に絡みついていた「黒い根」が、ズルズルと、嫌な音を立てて引き剥がされ、額の一点に集約されていく。
それはまるで、皮膚の下から巨大な寄生虫を引き抜くような、おぞましい光景だった。
「が、あ、あ、ああああ……ッ!!」
美咲が最後の絶叫を上げ、ガクンと力を失ってベッドに倒れ込んだ。
同時に。
ドォォォォォォォォォォン!!!
黒い奔流が、彼女の額から天井に向かって噴き出した。
それは空中で渦を巻き、凝縮し、実体を持ち始める。
腐った泥のような悪臭が、広大な訓練場を一瞬で満たした。
リナは思わず鼻と口を覆う。
地底から響くような、低く、重い唸り声。
黒い煙が晴れると、そこには異形の怪物が鎮座していた。
大きさはダンプカーほどもあるだろうか。
下半身は、剛毛に覆われた巨大な蜘蛛。
その上に乗っているのは、ねじれた角を生やした、醜悪な牛の頭部を持つ鬼の胴体。
妖怪『牛鬼』。
だが、伝承にある姿よりも遥かに禍々しく、その体からはポタポタと、床を溶かす強酸性の黒い雫が滴り落ちている。
「あ、あいつだ……!」
剣崎が愕然と呟いた。
その顔から血の気が引いている。
「あの時、深層で遭遇した『イレギュラー』……! 間違いない、この気配だ!」
剣崎は霊刀を構えたが、その切っ先は微かに震えていた。
Sランク探索者の彼が、恐怖している。
「だが、あの時とは桁が違う……! 威圧感が倍以上になっているぞ!? まさか、美咲の生命力を吸って成長したのか!?」
牛鬼の虚ろな瞳が、ギロリと剣崎たちを見下ろした。
その眼光だけで、周囲の空間が歪むほどのプレッシャー。
物理攻撃無効、魔法耐性極大。
そして触れるだけで魂を腐らせる呪いの権化。
現代のSランクパーティーですら全滅必至の、災厄級モンスターだ。
「ひっ……!」
リナは足がすくんで動けなかった。
テレビで見るダンジョン配信とはわけが違う。
本物の「死」の気配が、そこにあった。
だが。
ただ一人、湊だけはつまらなそうに首を鳴らした。
「おーおー、随分と育ってんな」
彼は懐から、もう一枚の呪符を取り出し、ピラピラと振った。
「他人の霊力で肥え太った畜生が。その肉、全部削ぎ落としてやるよ」
最強の陰陽師と、醜悪な呪い。
地下の密室で、人知を超えた戦いの火蓋が切って落とされた。
〜あとがき〜
読んでくださり、ありがとうございます!
ここまで読んで面白い!続きが気になるという方は是非、作品のフォローと評価をお願いします!
10話まで読んだら、フォローしないと!!
特に作品のフォローは自分の作品をこれだけの人が待っているというのが可視化されるようなもので、執筆意欲に直結しています。




