第19章 氷霜の歌と星の血(後編)
トンネルが、彼らの足音に合わせて震えていた。
青白い光の欠片が湿った壁を踊る。
――影が現れる前に、すでに霜が這っていた。
霧の中からハーヴィーが現れた。
氷の外套をまとい、こめかみの仮面がひび割れている。
その瞳は狂気の光を宿していた。
「逃げられると思ったのか、下民。
ヴァッサルはお前を戦士として選んだ。
そして俺は――執行者だ。」
「行け、アラタ!」
バンが叫んだ。「ハストゥルとエファを見つけろ! ここは俺がやる!」
少年は一瞬ためらい、やがて頷いて走り去った。
ハーヴィーは振り返りもしない。
その視線はただ、バンだけを見据えていた。
バンはゆっくりと顔を上げた。
その瞳の奥で、紫のアニマが揺らめく。
壁がざわめいた――怒りと恐怖が呼吸をしているかのように。
「違うんだ、ハーヴィー。
お前はもう役者じゃない。操られるだけの人形だ。」
沈黙。
そして、冷気。
温度が一気に下がり、空気中の水分が結晶化した。
ハーヴィーが一歩踏み出す。足跡が氷の線を描く。
「――クリオ・ブレード。」
透明な剣が手の中に形を成す。
それを振り上げると、金属が悲鳴を上げた。
バンは拳を握った。
空気が低く唸る。
紫の霧が脈打ち、心臓の鼓動のように広がっていく。
---
二つの影が衝突した。
――カァン!
――ガラァァン!!
衝撃音が雷のようにトンネルを満たす。
ハーヴィーの攻撃は速く、正確で、冷たい。
バンは最小限の動きでかわし、衝撃波を吸収する。
刃が空を裂くたび、氷の破片が爆ぜた。
「見ろ、バン! 王が創った世界は完璧だ。
感情も痛みもない、冷たい美だ!」
バンは血を吐きながら笑った。
「完璧? ふざけるな。
自分で呼吸することすら、もう忘れてるじゃないか。」
ハーヴィーの歯が軋む。
「――苦悶の鏡!」
背後に十数枚の氷の鏡が現れた。
それぞれの鏡が違うバンを映し出す――笑う者、叫ぶ者、泣き叫ぶ者。
そして鏡像たちは現実に滲み出し、歪んだ姿で迫った。
バンは目を閉じ、ゆっくりと開く。
その瞳に二つの紫の輪が灯った。
「アニマ・プルプラ――感情変換。」
衝撃波が走った。
鏡像たちは悲鳴を上げ、ひび割れ、光に呑まれて消えた。
---
戦いはさらに激しさを増す。
一歩ごとに地面が鳴り、壁が揺れる。
バンの拳が闇に包まれ、ハーヴィーの剣とぶつかる。
氷が震え、砕け、バランスを失う。
「何をした……!?」
「ただ、お前を“人間”に戻しただけだ。」
ハーヴィーは後退し、怒声を上げる。
「――凍結の心臓!」
空気が重くなる。
極寒のドームが形成され、全ての動きを鈍らせる。
バンの呼吸が白く凍り、体が動かなくなっていく。
「終わりだ。王は反逆者を必要としない。」
バンは膝をつき、唇を青く染めながら笑った。
「王が……いらなくても……俺がいる。」
紫のアニマが燃え上がる。
絶望と怒りの火が空間を包み、氷が砕ける。
「――アニマ・プルプラ・虚無の詩!」
紫の爆発がトンネルを飲み込む。
鏡が砕け、寒気が崩壊した。
ハーヴィーは吹き飛び、鉄の柱に叩きつけられる。
---
ハーヴィーは荒い息を吐きながら顔を上げる。
仮面がずれ、片方の青い瞳がのぞいた。
「……勝ったと思うな。王は……まだ俺を見ている。」
血まみれの腕を掲げる。
「――王の涙!」
天井から氷の破片が雨のように降り注ぐ。
バンは腕を広げ、全てを受け止めた。
紫の光が氷と融合し、空間が歪む。
静寂。
「ハーヴィー……感じるままに生きろ。
お前を縛ってるのは“王”じゃない、“恐怖”だ。」
視線が交わる。
氷の雨が宙に止まった。
次の瞬間、世界が砕けた。
粉塵の中、バンは壁にもたれ、息を荒げる。
「……終わった。」
そう呟いたその時――。
カシャン……。
瓦礫が動いた。
青い光が床を這い、再び影が立ち上がる。
ハーヴィー。
仮面が割れ、半分の顔があらわになる。
その唇に、歪んだ笑み。
「まだだ、バン。
王が幕を下ろすまでは……死ねない。」
腕を上げ、青い雷が脈動する。
「――第三幕、絶対凍結!」
氷の紋章が地面を覆い、冷気が世界を凍らせる。
光すら停止した。
バンは動けない。
アニマが軋む。
ハーヴィーは氷と紫の力を同調させた。
「見ろ、俺は人形じゃない……王そのものだ!」
「王になる? なら、その狂気も背負え。」
「第二の幕――影喰い!」
闇の腕が地から伸び、氷を粉砕する。
衝撃波がトンネルを吹き飛ばし、黄金の光を放つ遺構が現れた。
---
廃墟のような地下聖堂。
ハーヴィーは氷の剣を掲げ、
バンは紫の輪をまとい、拳を構える。
「俺は秩序のために戦う。」
「俺は混沌のために叫ぶ! 生きてる証の鼓動のために!」
二人が突撃する。
――ドォォォン!!
氷と紫が衝突し、空間が爆ぜる。
光と音が交錯し、世界が裂けた。
「第三の幕――虚無の覚醒!」
バンの全身が光に包まれ、感情の渦が力へと変わる。
ハーヴィーは最後の冷気を解き放つ。
「――王の黄金冠!」
氷の後光が輝き、凍った魂たちの声が響く。
「やめろ、ハーヴィー! その声は彼らの叫びだ!」
「沈黙こそが救いだ!」
「違う。沈黙は死だ。俺は、生を返す!」
同時に拳と剣がぶつかる。
紫と青が融合し、
舞台が現れる。
観客席には顔のない影。
ゆっくりと拍手が鳴る。
「見ろ、王も見ている。完璧な舞台だ。」
バンは俯き、震える拳を握る。
一粒の涙が紫の床に落ちた。
「これが舞台なら……俺は燃やす。」
「――第四の幕、カタルシス・オブ・ナッシング!」
紫の爆炎が舞台を飲み込み、
観客が霧散し、ハーヴィーのアニマが砕ける。
「王は……俺たちを救う……!」
「違う。お前の心を奪っただけだ!」
バンの拳が胸を貫く。
紫の光が氷を突き破る。
仮面が砕け、空に舞った。
---
ハーヴィーは膝をつき、穏やかに微笑む。
冷気が消え、静寂が戻る。
「思い出した……王の前の、あの寒さを。
……妹の顔を。」
「なら、まだ戻れる。」
「いや……幕を下ろす時だ。」
微笑み。
そして、沈黙。




