第14章 副宰ハーヴィーと氷の大洪水
ペレリアの市場は活気に満ちていた。
商人たちの叫び声と荷車の軋む音が、街の喧騒を満たしていた。
だが——すべてが止まった。
アラタが、白い毛皮の外套を着た大柄な男にぶつかった瞬間だった。
――俺に触れただと……? この俺、副宰ハーヴィー・ラピスラズリに!
アラタは慌てて手を上げた。
――す、すみません! 前を見てなくて――
乾いた音が響く。
世界が揺れた。
ハーヴィーの平手がアラタの頬を打ち、彼の体は宙を舞い、地面に叩きつけられた。
――それが謝罪の仕方か? 親にそう教わったのか? 跪け、今すぐに!
震えるアラタは頭を下げた。
――申し訳……ありません……閣下……
ハーヴィーの手が彼の肩に触れた瞬間、鈍い音が響いた。
骨が砕ける音。アラタの悲鳴が市場にこだまする。
――謝罪するときは、跪くものだ!!!
群衆が集まり、誰も声を出せなかった。
アラタは涙を流しながら、震える拳を握りしめた。
――……まただ。いつもこうだ。
◇◇◇
赤い髪の少年。
校庭の隅で、数人の子供たちに殴られている。
> 「俺も、アニメのヒーローみたいに強くなりたかった……五条悟とか、エスカノールみたいに。
でもこの世界は教えてくる……俺みたいな奴は、何も手に入れられないって。」
◇◇◇
アラタは立ち上がった。
腕はぶらりと垂れ下がり、だがその瞳は燃えていた。
――もう従うくらいなら、死んだ方がマシだ!!
ハーヴィーの瞳が細められ、彼の体から冷気が漏れ出した。
――ならば……死ね、下等な犬め。
二人が同時に走り出した。
拳がぶつかる瞬間――轟音が鳴り響いた。
ドォンッ!!
ハーヴィーの体が壁に叩きつけられる。
アラタの前に立つ男。
赤いフード、拳から煙が立ち上っていた。
――よく耐えたな。ここからは俺に任せろ。
アラタは呆然としたまま問う。
――あ、あんたは……誰だ?
――俺か? ただ、弱者を踏みにじる奴が嫌いなだけさ。
被害は最小限にしようぜ、ラスタバン。
その声は、少し離れた屋根の上から聞こえた。
黄色いフードをかぶったもう一人の男。
左右で色の異なる瞳が、雨の中で光を放っていた。
◇◇◇
ハーヴィーはゆっくりと立ち上がった。
顔は血に染まり、吐息が白く霧に変わっていく。
――……余計なことをしたな。
周囲の温度が急速に下がる。
彼の頭上に、氷の王冠が現れた。青い光を放ちながら回転する。
――冷気の威光にひれ伏せ。
《氷冠魔術・ポーラルフォール》!!
地面から氷柱が突き出し、鋭い槍のように炸裂した。
だがラスタバンは一歩ずつ前に進む。
冷気をものともせず、足元の氷を溶かしていく。
――悪手だな。
氷に……闇は凍らない。
拳から黒い波動が放たれ、氷の槍が粉々に砕け散る。
ラスタバンはハーヴィーの背後に回り、静かに手を置いた。
――触れるものを凍らせるか……だが忘れるな。
冷たさが生むものは、恐怖だ。
そしてその恐怖を……俺は喰う。
闇の閃光が走る。
ハーヴィーの叫びが夜を裂く。
氷が彼を包み込み、内側から砕け散った。
ハーヴィーの体は凍結し、粉々に崩れ落ちた。
ラスタバンは無言でフードをかぶり直す。
――副宰だろうと何だろうと……正義は、地位じゃなく行いで示すものだ。
アラタは膝をつき、彼を見上げた。
――あ、あんた……すげぇ……
騒ぎを聞きつけ、エファが群衆をかき分けて駆けてきた。
凍りついた石畳、吹き荒れる冷風。
彼女の胸は不安で高鳴っていた。
アラタの姿を見つける。
彼は片腕を折り、震えながらも生きていた。
――このバカ! 静かにしてろって言ったのに!!
彼女が駆け寄ろうとした瞬間、影が立ちはだかった。
赤いマントを纏い、顔をフードで隠した男。
その存在だけで、周囲の喧騒が吸い込まれるように消える。
――よく耐えたな、相棒。
副宰相手に立ち向かう度胸、たいしたもんだ。
男は手を差し出し、アラタを助け起こそうとした。
だがその時――
――愚か者どもがァァァ!!
この偉大なるハーヴィー・ラピスラズリに逆らうだとォ!?
◇◇◇
(つづく)




