最愛
「……いよいよ、本日ですねお嬢さま」
「ええ、そうね君乃。きっと、心身共に酷く擦り切れているはず……帰ってきたら、ゆっくりとお休みになっていただきましょう」
「……はい、そうですねお嬢さま」
それから、二年ほど経過して。
縁側の前に広がる彩り豊かな庭園にて、速まる鼓動を抑えつつそう口にする。……いや、抑えられてはいないけれど。
さて、今日は特別な――長きに渡る戦いが終わり、いよいよ唯月さまが帰ってくるこの上もなく特別な日。独自に得た情報の通り、日本は敗戦となったけれどそんなことはどうでもいい。私にとって重要なのは、ただ彼が無事であることだけ。……そして、恐らくはもう間もなく――
「……朔夜さま」
刹那、そっと鼓膜を揺らす声。その主は、確認するまでもなく……そこには、かつてと変わらぬ暖かな微笑を湛える、あの秀麗な男性の姿があって。
「……唯月さま」
「はい、君乃さま。大変ご無沙汰です」
思わず、ポツリとこぼれる。すると、優しい微笑でそう口にする唯月さま。久方ぶりに聞いたその声に、久方ぶりに見たその笑顔に、感情と共に止め処なく雫がこぼれ溢れ出る。……あぁ、夢じゃない。本当に、本当に唯月さまが今、目の前に――
「……ただいま帰りました、朔夜さま。長らくお待たせして、大変申し訳ありません」
その後、ほどなくお嬢さまへと駆け寄る唯月さま。私の良く知る、深い愛情を湛えたその瞳を真っ直ぐにお嬢さまへと向けながら。そんな光景に、思わず俯きそっと目を閉じる。
……どうか、戻らないでほしかった。逢えなくなるのは酷く悲しく辛いけど……それでも、どこへでも逃げてほしかった。どうか――生き延びてほしかった。
「……さくや、さま……」
直後、ポツリと呟く唯月さま。その綺麗な口から流れ落ちるは、見るも痛ましい赤い液体。原因は、彼の腹部に突きつけられた刃――お嬢さまの手に握られた、刃先に毒を仕込んだ銀の刃で。
「……ええ、おかえりなさい。そして、もうゆっくりお休みになって。ゆっくりと、天国で」
そう言って、頭を抱くお嬢さま。宝物、などという言葉では到底足りないほどの深い愛情を湛えた瞳を、じっと唯月さまへ注ぎながら。そして、その恐ろしいほどに綺麗な瞳に見守られながら――ほどなく、彼は天国へと旅立った。
『……あぁ、唯月。本当に……本当に愛おしい』
冴え冴えと月の輝く、ある宵のこと。
明るく灯るランプの傍にて、じっくりと手紙を読むお嬢さま。まあ、もう数え切れないほど見てきた光景ではあるけれど……ともあれ、傍目からも恍惚を湛えたその表情からも、彼への限りない愛おしさが見て取れる。
そう、彼女は愛している。彼を――文字通り生命を懸けて彼女を護ってくれる彼を、彼女は狂おしいほどに愛している。――だから、時間を止めた。最も愛する彼のままで、彼女はその時間を永遠に止めた。
……だから、願った。どうか、戦争が終わらないでほしいと私も願った。それなら、例え僅かでも生き延びる可能性があると思ったから。それに、例え生き延びれなくとも……それでも、この上もなく愛する女性の手で殺される絶望に比べれば、まだしも救いがあるかと思えたから。
……でも、それは間違いだったのかも。よくよく考えれば……いや、よくよく考えずとも、戦争という悲惨極まりない状況が永続的に続くようなら、その中で生き延びるなんてそれこそ生き地獄でしかないし、それに……
「……ふふっ、なんて愛おしい……」
そう、うっとりと呟くお嬢さま。もう微動だにしない彼の頭を、この上もなく愛おしそうに撫でながら。……この上もなく愛する女性に、この上もなく愛され殺される――ひょっとすると、それはそれで幸せな最期なのかもしれない、なんて思ってしまって。
……いや、正確にはそう思いたい、だろうか。これほどまでに理不尽な死を迎えたこの誠実な男性に、どうか僅かでも救いがあってほしいと思いたいのだろう。
ただ、じっと見つめる。そこに映るは、疑う余地もなく明確な被害者と加害者。……なのに、それはさながら神聖な絵画――務めを果たした眠れる戦士と、そんな彼を労り包み込む聖女を描いた絵画のような一枚で。
……きっと、これは不滅の愛――その遺体が骨になり灰になっても、ずっと変わらぬ瞳で愛情を注いでいくのだろう。生命果てるその瞬間まで、ずっと。
――これほどまでに恐ろしく……これほどまでに美しい一枚を、私は知らない。




