第1話 十秒で消えた街
最初に消えた都市は、ニュースのテロップではなく、無音で知らせてきた。
——都市が輪郭ごと抜き取られるまで、十秒。
衛星映像の時刻は正確で、フレームごとに縮んでいく影が、広がる雲の穴のように地表を剝ぎ取っていく。建物の高さも、道路の幅も、そこにあった生活の密度すら、透明な指で撫でられたみたいに消えて、残ったのはガラスみたいに滑らかな平面だけだった。
「音は?」
「ありません。衝撃波も、熱雑音も、爆発反応も。あるのは欠落だけです」
危機管理センターのスクリーンの中央に、球が浮かんでいる。直径は数十メートル。表面には、模様とも構造物ともつかない凹凸が走り、角度によって“顔”らしい配置に見える瞬間がある。誰かがチャットに冗談で「見られてる」と書き込み、すぐに削除された。笑えなかった。
球はゆっくりと、しかしマッハ20の速度で高度を変える。言葉の矛盾は、現実の矛盾よりは軽い。数式に合わない挙動を前に、僕らは名前をつけることで正気を保とうとしていた。
「UI-01」
Unknown Intelligence。一体目の未知知性体。
コードが決まると同時に、世界は同じ言葉で同じものを指せるようになった。呼び名は、恐怖を並べ替えるための最低限の秩序だ。
初日の反応は単純だった。撃つか、逃げるか。
逃げることは間に合わない。だから撃った。陸から、海から、空から——。
結果は、何も起きなかった。いや、起きたのかもしれないが、僕らの望んだ種類の「起きた」ではなかった。ミサイルは命中の直前でふっと輪郭を失い、レーダーの反射は意味を失い、熱源は“計測という概念”ごと吸い込まれたみたいに消えた。
「吸収……?」
「物質だけじゃない。情報も、ルールも」
学者たちがそう言い出すのに時間はかからなかった。
そしてもう一つの事実にも。
——消えたのは、先に攻撃した場所だけだ。
二つ目の都市が消えたのは、迎撃システムが自動で作動した後だった。三つ目は、武装ドローンが包囲を狭めた瞬間。四つ目は、誰かがパニックで銃を空に向けたとき。相関は因果じゃない、と習ったけれど、この場合は、ほとんど祈りに近い確信でそう見える。
「撃つな」
「撃つな」
「撃つな」
無線が、国境も言語も越えて同じ言葉で満たされる。
その日、球は撃たれなかった。そして、何も消えなかった。UI-01はただ、雲の上で静かに向きを変え、都市の灯りを観察しているように見えた。
夜、センターの非常灯だけが赤くともり、僕は画面の隅に映る球の表面をズームにして眺める。模様がわずかに振動している。波。呼吸。あるいは、心拍。
沈黙は、拒絶だけを意味しない。
そう考えた瞬間、背筋の強張りが、ほんの少しだけ緩んだ。
翌朝、UI-01は湾上に停止した。高度は低い。ビルの屋上でも肉眼で見える距離。
防災無線が「落ち着いてください」を繰り返し、SNSは祈りと怒りと冗談で過積載になり、窓という窓に人影が吸い寄せられる。
誰かが言った。「見られてるのは、こっちだ」。
僕は息を止める。撃つな、を何度も心の中で復唱する。
そのとき、湾岸の歩道でひとりの子供が、手を上げた。
UI-01の模様が、初めて、わかるほど大きく変わった。
(つづく)