5.二つの想いが重なるとき
あの日から朔也と悠哉は、また“気まずい二人”に戻ってしまった。朔也から連絡を取るのはためらわれたし、悠哉からも連絡は来ない。
(やっぱり、僕は陽翔の代わりでしかなかったんだ……)
そんな現実が重く圧し掛かる。受験勉強にも身が入らない。模擬試験の結果も散々だった。両親が見かねて「もう、あの男とは会うな」と忠告してくる。
それでも……朔也は自分のスマホに残る、二人で撮った写真を開いた。悠哉を隣にして無邪気な自分の笑顔、どこか甘えたようで柔らかくて優しくて……。自分がこんな顔をできるなんて思いもしなかった。
朔也はメッセージアプリを開く。悠哉とのトーク画面で「会いたいです」と打って消す。そして、「好きです」と打ってみた。
もし送ったら、悠哉はどんな反応をしてくれるだろうか。喜んでくれるだろうか。それとも、あの日のように困らせてしまうだろうか。その答えが分からない限り、朔也が勉強に集中するのは難しそうだった。
*
「おまえさ。朔也くんのこと、どう思ってるんだ?」
稲岡はあえて厳しい口調で問いかける。目の前では悠哉が大きな体を小さくしていた。
「いつまでも放ったらかしにするなら、俺のものにするぞ」
「でも、店長には奥さんがいるんじゃ……」
稲岡の左手には、薬指に無骨な指輪が光っていた。
「それくらい、あの子は魅力的だってことだ。そりゃ、陽翔とは違うかもしれないが、優しくて健気で俺たちの気持ちに寄り添おうとしてくれる。おまえになんか、もったいないくらいだ」
「でも、俺は一体どうすれば……」
あくまでも悠哉は弱気だ。稲岡は焦れて檄を飛ばす。
「いつまでも、陽翔を言い訳にしてカッコつけるなって言いたいんだよ。双子とか関係なく、朔也くんを好きになった。それでいいじゃないか」
あの日から、悠哉が目に見えて落ち込んでいるのは分かっていた。いい歳なんだから自力で立ち直ると思っていたが、一向に行動を起こす気配がない。だから稲岡は悠哉を呼びつけたのだ。
(俺はおまえを見込んでるから言うんだぜ)
「朔也くんを誰かに取られてもいいのか?」
「それは……嫌だ」
「だったら、今すぐにでもかっさらって想いを伝えて来いよ」
意を決したように悠哉は店を飛び出していく。これからどうするかは本人次第だ。
「これが俺の精一杯のアドバイスだ。うまくやれよ」
稲岡は遠ざかる悠哉の背中に声をかけた。
*
学校帰り、朔也はバス停に向かおうとして、誰かに声をかけられた。振り向くと悠哉が所在無げに立っている。いや、確かに悠哉なのだが、リーゼントは下ろしており、革ジャンではなく、無難なスタジアムジャンバーを羽織っていた。いつものバイクも見当たらない。
「悠哉さん、どうしたのですか?」
朔也が駆け寄って声をかけると
「真面目な学校に通ってるって聞いてたから、目立つのは迷惑かな、と思って……」
と頭をポリポリとかく。朔也は、悠哉なりの気遣いに胸が震えた。
「今から、俺の部屋に来てほしい。いいか?」
もちろん、断る理由はない。大きく頷くと、温かい手のひらに背中を押される。なんだか、通い慣れた道が違って見えていた。
*
久しぶりに入った悠哉の部屋。心なしかこないだよりも片付いているような気がした。そして、ベッド脇の棚に飾られていた、陽翔と一緒に撮った写真が見当たらない。
いつものように並んで腰かける。互いに顔を見合わせて何も言わない時間がしばらく続いた。
先に沈黙を破ったのは、悠哉だった。
「……実はさ、今日ここに来てほしいって言ったの、ちゃんと話がしたかったからなんだ」
言葉を選ぶように、ゆっくりと話す。朔也は何も言わずに頷いた。
「俺、ずっと陽翔のことが好きだった。……友達とか相棒って言葉じゃ足りないくらい、特別な存在だったんだ」
そこで悠哉は朔也の表情をうかがう。朔也が微笑むと安心したように先を続けた。
「でも……陽翔がいなくなって、時間が経つうちに、自分でも分からなくなったんだ。俺が今、誰を見て、誰に心が動いてるのか」
少しだけ間を置いて、悠哉は朔也をまっすぐに見つめた。両肩に手が置かれる。
「……君に会うたびに、心が揺れる。でも、それって“陽翔に似てるから”じゃないかって、ずっと自分を疑ってた。そんな気持ちで君のそばにいるのは、卑怯だって」
その声は、まるで自分自身を責めるように震えていた。
「でも……今日、君の顔を見た時に、やっと分かったんだ。その声も、仕草も、表情も……。俺は、君が……望月朔也が、好きなんだ」
悠哉は深く息を吐いた。そして、少しだけ目を細めた。
「……すぐに返事をくれなくていい。君の気持ちを縛るつもりもない。ただ、俺はちゃんと伝えておきたかったんだ。ごめんな、急に……」
ずっと聞きたかった言葉を打ち明けられて、朔也の瞳から大粒の涙があふれる。こんなに一途に想われていたなんて、自分は幸せ者だと思った。
「僕も、悠哉さんのことばかり考えていました。男同士とか関係なくて、ずっとそばにいたいって思ったんです。だから……とても嬉しいです」
悠哉の指が朔也の涙を拭う。やがて、優しく抱き寄せられ、おでこが静かに重なった。
「……キスしたいって、正直、思ってる。でも……今はしない」
朔也が驚いて目を大きく見開く。けれども、悠哉の目はまっすぐで、どこまでも誠実だった。
「君の涙が嬉しくて、胸がいっぱいなんだ。だけど、今ここでするキスが、君の初めてになったら……きっと、後悔させるかもしれない。そんなの、俺は絶対に嫌だ」
抱き寄せた腕に力がこもる。
「ちゃんと未来を考えたい。君に、ちゃんと好きだって思ってもらえるように……もう少しだけ時間をくれないか」
朔也はふっと微笑んで悠哉の胸元に額を預けた。
「そんなこと言われたら……もっと好きになっちゃうじゃないですか」
悠哉は、朔也をそっと抱きしめながら、小さく笑った。
「俺も、君のこと、もっともっと好きになるよ」
二人はただ静かに寄り添っていた。