1.君に会えなくなるなんて
低く唸るようなバイクの排気音が、夜の静けさを切り裂くように、すぐ近くまで迫ってくる。朔也がスマホを見ると、ちょうど午前零時になろうとしていた。
バイクが家の前で停まると、すぐに玄関のドアが開く音がする。慌ただしく階段を昇ると、朔也の部屋の前を通り過ぎ、奥の部屋へと入っていった。
しばらくすると、また階段を下りる音が聞こえて、玄関のドアが開く。その時、母親の声が聞こえた。
「陽翔、こんな時間にどこへ行くの?」
返事は聞こえない。もう一度「陽翔!」と呼ぶ声が聞こえて、ドアが閉まった。すぐに排気音が地響きのように鳴り響く。近所迷惑にならないか気がかかりだったが、朔也が席を立つ前にバイクは走り去ってしまった。再び数学の問題集に目を向ける。どこまで解いたのか、指で問題文を追った。
自由な陽翔を、朔也は羨ましく思った。双子の兄なのに性格は正反対。明るくて活発で、行動的だった。工業高校に入学してからはバイクに夢中になり、両親の反対を押し切って、アルバイトで稼いだお金で買ってしまった。
今だって、こんな時間までアルバイトをしていたのに、ひとっ走りしないと気が済まないらしい。今日も学校があるというのに。
大学受験に追われる朔也は、そんな陽翔を上辺では軽蔑しながらも、内心では羨ましく思っていた。いつも引っ込み思案で言いたいことも言えない。そして、何よりも夢中になれるものが無かった。
学校の先生に勧められるまま、東京の大学を目指してはいるが、どうしても行きたいところではない。そう考えてしまうと、鉛筆が重たく感じられてしまうのだった。
陽翔はいつも、そんな朔也を見て「おまえ、勉強ばっかりだな」と言っていた。朔也が答えに困っていると「バイクは楽しいぞ」と仲間に入れようとする。
母親が見かねて「朔也はバイクになんか興味は無いのよ」と口を挟むと、寂しそうな顔をして諦めるのがお決まりだった。
問題の答え合わせをすると、ちょうどバイクの音がした辺りから解き方を間違えていた。朔也は大きくため息をつく。
(今度、後ろに乗せてもらおうかな)
そんな呟きが夜のしじまに零れ落ちていった。陽翔はきっと“女の方がいい”と笑うかもしれないけど。
*
朔也のささやかな願いは叶わなかった。その夜、陽翔がバイクの事故で死んでしまったからである。
カーブを曲がり切れずに横転。陽翔はガードレールとバイクに挟まれて命を落とした。ヘルメットのおかげで、顔はきれいなままなのに生きていない。そんなジレンマに家族の誰もが狼狽え、何事もなかったかのように目を覚ますのではないかと期待した。
けれども、今は通夜である。事故から二日経っても、陽翔は目を覚ます気配はない。むしろ、時間が経つほどに生気は失われ、生きていないのだと思い知らされる。
特に母親は、あの夜に陽翔を止められなかったことを悔やんで、何度も自分を責めては朔也に慰められていた。そんな日々が続くものかと朔也は覚悟したが、そのうち悲しむ暇もないくらい葬儀の準備に追われていた。
朔也は遺族席に座りながら、一般席に目を向ける。そこは陽翔の通っていた高校の同級生やバイク仲間で一杯だった。着崩した学生服やパーマをかけた髪。耳や鼻、首元に光るアクセサリーなど、朔也の学校ではまず見かけない身なりだった。
父親の挨拶で通夜が終わると、朔也は家族と一緒に弔問客へ挨拶をするために立ち上がった。一般客たちが陽翔の棺を囲み、泣きながら言葉をかけてゆく。
そこへ一際、異様な集団がやってきた。先頭の男こそ喪服を着ているが、後に続く男たちは全員が黒の革ジャンとズボンに身を包んでいた。両親が眉をひそめているのに朔也は気づく。
誰もが他の弔問客たちと同じように別れを惜しむ。最後に頭一つ大きい男が棺を覗き込んだ。今にも殴りかかりそうな強面とリーゼントが、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
男は棺の陽翔を見るなり
「陽翔!俺を許してくれ!」
と号泣しながら縋りついた。慌てて、周りにいた仲間たちが止めに入る。ホールにいた者たちの視線が集中した。
男は「俺のせいだ……」と泣くのを止めようとしない。先頭を切っていた男が
「悠哉、もういいだろう」
と半ば強引に体を引き離す。それでも泣き止まない男は、仲間たちに体を支えられながら棺を後にした。
呆然とする遺族たちの前を通り過ぎる。ふと男は朔也に気づき、一瞬立ち止まる。大きく目を見開いて「陽翔?」と呟いた。射貫くような眼差しに、朔也は足が震えそうになる。
「バカ野郎!失礼だぞ」と先頭の男に叱られて、我に返ったように気を取り直す。それでもホールから出るまでに何度も振り返るのを、朔也は見逃さなかった。
「まったく、野蛮な人たちね!」
母親は嫌悪感を露わにする。父親も
「家に来たら、追い返さないといけないな」
と同意した。ただ一人、朔也だけがあの男を忘れられずにいた。
彼は言った。“俺を許してくれ……”と。陽翔は事故で死んだはずである。なのに“俺のせいだ”と言ったのは何故なのか。心の奥で何かがざわめく。すぐにでも追いかけて話をしたかった。
もちろん、いけないことだと朔也には分かっていた。けれども、動き出した気持ちは止められそうになかった。