決断
「ひぃ……!」
私は声にならない悲鳴を上げて、転がるように健くんの後ろに隠れた。
そう怖くなったのは、凶悪な目で睨まれているからだけではないが、それ以上に私を怖がらせたのは、その外見のせいだった。
天啓の今の姿はあまりにも凄まじかったのだ。なぜか服はどこまでもボロボロで、ぬかるみを転がったように汚れていた。
しかし、そうなっても天啓は鋭い目つきでこちらを見て、驚くほどの勢いで歩み寄ってきた。
「だまされないで、真宮。彼女に約束したら、すべては終わりだ」
「終わり……どういうことだ?」
目の前に立っていた健くんが私を見て、天啓に問いかけた。
「話したいことがあると言っただろう。私の言いたいことはこれだ。この女、あなたを騙していたのよ」
「騙すなんて……してませんよ……!」
「もう嘘はやめろよ……真宮、あなたを騙したんだよ。見真は過去にあなたを裏切って他の男のもとへ行った。それから振られてあとまたのこのこ戻ってきたよ」
天啓は私を睨みながら言った。
「あなたのことが大好きだなんて、彼女がそう言うのは自分のためだけだ。自分のためだけに無茶をする女──そんな人絶対に一緒になってはいけない!」
「そんなの、ぜんぜん嘘です。私はそんなことしてません。天啓さんは嘘をついています!」
ここで弱音を吐いてはいけない!!そう思った私は健くんの服をつかんで、負けずにやり返した。
「私が嘘をついている?なぜ私が嘘をつく必要がある!」
健くんのことが好きだから、私が健くんと一緒にいてほしくないから、そう言っているのではないでしょうか。あなたは私に嫉妬しています……そうでしょう?」
「なんだって、嫉妬って!?」
そう言うと、天啓が私を睨み、怖くなりながらも前に出た。
「そうじゃないですか、あなたの言うようなことはしていませんから……自分のためだけに健くんと一緒にいたいわけじゃないんです。本当に好きなんです!」
「また無茶なことを言うわね。あなたの言うことは本当に一言も信じられないな……真宮、行こう」
天啓がやってきて健くんから私を引き離そうとしたが、途中で立ち止まり再び口を開いた。
「真宮、それはどういう意味?」
健くんは天啓を阻むように一歩前に出た。
「え?……健くん?」
振り返らず、健くんは右手を伸ばして私の手を握った。
「彼女と一緒にいるつもりのか!?真宮、私のいったことを忘れたのか。見真純という女は見た目ほど甘くはない、彼女ずっとあなたを騙していた!」
天啓は裏切られたような顔をしたが、健くんは動揺しなかった。
「ええ、それは分かった」
「分かったらそんなことはしないで!そんなことをしたら、この世界の未来は破壊される……!」
天啓は焦ったように足早に近づいてくるけど、健くんは譲らず、私の前で守ってくれた。
「……健くん」
私の手は健くんにぎゅっと握られていて、手のひらから伝わってくるその温かさに安心した。
「真宮!本当に彼女を選ぶのか!」
天啓はまだ説得を諦めていない。その問いに、健くんは再び答えた。
「──ごめん」
言葉の内容は簡潔だが、その決意を感じさせる。
「──」
この言葉の意志の重さもわかるようで、それを聞いて天啓は目を見開いた。
「そうか、彼女を選んだのか……」
かすかに開いた口は何か言いたいように開いていたが、最後には何も言えなかった。
「ああ……わかった」
天啓は唇を噛んで泣きそうな顔で下を向いた。
「ごめん、邪魔した……」
そう言うと、天啓は私たちに背を向け、ゆっくりと去っていく。
「天啓さん……」
天啓が遠ざかっていくのを見ながら、なにか彼女に伝えたいことがあるような、奇妙な感覚に襲われた。
そう、天啓さんに、いま一言だけ伝えたいことがある……!天啓さん──!
──ざまぁですね。
ふふハハハ~ざまあみろ、自業自得だ!
ええ、頭が良くてナイスボディーもいいし……それで?最後、健くんが私を選んでくれたよ!
裏切るなんて、健くんを裏切ったことなんかない。そそれに、私の過去を話しても何の意味があるの?証拠はあるか!?
そんなこと、今の時空にはない。自分がそう言えば健くんが信じてくれると思ってるのか!?
誰が信じるよ、他の時ならまだチャンスがあるかもしれないが、今自分がどんな姿か知らないのか。全身が汚れている上に、そんな突拍子もないことをいって、私を貶めようとするのは、狂人と同じだ。
どう見ても、こっちの方が信用できるよ。
私の世界を選べば未来が滅びるなんて、健くんが信じられるわけないでしょ。
バカバカしいね、アッッハハ~
……ハハハ。
……はあ。
「……」
「大丈夫か」
天啓を拒むと、健くんは振り返って尋ねた。
「大丈夫です」
大丈夫ですと言いながら、遠ざかっていく天啓の背中を黙って見つめた。
嬉しい気持ちはそのままが、勝利の興奮が冷めていくにつれ、別の感情が湧き上がってくる。
天啓の背中を見ていると、胸に何とも言えない感情が込み上げてきた。
……その正体を少し考えてみると、すぐに答えが出てきた。
認めたくはないが、その感覚の源は悲しみだ。
選ばれなかった人……その背中は、いつの間にか過去の私の背中と重なってしまった。
「……」
「どうしたのか?」
「何でもないです。行きましょうか」
私は頭を振ってその考えを頭から追い出す。
そう、そんなことを考える必要はない。彼女と違って、私は勝者~
負け犬なんかじゃない、幸せになれる勝ち組だよ。
そう思っただけで、だんだん幸福感が全身に満ちてきて、足取りが軽くなった。
愚かな悲しみなんてどうでもいい!
「じゃあ……後でここに集合しよう」
健くんはそう言いながら家に入って準備をし、私も家に戻って準備をする。
普段なら慌てて準備をしているだろうが、今の私は余裕があるのですぐに準備ができた。
頭痛がなくなり、世界が明るくなったような気がして、軽い足取りで健くんの家に向かった。