ずるいのは誰
冷たさで目が覚めた。
「天啓さん……」
体を起こすと、私が道に倒れていることに気づいた。
「あ、さっき私と天啓さん……う……」
さっきのことを思い出して吐き気がこみ上げてくる。
吐き気を堪えて天啓さんを探したが、周囲にそれらしい姿は見えなかった。
「天啓さん、行っちゃったんですか……」
倒れる前の最後の記憶では、確かに天啓さんは行っちゃった。彼女は私が目が覚めるのを待って時間を無駄にしたくないようだ。
まだ夕暮れは続いていたから、時間を調べてみた。私が倒れたのはそれほど長い時間ではなかったようだ。
「天啓さんはどこへ……あっ!」
口に出した途端、私の顔が蒼白になつた。自然に、心の奥底から声が聞こえる。
──明らかではありませんか。天啓さんが健くんのところへ行ったんです。
「……ええ、天啓さんは健くんのところに……だめです、一緒にしちゃ」
天啓さんは健くんと一緒になるつもり。健くんと一緒にさせたら、何が起こるわからない……。
──本当に何が起こるかわからないのですか?
…………いえ、何が起こるかはわかっていた……天啓さんは私が健くんと一緒にいることをあきらめてほしいと思っているので、じゃ彼女きっと──、
──そう、彼女はきっとあなたのしたことを彼に話します。もし彼女がそうしたら、健くんはどう思いますか?
「健くんが……彼が……」
健くんが私の過去を知ったらどうなる?
「……」
……体が震えているのを感じた。
「……いえ、そんなことは……裏切ってなんかいません……健くんなら、きっとわかってくれます」
このまま自分を納得させようとしたけど、また嘲笑するような声が聞こえた。
──本当にそうなんですか?
「……いや……天啓さんは私のことが好きじゃない……きっと悪口を言われます……私は何も悪いことをしていないのに!」
──それって公平だと思いますか??
不公平。私は健くんと一緒にいたいだけなのに、ただ幸せになりたいだけなのに──!
どうして、もう彼のそばにいることを許されているのに、もう少しだったのに。どうしてこんな時に邪魔を!
私は裏切ってもいないし、何か悪いことをしたわけでもないのに、健くんには相応しくないとか、全部でたらめ──!
こんなでたらめしか言えない女は健くんのそばにいたい?ふざけんな!
ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい!
天啓恵という女よりも、私の方が健くんに相応しい。もし天啓恵がいなかったら──!
──、──。
──、───、──。
「ら──え?」
あれ……私は今、何を言っている?
気がつくと私はもう外にはいない。いつのまにかお風呂に入っていた、どうしてこんなところに……?
「そういえば、私はその後……健くんのところには行かずに、そのまま家に帰りました……」
私は、健くんのところに行くのが怖くて、行ったときには健くんのそばに天啓さんがいるのではないかと心配しているから。
健くんは天啓さんと付き合おうとしていて、私に出ていけと言っている……そんなことが起こるのが怖いからそのまま家に帰って、お風呂で寝落ちしてしまった。
「それじゃダメ……元気を出さないと」
まだ負けるつもりはないし、過去を知られても健くんを口説くつもりだ。
「お弁当、作りましょう……」
風呂から上がり、明日の健くんのお弁当を作ろうと台所に行った。
「健くんの好きなタコさんウインナーにしましょう……え、包丁は?」
包丁を持とうとしたが、包丁がなくなっていた。お母さんが持っていったか?
まあ、いいけど、ほかにも使えるから。
お弁当を作ってから、私は部屋に戻ってベッドに入り、明日健くんたちに会うことを想像していた。
「大丈夫です。負けません。健くんと一緒にいます!」
そう思いながら、私は眠りに落ちた。
翌日、目覚まし時計が鳴ると、おそるおそる起きた。
早めに家を出たにもかかわらず、健くんを呼ぶ勇気がなかった。
覚悟はできているけど、やっぱりちょっと怖い。
「あ、健くん……」
そのまま健くんの家の前で迷っていると、ドアを開けて健くんが出てきた。
「おはよう……」
挨拶をしたから、緊張しながら健くんの返事を待った。
天啓さんは私のことを悪く言ったはずだし、健くんはそれで私のことを誤解したかもしれない。そうなったら、何とか誤解を解かなければならないが……、
「おはよう」
「え?」
健くんの反応はいつも通りで、予想していたような私への暴言や、冷たい口調での対応はない。
「俺の顔に何かあるのか?」
呆然と顔を見ていたためか、健くんが振り返る。
「ううん……ないです……」
まさか、天啓さんは私の過去を健くんに話さなかったか?それとも健くんは天啓さんの言うことを信じなかったのか?
む、聞いてみようか。
「あの……昨日、天啓さんが何か言いに来なかったんですか?」
「?……いえ、訪ねてこなかった。何かあったか?」
「何もありません」
昨日は健くんのところへ行った様子はなかった。ということは……天啓さんはその後、家に帰った?
なぜすぐに健くんのところに行かなかったの……私がそう言われると引き下がると思ったのだろうか。
いや、おそらくそうじゃなくて、天啓さんが健くんに私の過去をすぐに話さなかったのには、きっと何か意味があった。
健くんにすぐに知らせない理由は……ひょっとして、学校でみんなに知らせるつもり?
もしも天啓さんがそんなことをするつもりなら、真偽のほどはともかく、私の名誉は地に落ちただろう。
「とりあえず、どう対応するか考えておきます」
いずれにしても、天啓さんの好きなようにさせておくわけにはいかない。
彼女がみんなの前で言いたいなら、言ってくださいが、こちらも最後まで反論する。
考え、想定し、冷静に対処する。
それが今できる最善のこと。できることはそれだけだが、勝ち目がないとは限らない。
何しろ天啓さんの言うことが本当であることを証明する証拠はない。証人、証拠物、これらが一切ない状態で語られる話のの信憑性は大きく損なわれる。
時間がたてば、信憑性のない話は噂になる。
噂のせいで他人から見られる目は変わるかもしれないが、私にとってそれだけでも最良の結果だろう──、
「おはようございます」
「おはよう~」
天啓さん……いない。
教室に着いて、すぐに教室の中を見回した。教室で待っているかと思ったが、いなくて……まだ来てない?
がらんとした席を眺めながら、私は心配になる。
気にしないように努めたが、天啓さんが学校に来たら何をするか分からないから、私は席に座ったまま、じっと天啓さんの席を見つめていた。
「……お一もしもし」
「わあっ!」
目の前で手を振っている人がいて、振り向くと友達が立っていた。
「どうしたんですか」
「どうしたんですかって、純、今日一日中上の空だったんだよ」
友達に言われて気づいた、天啓が現れるのを待っていたので、一日が過ぎていたことに気づかなかったのだ。
「一日…ですか……」
「どうしたの?」
「何でもないです。ただ、天啓さんが来ないのがちょっと気になりました」
天啓さんは欠席したことがないという印象があるが……班長である天啓さんはいつも時間通りに学校に着いているが、そんな彼女は今日は学校にいないなって。
「まあ、家に用事ができたのかもしれないし」
「そうかもしれません……」
家に用事があったから来なかったのかというと、もっともらしく聞こえるが、そうではないような気がする。
何しろ天啓さんは、この世界が創り出した存在なのだから。こんなふうにわざわざ私を止めるように作られた存在に家族がいるだろうか。あったとしても、よりによってこんなときに用事がある?
……とにかく、今日は一命を取り留めたが油断はできない。天啓さんが何か企んでいるのかもしれないから常に警戒しなければならない!
そう思った私は、警戒しながら天啓さんが現れるのを待っている……しかし次の日も、天啓さんは登校しなかった。
翌日、明後日、大明後日だけでなく、最初からこの世に存在しなかったかのように、天啓恵という人間は私たちの生活の中からいなくなってしまったのだ。
天啓さんに何があったのか気になって先生に聞きに行ったが、先生も天啓さんと連絡が取れないようだった。
先生やクラスメイトに天啓さんの居場所を聞いてみたこともあるが、驚いたことに誰も天啓さんの居場所を知らない。
このときになってようやく、天啓さんはこの世界の人間ではないという実感が湧いてきた……。