第六話 孤独の王家の選択肢
部屋へ向かう途中、丁度部屋を出ようと扉を開けたラナと目があった。以前会った時は録に顔も見ていなかった所為で気付かなかったが、キリッとした執事の目とは対照的な柔らかい垂れ目と整った鼻。可愛い。思わず僕はそう言いそうになった。
「ちょっと良いかしら。」
「…。」
すれ違い気味にラナから声が掛かるも、僕はどうして良いのか分からず、背を向けたまま突っ立っている。
「この屋敷では沈黙は了解とみなすわ。…貴方が今、どの様な心境にいるかは分からないけど、この屋敷にいる限り私は貴方を管理する義務がある。命の保証もしてあげる。だから正直に答えて。この屋敷に来た理由は何?」
「…。」
僕は何も答えられなかった。何時も執事があんなんだからっていうのもあるけど、不意に向けられた予想外の彼女の優しさに僕の心は反応した。見ず知らずの、まだ暗殺者かもしれない人物似に対し、家には住まわすし命も預けても構わないという心の広さ。僕は思った。この屋敷が恐ろしいという噂は全ては執事の所為であって、全てが恐ろしい訳ではないんだと。
けれどだからこそ、今の僕の口からは真実は言えない。僕は一寸の間を置いて、その場を誤魔化す事にした。
「本当に、追われて道に迷っただけなので…助けて頂き有難う御座います。」
僕はそれだけを言ってさっさと歩きだす。一体どれ程の割合でその言葉を信じてくれたのかは分からないが、相手は何も言い返して来なかった。
なんて素敵なお嬢さんなんだ。僕は部屋に戻ってからも、ずっとその事を考えていた。
しかしあれだけ素敵な人が、嫁にも行かずこんな暗い屋敷に執事と二人きりというのはどうも怪しい。普通使用人も雇うし、他国とに交流も欠かさない筈。僕みたいな仲間はずれの貧困者でなければ、誰だってその様に体制を整えるのが常識だ。
「どうして…、」
僕はベットではなくソファに寝転がり、また天井を見つめた。
自室に入れば寝転がり天井を見て考え事。場所は変わっても、昔からの癖は変わらないんだなと僕は我ながら苦笑した。
さて、これから如何しようか。まだ昼だから寝るわけにもいかず、かと言ってこの状況で任務を遂行するのには無理がある。取り敢えず部屋の家具の引き出しを片っ端から開けてみる。窓を覗いて庭を見てみる。歌ってみる。出来ない腹筋を無理にしてみる。廊下を覗いてみる。鏡を拭いてみる。…で出来る事はなるべくやった。なるべくやって、まだ一時間も経っていなかった。いや、いくらなんでも暇すぎんか。人もおらんし寂しいし。
遂に僕は廊下を出て、さっきケルトが案内してくれた部屋まで突き進んだ。
コンコン、「失礼しまーす。」
中へ入ると、書類で埋まった床の上に寝転がって本を顔に載せ寝ているケルトがいる。疲れているのか、スーツのまま寝転ぶ彼。僕はなるべく音を立てない様に、机の上の資料から始めた。
一枚目に取った資料は、僕とは全く関係の無い隣の隣の国の人口、首都の風景、王の家系、そしてその写真と親戚一覧。見れば見る程恐ろしく、どうやって集めたかは分からない。
「二回ノックはトイレ向けだ馬鹿。」
突然掛かる声。僕は驚き過ぎて振り返りざまに首を痛めた。
「な、起きてたんですか⁉︎」
「起きてたもなにも、寝てるからって勝手に部屋に入ってくる様な不審者が同じ屋根の下にいるのに何呑気に寝てられんのさ。」
「…すいません。」
やっぱり此処は資料室では無く個人的に使っている部屋なのか。そう思うと、確かに壁沿いに設置されたクローゼットやもう意味を無くした本棚やソファが目に入ってくる。努力の証と言えば良いのか、だらしなさの表れと言えば良いのか。しかもその一枚一枚は、普通なら隠されている筈の国家機密事項が書かれた書類ばかり。唯一の娯楽のアイテムである本も、国家の誰かが書いた思想ばかりで見ている此方が頭を痛めそうだった。
ふと、さっきの驚いた衝動で、持っていた資料を何時の間にかポッケに突っ込んでしまっていた事に気が付く。しかしポケットの中でグシャグシャになった資料を彼の目の前で出す訳にもいかず、僕は黙って扉向かった。
「アハハ、嘘嘘、此処は私の部屋なんかじゃないから何時でも出入り自由だぞ。」
「え?」
「いやぁ君って意外と素直なんだね。」
そう言われて、僕の顔は自然と赤く火照る。
「ほら、今でも素直じゃん。よくそれで疑われたね?嘘ついたら直ぐバレそうなのに。」
コイツは一体何処まで僕を馬鹿にすれば気が済むんだ。僕は呆れて、勢い良く部屋を出た。一度はあいつと仲良くやっていけるかなとは思ったが、前言撤回、諦めかけている自分がいる。
けれど正直な所、この環境にずっといられたらなと思う自分もいた。誰からも構われず、離れで寂しく、隠れて過ごす暮らしに戻るなら、いっそ逃げてきた事を本当にして此処で一生を終えるのも、僕の目の前に現れた運命の道だとも感じられる。誰かと対等に話せる事が嬉しい。誰かと気楽に日々を送れる事が嬉しい。
「あぁ…自分ってこんなに寂しがりだったんだな…。」
僕はふと、呟いた。